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19.次兄には嫌われています(第六話)


 フロスト公爵邸の敷地内にある訓練場に、カンカンッ、と音が響く。訓練用の木剣が激しくぶつかり合う音だ。


「動きが単調ですよ」


 体格のいい男が、剣の相手をしている子供――ジャレッドに向けて、余裕を持った様子で告げる。

 悔しそうに表情を歪めたジャレッドは力強く地面を蹴って距離を詰め、木剣を振るった。しかし男に木剣で受け止められ、そのまま勢いよく押し返される。ジャレッドは体勢を崩して数歩下がり、なんとかこけないように踏ん張った。


「手加減しろよ」

「したら怒るでしょう」


 男にびしっと言い返されて、ジャレッドはそっぽを向いた。


 彼――デリックは、フロスト公爵家が設立したフロスト騎士団の副団長を務めている男だ。騎士団の中でも特に剣術に定評があり、こうしてジャレッドの剣の指導を任されている。

 鍛え上げられた体はまだ十歳のジャレッドを遥かに凌駕する力があり、気を抜くと一振りで吹っ飛ばされることもある。それほどの怪力の持ち主だ。


「午前の訓練ではそうでもありませんでしたが、何やら午後からは心ここに在らずですね」


 デリックからの指摘に、ジャレッドは無言のまま更に不機嫌になる。デリックは仕方ないなと笑みを浮かべた。


「本日の訓練はここまでにしましょう」

「……わかった」


 一拍の間を置いて承諾したジャレッドは、「ありがとうございました」と頭を下げて訓練のお礼を口にする。いつもならまだやると食い下がるのにと、デリックは目を丸めた。

 本当に、普段のジャレッドとは雰囲気が違う。


「なんだよ」


 まじまじと見ていたために、ジャレッドが怪訝そうに眉根を寄せる。「いえいえ」と誤魔化したデリックは口角を上げた。


「しかしまあ、ジャレッド様は本当に剣の才能がおありです。これは私が負けるようになる未来も近いかもしれませんね」

「……どうだかな」


 ジャレッドは自身が持っている木剣に視線を落とした。

 体を動かすのは好きだし、身体能力が人並み以上なのは自覚している。それは間違いなく才能だ。その才能を伸ばすための努力も惜しんでいないし、力が身についている実感はある。

 けれど、体術や剣術よりも、魔法の才能がほしかった。フロストの魔法を受け継ぎたかった。


 母ヘンリエッタはフロスト家門の出身だ。リデラインが生まれた家のようなほとんど交流もない傍系ではなく、家門の中枢に近い侯爵家の娘である。しかし、氷の魔法も風の魔法も久しく受け継いでいない、水魔法の家系だった。

 そのこと自体が悪いと言うつもりはない。それでも、フロストの名を持っていながら、ジャレッドは氷どころか風の魔法すらも使えない自分が不甲斐なくて仕方なかった。


「では、俺は騎士団のほうに戻りますが……」

「俺はもう少しここにいる」


 ジャレッドがそう伝えると、デリックが笑う。


「あまりご無理をなさってはいけませんよ。休むことも大事です」


 自主練をするために残ると察したようだ。


「わかってる」

「では、失礼いたします。くれぐれもお怪我はなさいませんよう」

「ああ」


 デリックがいなくなった訓練場で、ジャレッドは吸い込んだ息を深く吐いて木剣を振った。頭の中に浮かぶものを振り払うように。

 剣の訓練に集中できないなんて、あまりなかった。忘れようとしてもなかなか離れてくれないのは、戸籍上は妹になっている少女のことだ。


『私をきらうのは当然です』


 ヒュン! と木剣を思いっきり横に振ったところで、図書室でのことがはっきり脳内で再現される。


「ああ、くそ」


 ジャレッドは木剣を放り投げ、地面に寝転んだ。流れていく雲を眺めてぼうっとする。


「……怒れよ」


 ぽつりと、誰に聞かせるでもなく呟いた。





 空が暗くなり始めるまで訓練場にいたジャレッドが湯浴みを済ませて自室に戻ると、一人掛けソファーに座って本を読んでいるローレンスがいた。足を組んでいる姿が様になっているのは、その恵まれた美貌とスタイルのおかげだろう。

 身内の贔屓目なしに、ローレンスの容姿は人間離れした美しさを持っていると思う。性格も基本的には物腰柔らかで気遣いができるから、異性からは大層人気らしい。

 ――その実、敵とみなした者に対しては容赦がなく冷酷なのは、外部ではあまり知られていない。怒らせてはいけない類いの人間である。


 顔を上げてジャレッドと目を合わせると、この兄は人の部屋に勝手に入っておいて悪びれる様子は一切なく、「やあ」と微笑んだ。

 ジャレッドはタオルで髪を拭きながら、別のソファーに腰掛ける。


「なんの用だよ。あいつに構ってなくていいのか」

「僕の弟妹(きょうだい)はリデルだけじゃないよ」


 ローレンスはしおりを挟んで本を閉じた。


「剣の訓練、順調だってね。副団長が褒めてたよ」

「兄上に比べたらまだまだだ」

「年齢が離れてるから、そこはまあね。そうでないと僕が情けなくて、兄の威厳もあったもんじゃない」


 確かに、六歳も上の兄と比較するのもおかしな話だ。

 しかし、意識せずにはいられない。周りが比較するから。


「でも、僕が十歳の頃よりジャレッドのほうが腕がいいのは確かだ。僕より才能があるし、努力家だよ」


 微笑とともに褒められて、ジャレッドはため息にも似た息を吐く。


「お世辞なんかいらねぇ」

「お世辞じゃないよ」


 立ち上がったローレンスはジャレッドの元まで来ると、ジャレッドの頭にタオル越しに手を乗せて撫でた。目を丸くしたジャレッドは暫し固まる。


「自慢の弟だ」


 優しい声が耳に届いて、ジャレッドは息を呑む。しかしローレンスの腕を押しのけて撫でるのをやめさせた。


「機嫌よくして、あいつにも優しくしてやれよって?」

「そういうつもりはないよ。リデルとどう接するかはジャレッドが決めることだ」


 その言葉に、ジャレッドはまた瞠目して固まる。


『それはあなたが決めることです』


 容姿も、魔法も、――言動も。リデラインのほうが、よっぽど似ている。

 時間が経っても、今日は油断するとすぐに思い浮かんでしまうリデライン。ジャレッドが二つ年上なのに、図書室ではまるでリデラインのほうが年上のように見えた。それくらい、今までのリデラインと何かが違うことがはっきりと窺えた。


「――ジャレッド」


 一点を見つめていると、ローレンスに呼ばれる。


「あまり考えすぎず、自分が思うようにすればいいんだよ」


 穏やかな声音で、兄はそう続けた。

 両親もだけれど、この家はみんな甘いと思う。子供であるリデラインとジャレッドには特に。

 ローレンスだってまだ成人していないのに、兄だからなのか下の二人を常に気にかけ、優先してくれている。その気持ちはいつも感じる。


「父上たちが待ってるけど、食堂には来ない?」


 これから夕食の時間だ。両親はすでに食堂にいるのだろう。

 ジャレッドは少し考えて、口を開いた。


「……行かない」

「そっか、わかった。じゃあまた明日。おやすみ」


 最後にぽんぽんとジャレッドの頭を軽く叩いて、ローレンスは部屋を出ていった。

 その背中を見送ったジャレッドは背もたれに深く身を任せ、ため息を吐いた。


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