101.討伐開始です(第五話)
討伐開始から時間が経つごとに、負傷で拠点に戻ってくる者が増えた。負傷者が離脱したことで人数が減ってしまい、安全を優先して討伐を中断、拠点に戻ってきた班もある。
どうも魔物の行動範囲が事前調査で把握していたものと異なっているようで、深部にいるはずの強力な魔物が森の中腹地点を徘徊している例がいくつかあるようだ。そのせいで例年より負傷者が多くなっているらしい。
「ありがとうございます、お嬢様、ケヴィン」
「いえ」
ケヴィンと協力しながら騎士の足に包帯を巻き終えると、騎士からお礼を告げられた。リデラインは笑顔を見せて、救急箱の中身を確認しながら思考を巡らせる。
(初日から異常事態が起こってるってことだよね)
昨年まではなかった魔物の行動範囲の変化。もっと言えば、騎士がストウ森内の最終確認をした今朝まではなかったであろう異変だ。
まだ討伐初日だというのに、もしかすると最初の被毒者は今日現れるのだろうか。その可能性は考えていたけれど、いざその時が着々と迫ってきていることを実感すると緊張感が一層増す。
救急箱の中身を補充して水分補給をしたところでズキンと頭に痛みが走り、リデラインは表情を歪めた。
この感覚は知っている。
『ストウ森の討伐で――の毒が体内に入ったらしい。そいつも周りもそのことに気づかず、そいつはそのうち体調不良を訴えて一時的に伯爵邸で預かることになったそうだ。それで一気に毒が蔓延して、――』
痛みに呼応するように、小説のジャレッドの台詞が頭に浮かんだ。主人公に伯爵領で多くの死者が出た時のことを説明している場面だ。
(毒……)
やはり、毒という予感は当たっていた。しかしその続きは浮かんでこなくて歯痒い。
どの魔物の毒なのか、解毒薬の残りの材料はなんなのか、――誰が最初の被毒者なのか。そもそも、被毒者の明確な名前が小説に出ていたのかすらも怪しい。小説とは違う者が最初の被毒者となる可能性もある以上、自力で見つけるほかないのかもしれない。プレッシャーに押し潰されそうだ。
「お嬢様、頭が痛むんですか?」
頭を押さえて苦しそうにしているリデラインを見たケヴィンの心配は当然のものだった。
「……大丈夫よ。少し疲れたのかも」
「顔色悪いですよ」
ケヴィンのその一言には、自分たちのテントに戻って休んだほうがいいのではないかという意味が込められている。けれど、そうするわけにはいかない。
討伐から戻ってくる者をできる限り多くこの目で確認したい。魔物由来の毒は、魔力に敏感なリデラインであれば感知することが可能なはずなのだ。
「お嬢様」
普段はあまり緊張感のないケヴィンが真剣な顔をしている。大人しく休むよう促す声音にも、リデラインは首を縦に振らなかった。この場を離れたくないというのもあるけれど、頭痛の原因と、そのうち治まることを理解しているからだ。
最初に前世の記憶が蘇った時はあまりの痛さに気を失ったし、熱で寝込んでいた。それは思い出した記憶が多すぎて、情報量に体が追いつかなかったのだろう。今回はほんの一部分の記憶で、気絶するほどではない。
「リデライン。頭が痛いの?」
別の負傷者の処置を終えたヘンリエッタがリデラインの様子に気づいて駆け寄ってきた。
「一度休んだほうが」
「平気です。落ち着いてきました」
強がりではなく事実だった。痛みは徐々に引いている。
「……外の空気を吸うと気分がもっと和らぐかもしれないわね」
「お母様」
「テントに戻りたくなくても、休憩は必要だわ。その調子でお仕事をして、もし何か失敗したら大変なことになるのよ」
手当てで何かミスをしたらとても笑えない。ヘンリエッタの言うことは正しい。
「そう、ですね」
「医療用テントからは離れないようにするのよ?」
「はい。ごめんなさい」
「謝ることではないわ。ケヴィン、お願いね」
「はい」
ケヴィンと共に、リデラインはテントの外に出た。出入り口とほど近いところに備品を入れていた空の木箱が置かれていたのでそれに座る。頭はまだズキズキと痛むけれど、だいぶ楽になった。
「ローレンス様やジャレッド様の過保護は間違いじゃないかもですね」
「否定できない……」
頭痛は記憶が蘇る前兆の症状なので、決してリデラインの体が弱いわけではない。それでも最近のリデラインは倒れたり体調を崩したりといったことが短い期間に何度かあったので、心配されても仕方がないと承知はしていた。
持ってきた飲み物に口をつけながら、皆が動く姿を眺めて頭痛が完全に治るのを待つ。
数分ほどした頃だ。隣の医療用テントから出てきた少年が、こちらを見て驚愕した。
「お嬢様!」
タヴァナー子爵の次男、ジョナスだ。
「どこか具合が悪いのですか?」
心の底からリデラインの体を案じていることが伝わってくる必死な表情だった。自分では確認できないけれど、それほどリデラインの顔色が悪いらしい。
心配してもらっているのに、ありがたいとか申し訳ないとかそんな感情よりも、真っ先にリデラインの中に浮かんだのは別の罪悪感だった。
(お兄様から近づくなって言われたのに)
この少年がリデラインに好意を抱いていることは察している。挨拶の際の彼の反応はとてもわかりやすいものだったのだから、気づかないほうがおかしいだろう。
しかし、リデラインは彼に興味がない。ローレンスからの言いつけもあるため、構ってこないでほしいというのが正直な気持ちだった。
「少し休憩しているだけですわ。お気になさらず」
笑顔を見せても当然ながら納得するはずもなく、ジョナスは「ですが……」と口を開く。
「ジョナス様ー!」
彼の声に重なったのは、彼の指導係であろう人物の声だ。
「呼ばれていますよ」
「はい……」
ジョナスは最後までこちらを気にしたまま、指導係の元に走っていった。
「お嬢様、罪な女ですね」
「どこを見てそう思うの」
「お嬢様が笑顔なんて向けたらもっと夢中にさせるだけじゃないですか。顔の良さ自覚してるんなら安易に愛想良くしないほうがいいですよ」
子供なのに、とリデラインは思った。




