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ディンズケール公爵



 低く、重みのある声だ。声音は優しく穏やかなのに、どこか緊張を感じる声に振り向く。

 そこには、品の良い笑みを浮かべる一人の男性が立っていた。


「今日は実に良い夜だ」


 そういう男性の年齢は五、六十頃だろうか。隙がなく後ろに撫でつけた白髪に、伸びた背筋。佇まいだけで高貴とわかるその方には、見覚えがある。


「ディ、ディンズケール公爵閣下……!」

「おや、面識のない私を知っているとは。さすが薬師界に現れた彗星だな、ソフィア・オルコット伯爵令嬢」

「! な、名前をご存知いただいていたとは、光栄です……」


 ゆっくりと目を細める彼に、慌てて礼をする。

  ディンズケール公爵には、花祭りが始まる以前、薬草畑で畑仕事をしていた時に、遠くから強い視線を向けられたことがある。

 その時ナンシーさんに、ディンズケール公爵家とエルフォード公爵家は仲が悪いのだと教えてもらった。

 ヴァイオレットさまがディンズケール公爵のご子息をひどい目に遭わせて以来、犬猿の仲なのだと。


(私がヴァイオレットさまと交流があることは、きっとご存じのはず……)


 粗相をして、これ以上ヴァイオレットさまの印象を落とさないよう、注意して退散しよう。

けれどそう思っている間に、ディンズケール公爵は私の前に立っていた。


「……!」


 思わず身構える。


 常識的な距離だ。けして、近すぎるわけではない。

 けれど退路を断たれたような気がして、少し戸惑う。

 そんな私をなだめるように、ディンズケール公爵が優しげな笑みを浮かべた。


「勿論君のことは知っている。一度、ゆっくり話してみたいと思っていた」

「私と、ですか?」


 一体何の用だろう。

 困惑して首を傾げる私に、ディンズケール公爵は目をゆっくりと細めた。


「君はこの夜会の目的を知っているかな」

「ええと……国王陛下の、ご正妃選びの会と聞いていますが」

「その通り。しかし、王妃は――それも、今の国王陛下を支える王妃ともなれば、選ばれる令嬢は限られていてね。既に候補はもう、絞られている」

「えっ……」


 それでは一体この夜会は、何の意味があるというのだろう。

 戸惑う私に、ディンズケール公爵が目を向けた。鷹のような、どこか猛禽類を思わせる瞳だった。

 不用意に口を開いてはいけないような気がして口をつぐむと、彼は私に向けていた目を夜空に向けて、静かに口を開いた。


「この国を統べる王侯貴族は、常に国にとって一番大切なことを考えなければならない。国にとって一番大切なものは人間だ。そして人間にとって一番大切なものは信仰だが……それと同じくらい、大切なものを問われたら、君は何と答える」

「……?」


 脈絡のない質問に困惑しつつも、慎重に考える。

 ヴァイオレットさまの教えでは、貴族同士の会話には必ず意味があるという。だからこの脈絡のない会話にも、ディンズケール公爵の真意が何かしら隠されているに違いない。


 ――けれど、私にはその意図が読めそうにない。


 悩みつつも、正直に言うより他はなく、私はおそるおそる口を開いた。


「……理想、でしょうか。こうありたい、こうなってほしいと思う理想がなければ、人は前には進めません」

「理想」

「はい。理想は、人生の道しるべのようなものですから」


 私の言葉が思っていたものと違ったのか、ディンズケール公爵は意外そうに片眉を上げる。

 もしかして何かおかしなことを言ってしまったのだろうかと思いつつも、『一番』と名のつくような重大なものでそれ以外に思いつくことは……食べ物と健康しか思いつかない。

 そう悩み眉を寄せる私に、ディンズケール公爵はふっと微笑み、「君の言うことは正しい」と言った。


「しかし正確に言うと、人にとって必要なのは『理想を叶えるだけの才がある者』だ」

「理想を叶えるだけの才……?」

「そうだ。大多数の人間は、才ある者が生み出す利益を享受して生きている。たとえばこの美しく、しかし堅牢に作られた城の建築、ガラス、燐寸に衣服。それらはすべて才ある先人が生み出したもの。たとえば凡人が三百年前の過去に行ったとしても、その人間が現在の文明を――それがどんなに小さなものでも――再現することは、けしてできないだろう」


 そう言いながら、ディンズケール公爵が私に目を向けた。


「凡人には、現状維持さえ至難の業だ。もしも才ある者が皆死に絶えたら、後に残された我々凡人は文明を緩やかに衰退させる。だから我々貴族は国のために、才ある者を保護し後世に伝えていく義務があるのだ」


 穏やかなのに決して有無を言わせない、強い言葉だった。

 間違ってはいない。確かに才能ある方は人々を救ったり、生活を格段に便利にしたりと、とても大きな役割を果たしてくれる。

 けれどもディンズケール公爵の言い方は、人に対してというよりはモノに対する言葉のようだ。

 言葉に詰まる私に、ディンズケール公爵が「失礼」と苦笑した。


「つまり国を繁栄させる人間――その筆頭は、もちろん国王である陛下だが――には、お世継ぎを残していただかなくてはいけない。しかしそのためにも、お相手は慎重に選ばなければ。王妃候補の令嬢の条件がどれほどよかろうと、相性が合わなければ最悪だ。正式に婚約を結ぶ前に、運命を共にするご令嬢のことを知る機会は多い方がいいだろう」

「な、なるほど……」


 ほっと胸を撫でおろす。

 確かにいくら義務とはいえ、相性が合わなかったら大変だ。結婚する前にお相手の人柄を知ることは互いにとっていいことだと、私にもわかる。


「少し喋りすぎてしまったな」


 納得する私に、ディンズケール公爵がそう言った。


「私は才能があり、努力する人間が好きでね。君も朝早くから夜遅くまで――いや、休日まで薬作りに精を出していると聞く。そのように才能を絶え間なく磨き続けているからこそ、素晴らしい功績が出せたのだろう」

「あ、ありがとうございます……」


 唐突に褒められて、思わず口ごもる。

 そんな私にディンズケール公爵は頷きながら口を開いた。


「しかし君はまだ若く、人生は長い。今のうちに薬作り以外にも見聞を広げる必要がある。最近ではエルフォード公爵令嬢と交流していると聞くが、それ以外の同年代の貴族とは交流したことがないのだろう?」

「それは……」


 その通りだった。ヴァイオレットさま以外に親しくしている方は、クロードさまを除き誰もいない。


 たとえば王宮薬師となってから縁談の申し込みなどは――最近は減ってきたけれど――来てはいる。

 けれどもそれ以外の、たとえば私と同年代のご令嬢からのお誘いや交流は一切なかった。

 一家に一人薬師がいれば便利だし、腐ってもアーバスノットの名前を持つ私は、結婚相手として内側に取り込めれば多少のメリットがあるらしい。


 しかしそんなメリットがなければ、没落しかけている伯爵令嬢であり、かつわが国きっての悪女と名高いヴァイオレットさまと頻繁に交流している私――しかも毒物に精通した強欲悪女と呼ばれている――と仲良くしたい方など、いるわけがないのだった。



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