10.悪者退治です(第五話)
ヨランダは騎士に連行され、公爵邸の地下にある一室に監禁された。公爵夫妻が外出しているので、夫妻が帰宅し、これまでの経緯を詳しくリデラインに確認してから処分を決めるそうだ。
長年仕えていたヨランダの問題行動である。当主ではないローレンス一人で話を進められるほど単純な事案ではないので、真っ当な判断だろう。
必死になってローレンスに慈悲を求めていたヨランダは、ヨランダを騎士に任せたあとはリデラインだけを視界に映して気遣うローレンスの姿にひどくショックを受けたようで、最後には脱力して「どうして、どうして……」とぶつぶつ呟き続けた状態で連れて行かれた。
ヨランダの処分がどうなるかはわからないけれど、公爵家から追い出されることは確定しただろう。リデラインの目的は達成されるはずだ。
それに、ローレンスから見捨てられた彼女の憐れな姿を目の当たりにして、溜飲が下がった。性格が悪いとは自覚しているけれど、それくらいは許されてもいいと思う。
最初はヨランダの所業の証拠をローレンスの手に渡すだけで充分だと考えていた。けれどふと、疑問が浮かんだのだ。本当にそれだけでいいのだろうかと。
リデラインは一年以上も苦しんできた。信じたい人たちを疑うしかなくて、悲しみと苦しみに押し潰されそうだった。たくさん周りの人たちを攻撃して傷つけて、自分の心も傷つけた。ヨランダのせいでずっと。
だから、ただ証拠を掴んで彼女の罪を暴くだけでは足りないと感じた。今までの苦痛に見合っていないと。
直接、ヨランダに仕返しがしたかったのだ。
彼女はフロスト公爵家と、公爵家に四十年以上仕えている自分を誇りに思っている。そのため、ヨランダが取り乱す姿をいろんな人に目撃させるために、あえてエントランスホールで挑発した。
確実に上手くいくという保証はなかったけれど、思惑どおり、ヨランダは醜態を晒してくれた。八歳の子供にしてやられるなんて、ヨランダもかなり悔しい思いをしただろう。
驚くほどに、何もかもが上手くいった。
やるべきことを終えたリデラインは現在、ローレンスと共に自室にいる。
ここまではローレンスにお姫様抱っこで連れてこられて、とても恥ずかしくて仕方がなかった。使用人たちからの視線が痛かった。けれど、リデラインを運ぶローレンスの表情があまりにも真剣で思い詰めていたので、つられて大人しくし、身を委ねることになった。
そして、自室の椅子に降ろされたリデラインの目の前でローレンスは片膝をつき、リデラインの手を包み込むように握っている。
「リデル。僕たちが彼女の本性を見抜けなかったせいで、つらい思いをさせてしまった。ごめんね。本当にごめん」
謝罪するローレンスの表情は後悔や申し訳なさに塗りつぶされていて、こちらまで心が痛くなるほど切実だった。
リデラインは視線を落とす。こんな顔をさせてしまった原因の一端を自分が担っていると思うと、その顔を見つめていることができなかった。
「私の方こそ、申し訳ありません」
そう口にすると、ローレンスが目を丸めたのが気配でわかった。リデラインの手を包む彼の手に優しく力が込められる。
「どうしてリデルが謝るの?」
「こうしゃく家のちゅうじつな家臣を、私のせいで失わせてしまいました」
ヨランダを追い出そうと決意し実行したことに後悔はない。四十年という長い年月をかけてこの公爵家で構築された彼女のプライドや価値観は並大抵のものではなく、彼女にとっては正しい行いでしかない『罪』が露呈したところで、その本質が変わるとも思えないからだ。
ただ、ヨランダは兄たちや公爵の世話係も務めていた。彼らが生まれる前からこの家の住人だった。彼らにとってはかけがえのない人だったはずだ。リデラインの世話を任せたのも信頼の証で、それほどヨランダがフロスト家の中で大きな存在だったということにほかならない。
「あれを忠実な家臣とは言わないんだよ。むしろ僕たちはリデルに感謝しないといけないくらいだ。忠誠心の皮を被った歪な執着を持つ害悪を炙り出せたんだからね」
「ですが……」
確かに、純粋な忠誠心ではなかった。
それでも、外部から入ってきたリデラインという人間が、公爵家の平和な生活を歪めてしまったのは事実だ。
リデラインがそんな気持ちに囚われていることを察したようで、ローレンスは「リデル」と柔らかい声を響かせる。
「リデルが原因でなくとも、いずれ彼女は問題を起こしていただろう。弁えない者というのはそういうものだよ。だから責任を感じる必要はない」
伸ばされた手がリデラインの頬に触れて、指が肌の上を滑る。
「それより、リデルが傷ついたことの方が重大な問題だ。一年も……ずっと、苦しかっただろう?」
自然とリデラインは顔を上げ、ローレンスと目を合わせた。
やはり、ローレンスは心苦しそうな表情をしている。
「リデルはちゃんと僕たちを信じようとしてくれていたのに、僕たちはその邪魔をしている存在に気づけなかった。それどころかリデルの世話まで任せてしまって……これでは兄失格だね」
「お兄さまは悪くありません」
自嘲した笑みを浮かべるローレンスの言葉を力強く否定する。
「ヨランダが勝手にしたことです。むしろ私だって、お兄さまたちの気持ちに気づくのに一年以上もかかってしまいました」
実際には気づいたのではなく、前世の知識だけれど。
すれ違いの原因を取り除くことはできた。それでも、この一年が戻ってくるわけではない。やり直すことなどできない。
「いいようにあやつられて、みんなをうたがって、たくさん傷つけました」
この一年の記憶が、リデラインの頭の中にぶわっと流れてくる。
みんな、とても優しかった。リデラインが変わっても、みんな戸惑いつつも積極的に声をかけてくれたり、様子を見てそっとしてくれたり、気遣われていた。
それなのに、リデラインは全部に疑心暗鬼になって、素直に受け取ることができなかった。心を許して裏切られることに恐怖心を抱き、怯えていたから。
みんなが離れていったのは必然だった。ローレンスとベティ、未だ気にかけてくれている公爵夫妻が特別なのだ。
「いいんだよ、リデル。もう気にやまないでくれ」
「ならお兄様も、これ以上ご自分を責めないでくださいね?」
「……わかったよ」
観念したローレンスが承諾してくれたので、リデラインはにっこりと笑った。
「いつもとちがう冷酷なお兄さま、かっこよかったです」
素直な感想を述べると、ローレンスは固まった。それから口元を手で隠して目を逸らす。
「忘れてくれ……リデルの前であんな姿は見せたくなかった」
不本意そうに眉を寄せているローレンスの頬や耳が赤くなっている。リデラインの心が鷲掴みにされた。
「照れてるお兄さま、かわいいです」
「本当にやめてくれ……」
ますます恥ずかしそうに今度は目元を覆って項垂れたローレンスに、リデラインは脳内で「きゃああかっこ可愛い!」と興奮のままに叫んでいた。
すると、部屋の扉が開かれた。
「お嬢様ぁぁ!」
ヨランダ追い出し作戦の決行中、鉢合わせることがないようにとベティには別の仕事をしていてとお願いしていたのだけれど、別の使用人から報告でもいったのだろう。現れたベティはローレンスには目もくれず、ぎゅうっとリデラインを抱きしめる。
「まさかヨランダ様があのようなことを……気づけなくて申し訳ありません……!」
「ベティは何も悪くないわ」
体を離して、ベティと目を合わせる。
「ずっと見捨てないでいてくれて、本当にうれしかったの」
「お嬢様……」
涙を滲ませたベティはリデラインの手を包み込むように握ると、キリッと表情に力を入れる。
「これからはお悩みやご不安、どのような些細なことであっても、このベティにご相談ください! お一人で抱え込まないでくださいね!」
「ありがとう、ベティ」
笑いを零したリデラインをローレンスが抱き寄せ、ベティにはどこか不満そうな眼差しを向ける。
「その役目は譲れないね。それと、今回は大目に見るけど、ノックは忘れないように」
そんな注意がベティになされたのだった。
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