起
どんな探し物でも見つける不思議な探偵事務所を知っているだろうか。不貞の証拠、形のわからない遺品、かと思えば、普通に迷い猫。本当になんでも見つけてしまう、界隈では有名な探偵事務所。
あなたも何かを探すのに手間取ったときは、その探偵事務所を訪ねてみるといい。
その探偵事務所の名前は──
結城児童養護施設。
髪を二つ結びにした女の子は、施設の裏側でそわそわとしていた。まるで誰かを待っているようだ。
そこへ現れたのは猫だった。野良にしては毛並みが良い。
「れいちゃん、いらっしゃい」
女の子が手を広げると、れいと呼ばれた白猫は、すん、とその鮮やかな緑の瞳を背ける。
素っ気ない猫の態度に、女の子はがん、とショックを受けた。じわじわとその目に涙が滲んでくる。大きな目が潤んで、今にも零れ落ちそうだ。
と思ったら、れいという白猫は、女の子の腕の中にひょい、と飛び込む。不意のことだったので、女の子はバランスを崩して、しりもちをついてしまう。
「れ、れい?」
女の子が猫を見ると、れいは女の子の上から降りた。ふと、手の中に黄色い花があることに気づく。どこにでもあるような可憐な花だが、普段、施設から出ることのない女の子にとっては、宝石のように輝いて見えた。
「なぁーん」
「れいが持ってきてくれたの?」
「みゃ」
「わたしにくれるの?」
「みゃう」
「ありがとう、れい!」
二人は友だちだった。
午睡の夢から笑萌を覚ましたのは、何かが焼ける芳ばしい匂いだった。笑萌はぱちり、と十数年経った今も大きいままの目を開けて、体を起こす。ソファの上だ。笑萌の体にはブランケットがかけられていた。
「あ、そろそろ起きる頃だと思った」
心地よいバリトンくらいの低い声。背高のっぽの青年が、キッチンからお盆を持って出てくる。
「おはよう、笑萌」
「おはよう、莉桜ちゃん」
結城笑萌。それが二十五歳の彼女の名前である。今は探偵事務所を営んでいる。
食事を運んできた見た目年齢が三十を超えていそうな彼は小川莉桜。笑萌の探偵助手である。こう見えて現役高校生だ。不登校児ではあるが。
笑萌の優秀な助手は家事スキルが高い。不登校はいかがなものか、と思うのだが、親友の遺品の事件を解決してから、三日に一回くらいは学校に行くようになった莉桜。まあ、やはり学校はつまらないらしく、早退してくることが多い。莉桜は頭がよすぎるのだ。家事スキルが高く、料理は絶品。莉桜が学校のときの昼食をちょっと味気ないな、と思う程度には、笑萌の胃袋は掴まれていた。
「今日のランチは?」
「ハムとチーズのフレンチトースト、グリルソーセージ付き」
「やったぁ」
ハムとチーズを挟んだフレンチトースト。たまごとミルクの香る甘さとハムとチーズの塩気が絶妙なバランスでもって舌の上で優雅に踊る、莉桜の軽食シリーズの一つだ。てりてりに焼かれたグリルソーセージが添えられているのも魅力的である。グリーンサラダの添え方が見栄えの良いワンプレートだ。
「いただきます」
「召し上がれ」
「あれ、莉桜ちゃんは?」
笑萌が問いかけると、莉桜が呆れた顔をした。棚から地図を引っこ抜く。
「昨日引き受けた依頼、忘れたのか? 今日捜索に出る話だっただろう。猫はすばしっこいんだ」
言われて、笑萌は思い出す。
昨日の夕方、結城探偵事務所に尋ね人が来た。
新井という女性は、笑萌も会ったことがあった。彼女の依頼は猫の捜索。
「笑萌ちゃん、覚えているかな。白猫のれい」
「れいちゃんって、あの緑の目の?」
笑萌も幼い頃親しかった野良猫。それを引き取ったのが新井だった。笑萌は猫を通じて新井と知り合ったのだ。
依頼はその白猫のれいを探すこと。
「最近、ちょくちょくいなくなることがあったの。でも、猫ってテリトリーを巡回するものだから、あまり気にしていなくて……れいはふらっといなくても、三日後には定位置でふにゃあっと欠伸をしているような子だから、あまり心配していなかったのだけれど、いなくなってから十日も経って、だんだん不安になってきて」
まあ、よくある迷い猫の話ではあった。
けれど、笑萌の顔を見て、新井はからっとした笑顔を見せる。
「でも、笑萌ちゃんなら、きっと見つけてくれるわよね。この探偵事務所の評判とか関係なく、笑萌ちゃんはれいと仲良しだもの。娘なんか、れいちゃんが全然懐いてくれなくて、私が時々話す笑萌ちゃんのこと、妬いているのよ」
「あはは。れいはお澄まし猫ですもんね」
……なんて、会話をした。
澄ました顔をして素っ気ない態度を取る、美しい猫。それがれいだ。だからあんな夢を見たのだな、と笑萌はソーセージを囓りながら納得する。
で、莉桜はというと、体を動かすときはなるべく腹に物を入れておきたくない、と言っていた。その方が動きやすいらしい。
「ほーひえあ、ひょうはっふぉうらならっらっれ?」
「口に入れながら喋らない。……学校は休みましたよ。バイトですもん」
笑萌はむっとして、口の中のソーセージを咀嚼する。噛めば噛むほど美味しくなるのが悔しい、と思いながら飲み込む。
「バイトを口実に学校休むんじゃありません。ちゃんと青春を謳歌しなさい、若者よ」
「俺を若者とか言えるほど、あんた年離れてないでしょ」
「成人済みですー!」
「それに、笑萌一人じゃ心配だし」
「成人済みですー!」
莉桜は軽く肩を竦めるだけだった。これではどちらが年上かわからない。
「以前言った通り、犬よか猫のが迷子になりやすいです。犬にも猫にも帰巣本能は存在しますが、猫の中には更に体内地図が存在します。猫は散歩するごとに居心地のいい場所を体内地図として更新していくので、帰り道がわからなくなることがあるため、行方知れずになることが犬より多い。
更に今回捜索を依頼された猫は笑萌の幼い頃から生きている、長生きの猫です。人間に例えるなら八十くらいですかね? とりあえず老猫であるにちがいない」
「お年寄りみたいに言わないでよ」
いえ、と莉桜は地図のある場所を指す。
そこは笑萌が幼い頃にいた施設だった。
「あくまで、可能性の話ですが、古い地図のことを思い出しているかもしれない。新井さんの家からは少し離れています。可能性のある場所から潰す。笑萌、頼りにしてますよ」
言葉と共に、莉桜は紙パックのコーヒー牛乳を差し出す。
ふふん、と笑萌は機嫌よく受け取った。
「まっかせなさーい」