レン
自分が死んだ瞬間のことは良く覚えてる。
めったに降らない雪の日、学校に行く途中、スリップした車にはねられた。俺めがけてきたから、死んだのはたぶん俺だけ。本当についてないよな。
痛くて、でもだんだん感覚がなくなっていって、あぁ俺死ぬなって分かった。
それで、八杉蓮の人生は終わった。両親、友達、彼女の顔が浮かぶ。
ごめんな、みんな。
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「人の子よ。良く聞くがいい」
不思議な空間だ。
明るいのか暗いのか良く分からない。俺死んだよな。
「そう、お前は死んだ。再度出生する前に、我が下命を拝す名誉をやろう」
なんだ、このクソ偉そうな声は。急に死んだばっかりの人間に意味の分からんことを言ってんじゃねぇぞ。
「矮小なお前が我が声を聞ける僥倖を尊ぶことはあっても、悪態を吐くとは。時間も惜しいのだ。即座に聞け」
何をされたのかは分からないが、急に視界が変わり、可愛らしい女の子が目の前に映った。誰だよ、これ。
「お前の母だ」
ちょっと何言ってるか、分かりません。
「余計なことは考えずにただ聞くがよい。お前は出生した後に、ちょっとした使命を果たしてもらう。この女はお前を産む母だ。お前の母は元々縁を結んでいた男ではなく、別の男と番になろうとしている。誰と番になってもお前は生まれるが、お前が生育される環境は全く変化する。お前は使命の達成に苦労することになるだろう。我としても面倒だ。お前の親のことなのだから自分で何とかするがいい」
ぱっ、ぱっと視界が変わり、優しそうな男、神経質そうな男が見えた。この優しそうな男があの子の本来の相手ってことか。
「そうだ。では行け」
はぁ?いやいや、お前がやれよ。なんで俺が。おかしいだろ。
「我の力はあまりに強大すぎる。思わぬ歪みが出るだろう。お前程度がちょうどいい」
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—気づいたら、俺はアイの中にいた。
アイの中にいる間は、あの不思議な空間の出来事は全く思い出せない。何かやるべき事があるような気がするが、分からない。
しかも、俺は何もできない。
『アイ!おーい、もう休んだら?』
アイリーンというこの少女は、十八歳らしい。鏡で見る顔は結構可愛いと思うし、お嬢様だから身なりも常に綺麗に整えられている。
俺は気づいたらこの子の中にいて、ひたすらに彼女の体験を共有していた。アイの味覚や視覚、強い感情は自分のもののような感覚で伝わってくる。
体の外には出られない。声を出しても聞こえていない。手も足も何一つ動かせない。
俺は努力した。色々試した。
大声をだしてみたり。囁いてみたり。時間を変えて、趣向を変えて。
でも何一つ思い通りにならなかった。
俺は諦めた。だってどうしようもないもんな。ぼーっとしているのも暇だから、だれにも聞こえてないのにずっと喋り続けている。まぁ元々俺は独り言が多かったんだ。
アイリーンも、長いし呼びにくいからアイと呼ぶようになった。その方が可愛いし、日本人みたいで親近感が湧くからな。
一人で喋って、アイが食べるものを楽しんで、そんな風に過ごしてたらそのうち成仏できるだろ。
ずっと一緒にいて分かったことだが、アイは優しくて真面目だ。家族にも使用人にも愛されている。
でも、多分アイは幸せじゃないだろう。
「お嬢様、奥様が心配されてましたよ。もう休まれては?」
「ありがとうミリー。でも明日ケネス様がいらっしゃるのに、確認は怠れないわ」
『あんなハゲのために頑張る必要ないって~』
アイの婚約者だという男は、俺から見たら何の魅力もないクソみたいな男だった。
アイは気づいてないみたいだけど、あいつは時々すごい形相でアイを睨んでいる。最初はどうか知らないが、いろんな思いがこじれまくった挙句にDVモラハラ野郎に進化したようだ。理不尽な自分の言動にアイが従っているのを確認したいクズだ。
クズのせいで、アイは周りがどれだけ自分を心配してるかも、自分が笑えなくなっていることも気づかないほど追い詰められている。
『まじで、あんな奴と結婚するのやめとけ、アイ』
俺はあいつを見ると虫唾が走るようになった。ユーレイなのに。
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「はっ!!」
「貴様は一人でようあれだけ話ができるものよ」
ここは、あの不思議な空間。そして、あの偉そうな声。
「あれ?俺、また死んだ?」
前回と違い、声が出る。
アイの中にいる記憶と、前回の記憶がつながる。
やっぱアイとあのクソは別れさせないと駄目なんだな。
「おい、俺また死んだのか?」
「そもそも生きておらぬのに死ねぬわ。中々愉快だったぞ。貴様が必死でなにやらあがいているのを見ていると久方ぶりに笑いが出たわ」
「てゆーか!あんな状況で何もできないっつーの!どーしろって言うんだよ!」
「それもそうだ。ついつい、眺めているのが愉快でな。貴様、あのような状況で恨みも持たずあの女を気遣っている。やはり並の魂ではない」
「また訳の分からんことを。俺を働かせたいなら、できる環境にしてくれよ」
「そうしてやろう。どちらにせよ、ここでの会話は下界に行くと忘却する。せいぜい励むがよい」