14.次兄には嫌われています(第一話)
ヨランダを排除したリデラインが次にやるべきことは、公爵家の人たちとの関係を改善することだった。
使用人や騎士たちには、これまでのことを真摯に謝罪して回った。彼らを一箇所に集めてまとめて謝罪をするのではなく、リデラインの方から出向いて一人ひとりに。すると、むしろ恐縮されてしまった。
ヨランダのことがすでに耳に入っている彼らは、子供のリデラインが酷く申し訳なさそうにする姿に心を痛め、またリデラインの個別での謝罪という誠実さに心を打たれ、仕方のないことだったと許してくれた。寛大である。
今では廊下ですれ違うと笑顔で挨拶を交わしたり、こっそりお菓子をくれることもあったりと、距離が縮まっている実感がある。
ただ。当然ながら、みんながみんな、受け入れてくれたわけではない。
朝起きてベティに身支度を手伝ってもらい、リデラインは食堂に向かっていた。家族と朝食をとるためだ。
その途中、廊下の先に人影を視認して歩みを止めた。
青い髪に空色――母であるヘンリエッタと同じ色を持つ少年、ジャレッド。二歳上の次兄だ。
目が合うと、ジャレッドは忌々しそうにこちらを睨み、踵を返して遠ざかっていった。その方向にあるのは食堂ではなく、ジャレッドの自室である。
「お嬢様……」
ジャレッドが行ってしまったほうを見つめて動かないリデラインに、心配げな声がベティからかけられた。
「大丈夫よ、ベティ」
笑みを見せて、リデラインは再び足を動かす。
(仕方ないことだからね)
この家でリデラインをまだ拒絶しているのは、おそらくジャレッドだけだろう。
リデラインはそれを理不尽だとは思わない。ヨランダのせいだから許してほしいなんて、絶対にそんなことは押しつけない。
(仲良くできるなら、それが一番いいけど)
リデラインを許すかどうかはジャレッドが決めることであって、誰かが強制していいことではないのだ。
数日前。ローレンス、ベティ、両親に続いてリデラインが真っ先に謝罪をした相手は、次兄であるジャレッドだった。
『今までごめんなさい、ジャレッドお兄さま。私はおうぼうなふるまいでやしきの人たちをたくさん傷つけてきましたし、一年前、お兄さまに言ってはいけないひどいことを言ってしまいました』
ジャレッドとの軋轢が生じたきっかけである過去のことをまず謝った。けれど、ジャレッドが『わかった』と許すことは当然なく、むしろ激しい怒りを露わにした。
『ふざけんな! 本当は悪いとも思ってないくせに、今更……っ』
ギリ、と歯軋りをして、膨れ上がる感情のままに握りしめた拳を震わせて。
『俺はだまされない。お前がこんな簡単に変わるわけない。猫被って何企んでるか知らないが、そう上手くいくと思い上がるなよ』
そう吐き捨てたジャレッドから向けられた負の感情は、リデラインが受け止めるべきもので。申し訳なさが募るばかりだった。
「――お嬢様。到着しましたよ」
ベティの声で、数日前の記憶から現実に引き戻される。
食堂の扉の前にいつの間にか立っていた。考えごとをしていたリデラインをベティが上手く誘導してくれたようだ。
「リデル」
食堂に入る前に名前を呼ばれてそちらを見れば、ローレンスがこちらに向かって歩いてきていた。
「おはよう」
ふわりと微笑むローレンスは朝からかっこよさレベルがカンストしていて、リデラインの心臓に負荷をかける。
「……おはようございます、お兄さま」
頭の中では「かっこいいかっこいいお兄様好きかっこいい好き」と感情が暴れ回っているけれど、理性を総動員して抑え込み、笑顔で挨拶を返す。
嬉しそうに目を細めたローレンスは食堂の扉を開け、片手をこちらに差し出した。そうして甘い声で、囁くように誘うのだ。
「どうぞ、僕のお姫様」
(かっこいい!!)
やっぱり物腰柔らかな振る舞いが似合いすぎる。王子より王子様だ。
興奮で少し震えながら手をのせれば、優しく握られる。そのまま連れられて席の近くに行くと、ローレンスが椅子を引いたのでリデラインはそこに座った。ローレンスは隣に。
「今日はクロワッサンがあるらしいよ」
「クロワッサン……!」
「好きだよね、リデル。チョコクロワッサンもあるって」
「チョコクロワッサン……!」
ローレンスからの情報に目を輝かせたり、他愛のない話をしたり。
そうして時間を潰していると、両親が揃って食堂に現れた。
「おはよう、二人とも」
「おはよう」
「おはようございます」
「おはようございます」
デイヴィッドのエスコートでローレンスの向かいの席に座ったヘンリエッタが、自身の隣の空席を見て落胆を見せる。
「ジャレッドは今日も来ないのね……」
上座に腰掛けたデイヴィッドも眉尻を下げた。
「……すみません」
リデラインが思わず謝罪の言葉を口にすると、ヘンリエッタがはっとした。
「大丈夫よ、リデラインのせいじゃないわ。まだ時間が必要なだけなのよ」
笑顔を見せるヘンリエッタだけれど、寂しそうにしているのは隠せていない。
ヘンリエッタはきっと、リデラインさえ変わればこの家は元通りになると、わずかな期待を抱いていたはずだ。リデラインとジャレッドの間にあったあの出来事を知らないから。
「やっぱり、一緒にお食事はやめたほうがいいかもしれません。ジャレッドお兄さまがご一緒できないのは望ましくないことですから」
これは遠慮とは違う。ただ、みんなには気兼ねなくリデラインよりもジャレッドのことを優先してほしいだけだ。リデラインのほうが中身は年上だし、拗れてしまった原因はリデラインにあるから。
そう思うものの、やはり気を遣っていると思われてしまっているのだろう。デイヴィッドが「あまり気にしないでくれ」と言う。
「ジャレッドはここで食事をとるほうが珍しい。リデラインが今までどおり自室で食事をとったからといって、ジャレッドがここに同席してくれるわけではないからな」
それだって、家族がリデラインを気にかけていることに不満を持っているからなのだ。結局はリデラインのせいなのである。
視線を落としていると、ローレンスの「父上」という声が耳に届く。
「このままではリデルも気に病んでしまいますし、ジャレッドは除け者にされていると感じてしまうかもしれません」
「確かにな……」
「こうしてリデルとの食事の時間を設けるのは数日に一回にする、というのはどうでしょうか。リデルがいない時間を作ることで、ジャレッドのことも心配なのだとしっかり意思を示すことが重要だと思います」
その提案に、デイヴィッドは考えるように目を伏せた。それからゆっくり口を開く。
「そうしよう。……ヘンリエッタ」
「そうね……まずはローレンスの言ったとおりにしてみて、様子を見ましょう」
ヘンリエッタが頷き、デイヴィッドの視線はリデラインに向けられる。
「リデラインもそれで構わないか?」
「はい」
「すまないな」
「いいえ。お父さまが謝罪なさるようなことではありません」
そう伝えると、それでもデイヴィッドは申し訳なさそうにしていた。




