ディンズケール公爵2
「それで、どうかな。今度私と懇意にしているとある貴族が茶会を開く。君と同年代の年若い令息や令嬢が集まるから、この機会に交流を深めては」
「せ、折角のお誘いですが」
「すぐに答えを出さずとも良い」
断ろう。考える間もなく、咄嗟にそう思って口を開いた私に、ディンズケール公爵は退路を断つように微笑んだ。
「もちろん、君の薬師としての勉強の時間を奪う気はないよ。茶会には私が目をかけている者も出る。フレデリック・フォスターという錬金術師なのだが――先日薬学についての論文も出していてね、ぜひとも君と話したいと」
「……! フレデリック・フォスターさま」
黒髪に金色の瞳を持った、不思議な男性の姿が浮かぶ。
花祭りの前に薬草畑で出会ったその人は、私に「女難の星が出ている」と、そう忠告してくださった方だ。
「さすが、知っているのか」
「はい! もちろん論文も知っていましたが、つい先日偶然お会いしまして……」
「フレデリックと?」
ディンズケール公爵の眉が、ぴくりと動く。
そういえばフォスター家は、ディンズケール公爵家のお抱えだとナンシーさんが言っていた。
以前お会いした時フレデリックさまはディンズケール公爵を探していたようだったし、才能ある方が好きだと仰るディンズケール公爵と占星術の腕前が超一流だというフレデリックさまは、きっと親しくされているのだろう。
そういえばあの占星術はとても当たっていた。避けようがないものではあったけれど、心構えができただけでもありがたいことだった。
「はい! その際ご厚意で、ええと……身の周りに注意するようご忠告をいただきまして。心構えができて助かったと、そうお礼を伝えたかったんです」
「……そうか。それは何より」
感情の読めない品の良い笑みを浮かべて、ディンズケール公爵が頷く。
「ぜひそのお礼は本人に伝えてもらいたい。彼も喜ぶだろうし、何より友人は増やしたほうがいい。今日もエルフォード公爵にエスコートしてもらっていたようだが……いつまでもエルフォード公爵令嬢に頼りきりでいるのは、君だって本意ではないだろう?」
「……それ、は」
言葉に詰まった。
何も言えずに口を閉じ、また開けようとしたその時――
「まあ」
威圧を孕む美しい声が、私の耳に響いた。
「国教の敬虔なる信徒、ディンズケール公爵閣下が、まさかそのような貧相な小娘に興味があるとは思いませんでしたわ」
気品を保ちながら、声音にここまでの挑発をこめられる方はそうはいない。
「……エルフォード公爵令嬢」
「こんばんは、ディンズケール公爵閣下」
笑みを含んだその声には、柔らかさの欠片もなかった。
ぴりぴりとした緊張感が場に走り、私はひっそりと息を詰める。
「今日この場に集まったご令嬢は皆、国王陛下の王妃候補となる女性。神聖なるこの会で、陛下と共にこの国を統べる可能性のある令嬢に、一体何をなさっているのです?」
「何か誤解をされているようだ」
ヴァイオレットさまのひりつくような視線にも動じず、ディンズケール公爵が品よく苦笑する。
「社交場になかなか顔を出さない彼女を、茶会に招待しただけだ。年ごろの令息や令嬢が集まる茶会にね」
「まあ? ふふ、他家のご令嬢に対し、随分面倒見が良いことですのね」
獲物を狙う仔猫のように目を細めたヴァイオレットさまが、細く長い指をあごにあて、かわいらしく小首を傾げる。
……纏う空気は、けしてかわいらしいものではないのだけれど。
「才のある者に目をかけるのは、神を信仰する貴族にとって当然のことだ」
明らかな挑発を受け流しながら、しかし断固とした口調でディンズケール公爵が言った。
「それにそれを言うならば、エルフォード公爵令嬢。今まで他人に一切の興味を示さなかった君も、彼女に対してだけは特別に面倒見がいいようだ」
「あら。私のことも、よくご存知のようですわね」
ヴァイオレットさまの唇が、弧を描く。
「ですが観察が足りないご様子。からかい甲斐のある人間は、嫌いではございませんわ」
「随分と良い趣味だ」
場の緊張感が高まっていくのを、肌で感じる。
お二人の攻防を固唾を呑んで見守りつつ、しかしこの戦いの原因はおそらく私だ。
責任をもって何とかしなければと口を開こうとした私に、ヴァイオレットさまが鋭い目を向ける。
(怖い)
かろうじて悲鳴は飲み込んだ私に、ヴァイオレットさまが冷ややかな声を出す。
「お前はいつまで休憩しているの? そろそろ戻るわよ」
「! は、はい」
助かった。ヴァイオレットさまの冷ややかな声も、今だけは地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸のように思える。
突如始まった戦いの終わりに心底安堵し、ヴァイオレットさまの元へ足を向ける。
そんな私に、ディンズケール公爵が優し気な声を出した。
「オルコット伯爵令嬢。茶会の件、ぜひ考えてほしい。有意義な時間になることは保証しよう」
「あ……ありがとうございます」
ヴァイオレットさまの手前少し躊躇いつつも、お礼を言って頭を下げる。
『愚図ね』と言いたげなヴァイオレットさまの冷ややかな眼差しに急き立てられて、私はディンズケール公爵の視線を背中に感じながら、ホールへと向かって歩きだした。