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迷い人



 夕暮れの街を、今日は良い一日だったなと思いながら歩く。

 鼻歌を歌いたくなるような気分で、寮に戻るための辻馬車を探す。


(――あ)


 きょろきょろとあたりを見回していると、そこには黒髪の、見覚えのある美しい男性が立っていた。

 何か難しい問題を思索しているようにも、どこか困り事があるようにも、どちらにも見えた。


(ええと……話しかけた方がいいのかな)


 どこか近寄りがたい雰囲気を持つその方に、話しかけていいものかどうか躊躇ってしまう。

 けれどももしお困りだったら何か助けになれるかもしれないし、何か考え事をしていたのだとしたら、先日のお礼だけ伝えて立ち去ろう。

 意を決し、私は夕暮れの街で一際目立つ美しい男性――フレデリック ・フォスターさまに、声をかけた。


「こんばんは、フレデリック ・フォスターさま」

「…………おや」


 声をかけると、フレデリックさまはしばらく目を見開いたあと、穏やかにそう言った、


「こんばんは、ソフィア・オルコット伯爵令嬢。偶然ですね。……こんな時間にお一人ですか?」

「はい。診療の帰りでして、今から寮に帰るところです」

「そうでしたか。私は私用で出かけてきたのはいいんですが……道に迷ってしまいまして」


 そう言いながら、フォスターさまが苦笑した。


「近いので気分転換に歩こうと思ったのですが、大人しく馬車で出かければよかった」

「そうだったんですね」


 やっぱりお困りだったのだと胸を撫で下ろし、「よければ案内しましょうか?」と言った。


「この近くなら大体の地図が頭に入っていますので、私にわかる場所でしたらご案内しますよ」

「……」


 フレデリックさまが口元に手を当て、しばし逡巡する。

 そして神秘的な金色の目を私に向けて、少し申し訳なさそうに言った。


「ありがとうございます。お願いできますか?」




 フレデリックさまの目的地は、ご自宅であるフォスター家だった。

 言われた住所は、少し歩くものの確かにそう遠い距離ではない。道中並んで歩きつつ、ぽつぽつと話をする。


「あの、先日の論文、拝読しました。金属は基本的に人体にとって害、というのが前提である中、おじ……アーバスノット侯爵が先日発表した論文と合わせてここまで可能性が広がるものかと……」

「ああ。良かったです。あれはアーバスノット侯爵のお力添えでできたようなものですが。錬金術師は金属と慣れ親しんでいますが、薬学は専門外ですので」

「お祖父さまとお知り合いなのですか?」


 驚いて目を見開くと、フレデリックさまが頷いた。


「ええ。一月に一度、その時いらっしゃる場所にお邪魔してお茶を頂きます。……最近は王都のお屋敷にいらっしゃることが多く、大変助かっていますね」

「そうなのですか!」


 これにも驚いてしまった。お祖父さまは大変な偏屈で人嫌いと聞いていたので、そんなに頻繁に会うような仲の方がいるとは思ってなかったのだ。


「ああ、いや。親しいというわけではありません。彼の薬を必要としている方がいらっしゃいまして、私はそのお使いを任されているんです。あの方は薬や植物の話題には多少の反応を示してくださるのですが、ある日たまたま金属が人体に齎す効果についてお話したところ、話が弾みまして」


 そう言いながらフレデリックさまが、私に微笑みを向ける。


「アーバスノット侯爵は、あなたからの論文を真剣に読まれていましたよ。それこそ時間を忘れるくらいに」

「……!」


 嬉しさがこみ上げて、思わず頬がゆるむ。

 孫と祖父ではなくひよっこ薬師と一流薬師である以上、きっとそこに情はない。けれどもそこまで真剣に読む価値があるものが書けたのだとしたら、こんなに嬉しいことはなかった。


 しかしこれ以上は良くない。際限なくゆるむ表情を必死で引き締めて、話を変えた。


「気分転換と仰いましたが、やはりお仕事がお忙しいのですか?」

 フレデリックさまの熱烈なファンであるスヴェンが、今フレデリックさまがいかに引っ張りだこの超大人気占星術師なのか熱弁していたことを思い出してそう尋ねると、フレデリックさまはゆるゆると首を振った。


「いいえ、仕事は忙しい方が良いです。それとは別に……実は先日、偉い方を怒らせてしまいまして。まったく人の上に立つ方の怒り方は、実にえげつない」

「ああ……」


 それはとてもよくわかる。

 日々ヴァイオレットさまに叱られ続けている記憶が蘇り、うっかり涙が出そうになった。


「それは……気分転換が必要ですよね。私もいつも薬草に癒してもらっていて……」

「いつもとは……あなたも大変そうだ」


 フレデリックさまが小さく笑う。


「それに比べると、私の場合は大したことがないかもしれません。実のないことが好きではないので、何かあっても五分落ち込んだあとは忘れることにしています。今回は気分転換を口実にふらっと出歩いてみたかったのですが……結果それで道に迷ってしまった」


 どうやらフレデリックさまは方向音痴らしい。

 そういえば最初に出会った時も道に迷っていたなと思い出し、そこではっと気づいた。


「そういえば先日、ご忠告をありがとうございました。ご忠告の回避……は少し難しかったのですが、心構えができただけでも大変ありがたかったです」

「…………それは、よかったです」


 妙な間のあと、フレデリックさまが頷く。


「占星術はとても複雑な計算式が必要になると聞いていたのですが……フレデリックさまはいつもあんな風に、即興で占うことができるのですか?」

「占う内容にもよりますが、あれくらいなら。危機を告げる星はとても読みやすいので」


 そこまで言ったフレデリックさまが、穏やかに微笑みながら小さく眉を下げた。


「とはいえ初対面のレディに、不躾なことを申し上げました。占いは聞く側もそれなりの覚悟を持って臨むものだというのに、求められてない内に申し上げるのは浅薄だったかと」

「いえ! 先ほども言った通り、助かりましたので」


 慌てて両手をぶんぶんと振る。


「それにしても、そんな風にどなたかの危機が迫ったとき教えて差し上げられるのは、すごく素敵なことですね。助かる方がいっぱいいるということですから」


 私の言葉に、フレデリックさまが穏やかに笑う。

 とても人当たりが良いのに、どこか壁を感じる笑みだった。


「変えられないことも多いですけどね。たとえ助言されても人は身近にある危機に気づきにくいですし……運命が変えられないのと同様に、危機はそう簡単に防げるものではない。あなたも回避はできなかったと、そう言っていたでしょう?」

「ええと……」

「占星術はどうしても出掛なくてはならない時の、天気予報のようなものです。心構えは傘のようなもの。多少の雨なら防げるでしょうが、横殴りの雨や嵐の前では、とても太刀打ちできない。かえって占わない方が、構えない分幸せに過ごせるかもしれません」


 淡々とした声音は、しかし穏やかだった。

 嘆いているわけでも闘志に燃えているわけでも、諦念が滲んでいるわけでもない。

 その言葉をどう受け止めたら良いのかわからず、私は少し考えて慎重に答えた。


「……それでは占われる側は、いただいた傘の他に雨から身を守る術を考えなくてはなりませんね。傘の他に色々な手段があれば、より濡れずに済んだり、濡れてもすぐ乾かしたりができますから。そう考えるとやっぱり私は、心構えはとてもありがたいものだと思います」


 私がそう言うと、フレデリックさまは少し驚いたように目を瞬かせ、眉を下げて小さく微笑んだ。



 そうこうしている内にフォスター家の前に着く。

 一安心してそのまま帰ろうとした私をフレデリックさまは引き留めて、自分の家の馬車を貸し出してくれた。


「もう日も暮れています。道案内してくれたご令嬢をこのまま帰しては、さすがに名折れとなりますので」


 恐縮して気遣いを辞退しようとしたけれど、そう言われては借りない方が失礼だ。

 何度もお礼を言って馬車に乗り込む私に、フレデリックさまは穏やかに笑って、静かに口を開く。


「……これは、占星術ではないのですが。あなたはあなたの思うように進むことで、結果あなたにとっては良い未来がやってくるような気がします」


 その言葉は、妙にしんと胸に落ちた。励ましも期待も、嫌味も切なさも、その声音には滲んでない。

ただ事実だけを告げるその声は、私にとっての良い未来がやってきても、誰かにとっての良い未来ではない。

そう言われているような気がして、咄嗟に言葉は出なかった。


「それではどうぞ、お気をつけて」


 戸惑っていると、馬車の扉が閉まる。

 動き出した馬車の中、後ろを振り返る。夕暮れにフレデリックさまの顔は翳り、その表情は見えなかった。


「……なんだかとても、不思議な人だな」


 ぽつりと呟きながら、私はどんどん藍色に染まって行く空を眺めて、小さく息をついた。




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