レン
平気そうに見えても、アイの心の傷は深かったようだ。
当然だろうな。あんな陰険に、徹底的に自尊心を貶められたんだ。平気な方がおかしい。
外に出たがらないし、次の男を探す気配もない。
アイ自身が自分の立場を理解している以上、俺は余計な事は言わない。
クッキーをねだって、散歩したり、本を読んだり、話をする。日本の話とか、アイ自身の話。
そうこうしていると、親父さんが眼鏡を忘れるという事件が発生した。
アイは普通に心配してるけど、俺は気づいている。これは完全に仕込みだ。ダンの挙動が不自然だし、親父も大事なものをわざとらしく忘れすぎだからな。
でもそれをアイに教えるような真似はしない。俺は空気が読める日本人だから。
王宮に行くと、案内役という男がきた。爽やかで真面目そうなやつだ。物腰も柔らかい。俺は直感的に理解した。
(アイの相手だ)
二人が話してる時間は短かったけど、アイは完全に惚れたようだ。感情が伝わるっていうのは、こういう時便利だよな。
俺が見た限りでは、アイの相手としてかなり良い男っぽい。アイと雰囲気が似てるっていうかな。
しかも名前がユージーン、だったか?つまりユージ君だ。アイとユージ。完全にお似合いだろ。
アイは完全に恋する乙女モードだ。ユージ君のことばかり考えている。直球で親父にユージ君のことを聞いちゃったのは笑えた。まぁそれで話が早かったし結果オーライだ。
親父の反応を見る限り、二人を引き合わせるために眼鏡の仕込みをしたことは確実だ。ユージ君を婿にしたいぐらい気に入ってるってことだな。
ユージ君がアイに会いに来るようになった。
その時間は完全に二人の世界で、誰も割り込めない雰囲気になってる。俺もご馳走様だよ。お前ら完全に両想いじゃねぇか。
親父もこれ以上様子見する必要なし、と婚約の話を進めるようだ。
ただ、アイは最後の勇気が出ないようだ。俺はユージ君のことを推しておいた。
安心しろ、アイ。ユージ君はいい奴だ。俺、そういうの分かるんだよ。
王宮であのハゲと遭遇したときはびびった。
だって、見た目が完全に別人だ。しかも思考がヤバめな方向にイってしまってる。一体どうしたらアイがお前に未練があるっていう結論に達するんだ?
これはお触り禁止案件だ。アイ、すぐに離れろ!
ハゲは思い通りにならないと暴力で支配しようとする危険なやつだ。
俺は、無力だ。ユーレイだから。分かっていても、こういうとき何もできない。
「ハワード侯爵子息。私があなたをお慕いしていたことはございません。婚約解消は私も望むことでした。このような狼藉はお止めください。大声を出しますよ」
アイは、かっこよくなっていた。男に腕を掴まれて威嚇されても、言うべきことを言う。
俺は感動した。あんなに自分を卑下して、周りも見えず、自分さえ我慢すれば解決すると思い込んでた女の子が、自分を鼓舞して立ち向かっている。
そんなアイには、ヒーローがいる訳で。
颯爽と現れたユージ君に勝てる訳もなく、ハゲはすごすごと退散だ。
ざまぁってやつか?いい気味だな。
ユージ君はそれから跪いてアイを口説きだした。長身イケメンがやると絵になる。
「例えあなたが私と同じ気持ちでなくとも、私はアイリーン嬢を愛し守りたい。その権利をいただけませんか。どうか、私と結婚してください」
アイは感動とユージ君への愛情に満たされながら、プロポーズを受け入れる。
映画みたいな、嘘みたいな完璧なシーンだ。
そうだ。これがあるべき姿だったんだ。
『良かったなぁ。あるべきところに収まったよ』
俺は、心底二人を祝福すると共に、自分の役目を終えたことを理解した。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
「やはり我の采配に間違いはなかった」
「自画自賛かよ」
こいつは自分の功績だと思っているらしい。実際俺は大したことしてないし、いいけどさ。
「そなたは出生まで眠るがよい」
「突然俺が消えたらアイも驚くだろ。挨拶ぐらいさせろよ」
「本来であればそなたのような存在が下界にいることは好ましいことではないのだ」
何言ってんだこいつ。
「お前がそうしたんだろ。今更だよ、いまさら!」
「ふむ。まぁよい。しばしの間だ」
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
アイの中で起きている時間が短く、間が空くようになった。
アイとユージ君は仲睦まじく結婚の準備をしているみたいだ。俺は何となく分かっている。多分、二人が結婚したら、もう終わりだろう。
湿っぽいのは苦手だ。できれば明るく終わりたい。
二人の結婚式の日に、起きていられればいい。
その願いは叶えられた。
めったにないほどの晴天に、色とりどりの花。着飾った出席者は皆二人を祝福している。
アイは世界一綺麗な花嫁で、ユージ君は見とれていた。
おめでとう。おめでとう。
皆が泣き笑いで二人を祝っている。
アイ、良かったな。本当に良かった。
アイにもう出て来られないことを伝える。
泣き出してしまった。
泣いた顔が最後なんて、そんなの嫌だろ。
幸せになったんだ。笑顔で終わろうぜ。
アイには言わないけど、また会えるような気がしてるんだ。
ユージ君と仲良くやってくれよ。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
「満足したか?」
「あぁ。もういい。ありがとな」
「そなたは期待通りの働きをした。何か望みはあるか?前の世の記憶を保持したいのなら、そうしてやろう。特別な能力もできる限りであれば応えてやる」
なんだそれ。チートってやつか?
「そんなのいらねぇよ。使命ってやつが実現できる程度に健康ならそれでいい」
「そなたが情を交わしていた女をこちらに出生させることもできる」
「じ、情?ミナのことか?やめろよ。絶対やめろ。それ、日本で死ぬってことだろ。可哀そうだろ!」
死ぬ前の俺にはミナという彼女がいた。ミナから告白されて始まった付き合いだったけど、当然俺も彼女が好きだった。
「なぜだ。人の子はいつか死ぬ。少々早めたところで何が変わるというのだ」
こいつ、まじで優しさっていうか、共感能力がないよな。神みたいなやつのくせに。
「大違いだろうが!親も、友達も悲しむし、誰だって死にたくなんてない。もっと生きられるやつを死なせるなんて、やめろ」
「そうか。そなたも本来の寿命より二年ほど早く死んだのだぞ。母の運命を元の道に戻すために」
「はぁ…なんだそれ…ひっでぇなー…」
そんな気はしてたけど。言うなよ。俺に。そんで、元々十八で死ぬ運命だったのかよ。
「そなたの葬式は、皆が泣いていた」
「そりゃいきなり死んだら泣くだろ」
「そなたは魂の格が違うのだ。だからこそ、周囲はそなたに惹かれ、愛する。使命を授かる者もそうそうおらぬし、我が矮小な人の子をここまで構うこともあり得ないことだ」
「魂とか良く分かんないけどな」
「そなただからこそ、そなたの母は本来の道に立ち戻ったのだ。たかだか二年程度、飲み込め」
こいつには何を言っても無駄だろう。
でも。
「おまえ、謝ってるんだな。一応悪いと思ってるんだ」
「どう受け止めようが自由だ。それで、記憶の保持も、特別な能力もいらぬのだな」
「いらない。目標ってのはさ、簡単に達成してもつまんねぇだろ。努力して足掻く時間も、大切だからな。ていうか、そもそも俺の使命ってなんだよ」
「それは──」
それから、俺の記憶はきれいさっぱりなくなった。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
スペンサー家の嫡男レオナルドは、周囲からレンと呼ばれて親しまれた。
なぜか人を惹きつける彼は、周囲を巻き込みながら成長し、やがて国を救う英雄となるのだが、それはずっと後の話。
ありがとうございました。