18.次兄には嫌われています(第五話)
敵意が込められた目で射抜かれて、リデラインは鍵を持つ手にぎゅっと力を込める。
図書室を利用するには、鍵を管理している者から鍵を借りる必要がある。ベティがリデラインの代わりにそうしてくれたように。
ジャレッドはリデラインを見ても驚いた様子はなかった。リデラインがここにいることをすでに聞いていたのだろう。
それでも、彼はここに現れた。
リデラインがいる場所に、ジャレッドが自ら近づくとは。それほど急ぎで図書室を利用しなければいけない用があるのだろうか。
「……図書室をご利用なら、かぎをお渡しします。私は一度部屋にもどるので。テーブルの本はそのままにしていてくださるとうれしいです」
鍵を渡そうと一歩足を踏み出して、ぴたりと止まる。
嫌いな相手から直接手渡しをされるのは不快なのではないかと、そう思ったからだ。危なかった。彼に近づく前にそこに考えが至ってよかった。
「かぎ、テーブルに置きますね」
そう伝えると、ジャレッドの眉間にしわができる。
「気を遣ってるつもりか?」
「……えっと」
どう返せばいいのかわからなくて悩んでいると、ジャレッドは更に不愉快そうに表情を険しくした。
「兄上に媚び売ってチヤホヤされて楽しいか?」
予想外の質問をされて、リデラインはぱち、と瞬きをする。
どうやら、先程までローレンスがいたことも知っているようだ。
(もしかして、図書室を利用したかったんじゃなくて、ローレンスお兄様を追いかけてきたのかな)
それとも、ローレンスが図書室から出ていくところを目撃していたのだろうか。
リデラインが黙っていると、ジャレッドは苛立たしげに続ける。
「いい子を演じて籠絡するほうがいい思いができるって思って、態度を改めたんだろ。みんなをだまして、裏では笑ってるんだろ」
疑念、憎悪。悪意が容赦なくリデラインに突き刺さる。
「ヨランダを追い出して、次は誰を追い出すんだ? フロストに相応しくない俺か? お前よりよっぽど俺のほうがフロストらしくないからな。散々バカにしてたもんな」
ハッ、とジャレッドは鼻で笑った。
「お兄さま」
「――俺は! お前の兄じゃない!」
カッと顔を赤くして、ジャレッドが怒鳴る。
「お前なんか妹じゃない」
こちらを鋭く睨むジャレッドに、リデラインはきゅっと唇を引き結んだ。
否定されて、リデラインが傷つくのは勝手だ。けれど、それを表に出したくはない。
「そうですね。それはあなたが決めることです」
彼に罪悪感を与えたくない。元はと言えば、リデラインが元凶なのだから。
「私をきらうのは当然です。ですが、ローレンスお兄さまたちのことまで拒絶しないでください。あの人たちはあなたの家族なのですから」
真っ直ぐに見つめて真摯に言うと、ジャレッドは言葉を詰まらせた。それからぷるぷると怒りでなのか、体を震わせる。
「お前はっ、……くそ」
何か他にも言いたそうにしていたけれど、結局ジャレッドはそれ以上は何も言うことなく、荒々しく図書室を後にした。
一人になって静まり返った図書室の中で、視線を落とし、リデラインは息を吐く。体に入っていた力が抜けていく。
ヨランダみたいにこちらも嫌っている相手からの悪意はあまり気にならないし、引きずらずにいられるけれど、そうではない人からの悪意は精神にくる。
(前も、そうだった)
思い出すのは前世のことだ。
『なんで俺がこんなに我慢しないといけないんだよ!』
前世――瑠璃には、弟がいた。二つ下だった。
仲は良かった。ただ、瑠璃の病が判明してからは、色々と苦労をかけてしまった。
入院にも治療にもお金がかかる。金銭的に家庭は今までどおりとはいかなくなり、両親もお見舞いや治療の不安で見るからに疲弊していって、家族の空気感はあまりいいとは言えなかった。親は取り繕おうとしていても、子供というのは敏感なものなのでよく気づく。
不自由のなかった生活は一変した。我慢ばかりさせて、振り回してしまった。瑠璃の知らないところでも、たくさんのものを諦めさせてしまったのだろう。
前世の年齢を考慮するとジャレッドは年下になるので、余計に弟と重なる。自分の都合でジャレッドのことも振り回してしまっている。
ジャレッドは口調や態度が少し粗野な印象を受ける。男の子らしいといえばらしい性格だ。
けれど、根は優しい。小説でも、主人公が平民育ちだと馬鹿にされ、光属性の魔法は珍しいことや王太子との距離も縮まったことでその立場を僻まれ、嫌がらせを受けていたところを、ジャレッドが何回か助けていた。それほど親しくはないうちからだ。
ジャレッドはヨランダの所業を知っている。リデラインのこれまでの振る舞いの原因を。理解してはいるけれど感情が追いついていなくて、まだ受け入れられない状態なのだ。
それほど、リデラインが彼に与えた心の傷が深いということ。リデラインが彼の立場だったとしても、そう簡単に相手を許せなかっただろう。
だから、すぐに仲直りをしてほしいなんて贅沢なことは言えない。言う資格がない。待つべきなのはリデラインのほうで、最終的に受け入れてもらえなかったとしても、文句など言えない。
「――お嬢様?」
その場に佇んでいたリデラインに声がかけられる。図書室の扉を開けて、ベティがこちらに小走りで駆け寄ってきた。
「戻ってこられないので心配しました。ローレンス様が来られたはずでは?」
「……ごめんなさい。お兄さまに言われて戻るつもりだったんだけど、ちょっと考えごとに集中しちゃったわ」
ベティを見上げて、リデラインはにっこりと笑う。
「おなか空いた」
子供らしく、無邪気に。何事もなかったかのように笑った。
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