恥は晒さなければいい-1
(けれどあれは……行ったら酷い目に遭わせる、という意味だろうなあ……)
訪れた貧民街で。
患者の診療を終えて空いた時間で洗濯をしながら、私はあの夜会のことを思い出していた。
『たくさんの令嬢や令息が集まる場にのこのこと参加して、恥の一つも晒してごらんなさい。――今後楽しい人生を送れるとは、まさか思ってないわよね?』
そう私に忠告をした時のヴァイオレットさまの目は本気だった。
あのヴァイオレットさまがあそこまで念押しをした以上、もしも茶会に失敗して恥を晒してしまったら――私は今までの人生で体験したことがないほど、酷い目に遭うのだろう。
身震いする。
ヴァイオレットさまの口から出る人生という単語には、果てしない重みがあった。
「はあ……」
「どうしました、ソフィア様! ため息をつくと幸せが逃げますよ」
「…………カーターさん」
にこにこと上機嫌に、ごしごし洗濯しているカーターさんを、何とも言えない気持ちで見る。
「何か悩みがあったら言ってください! 何せソフィア様は金運上昇から健康長寿まで何でも叶える、俺たちの女神ですからね。どんな悩みでも即座に解決してみせますよ!」
そう輝く笑顔を浮かべるカーターさんには、先日ヴァイオレットさまに裸に剥かれていた時の面影はまるでない。
大胆に首や胸元が開いたシャツからは、金色のネックレス――高価そうだ――と、鍛え上げられた胸板が覗いている。遠くにいても香水の匂いが漂い、左右の手首には恐ろしいほどギラギラ輝く高級腕時計がついていた。
眩しい。日差しに反射するギラギラが、私の目を容赦なく攻撃する。
お金持ちを満喫していることが一目でわかる出で立ちに、無理だと諦めつつもおそるおそる口を開いた。
「あの、それなら私のグッズを売るのをやめていただきたいのですが……」
「すみません、それ以外でお願いします!」
「…………」
わかってはいた。なんと今や『女王ソフィアの金運爆上げ開運グッズ』は、気付かぬ間に非常に大きな事業となっているそうなのだ。
その恩恵により、貧民街の生活水準や治安は格段に良くなっているらしい。
そのことに気付いていなかったのは、訪れるたびに『なんだか変わっていくなあ、良いことだなあ……』と呑気に過ごしていた私だけだったようで、自分の愚かさに涙が出る。
「髪染め剤も原価から考えると結構ぼったくってるんですが、にも関わらずありがたいことに爆売れしています。開運グッズの利益と合わせて、この貧民街が成り上がりの富豪が集いし街と呼ばれるのも時間の問題。しかし人間、おしゃれしない人間はいるけど金が欲しくない人間はいないんです。売れ行きが違いますし……何より髪染め剤はヴァイオレット様に八割の手数料を納めなければならないので、ぶっちゃけて言うと開運グッズがないと贅沢ができないというか……」
「八割……⁉︎」
暴利にも程がある。そしてそれはそれとして、贅沢はほどほどにしておいた方がいいと思う。
お二人とも人として本当にたくましいなあとある意味で感心していると、こちらに向かって歩いてくる三人の人間が見えた。
「こっちは終わったわよーう」
ぶんぶんと手を振ってやってきたのは、ナンシーさんだ。そのすぐ後ろにはノエルさんとスヴェンもいる。
縁があってお世話になったこの貧民街。
元々この貧民街にはお医者さまがおらず、住む人々はお医者さまにかかる習慣もなかった。生活が改善してもそれがすぐに変わるわけではなく、ルーナちゃんの診療も兼ねて定期的に診療や衛生状態の確認にくるようにしている。
するといつの間にかナンシーさんやノエルさんやスヴェンも、時間が合えば手伝ってくれるようになっていた。
大家族の次男に生まれたというスヴェンは小さな子たちを診療するのが上手で、おっとりと妖艶ナンシーさんは男性陣から爆発的な人気を博し、長年お父さまの看護をされてきたノエルさんは患者の不安に寄り添うことがとても上手で、そして冷静かつ正確な診療をしてくれる。
そしてノエルさんは、お酒や煙草を控えるようにお願いしていた患者の嘘を見抜くことがとてもうまい。
こっそりと隠していたお酒や煙草を見つけ出し、容赦なく火に焚べていく様は圧巻で頼もしいの一言だった。
頼り甲斐のある同僚に恵まれて、ありがたいことだ。そうしみじみ思っていた私に、ナンシーさんが小首を傾げる。
「一体何のお話をしていたの?」
「ソフィア様に悩みがあるそうです」
「悩み?」
ナンシーさんを始めとする三人が、あっけらかんと答えたカーターさんと私とを交互に見る。
心配そうなその目に洗濯する手を止め、私はぶんぶんと首を振った。
「悩みというほどではありません! 実は先日、お茶会に誘われたのですが……」
あの夜会で会ったことを、簡潔に説明する。
ディンズケール公爵にお茶会に誘われ、そのあと正式にお茶会の招待状が届いたこと。自分の未熟さを痛感し、成長したいと思ったこと。
けれどヴァイオレットさまに、暗に行くなと仄めかされたこと。
「別に行く必要なんてないだろ」
ざっとそこまで話し終えると、黙って話を聞いていたスヴェンが首を傾げた。
「だってソフィアは、貴族令嬢じゃなくて薬師として生きてくつもりなんだろ? あれだけばかすか縁談断ってるんだからさ」
「た、確かにそうだけど……」
もごもごとしつつ、頷く。スヴェンの言うことはその通りだった。
そもそも、元々私はヴァイオレットさまの淑女教育も、当初は必要ないからぜひとも止めていただきたいなあと思っていたのだった。
「だけど……ヴァイオレットさまに色々と教えてもらって初めて夜会に出て、私にもう少し令嬢スキルがあればなあ、と思って。そうしたら、いつかヴァイオレットさまに何かあった時助けになれるかもしれないし……」
「助けにって……エルフォード公爵令嬢がピンチになることなんて、ないだろ」
「ないわね」
正気ではないものを見るような目を私に向けたスヴェンに、普段おっとりとしたナンシーさんも即座に頷いた。