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エルフォード公爵



「だから師として責任を果たすため、この私がお前にけして粗相は許されないという緊張感をプレゼントしてやろうと言っているのよ」

「……! そっ、それで私のお相手に、エルフォード公爵閣下を……!」

「あら、やっぱり聞こえていたのではないの」

「聞き間違いかと思いました……!」


 不満そうに唇を尖らせるヴァイオレットさまに、ぶんぶんと首を振る。聞き間違いでなければ、少なくとも言い間違い、何かの気の迷いではあってほしい。


「わ、私が閣下にエスコートをしていただいたら、ヴァイオレット様がお困りになるのではないで

すか……?」


 伯爵家以上の高位令嬢は必ず出席しろと命じられている。

 私のような数に数えられているのか微妙な者はともかく、良くも悪くも社交界に名を馳せているヴァイオレットさまが欠席なんて、さすがに良くないということは私にもわかる。


 しかし、ヴァイオレットさまに私の常識が通用するわけがなかった。


 ヴァイオレットさまは私の言葉に至極どうでも良さそうな表情を見せ、「まさか」と鼻で笑う。


「こんな実りのない夜会、行っても私に何のメリットもないもの」

「………………ヴァイオレットさま。さきほど王命の重みを知っていると……」

「ドレスや装飾品はこちらで手配するわね。ここまでお膳立てをしてやったお礼は――そうね、どうせお前は薬しか取り柄がないのだし……お前の薬で許してあげるわ。必要な時に必要な症状に合うものを、私が命じたらできるだけ早く用意なさい。もちろん、期間は無期限で」


 私の言葉を当然のように黙殺し、ヴァイオレット様がにっこりと、背筋の寒くなるような笑みを浮かべる。

「この私の指導に、この私の父のエスコート――半端な振る舞いは許されないと思いなさい。あと四週間後に迫っ

た夜会まで、本気で鍛えてあげましょう」



◇◇◇



――そんな会話を交わし、地獄のような四週間は瞬く間に過ぎていった。


 馬車馬の如く地獄の特訓に精を出す私に時折、人参――国内ではなかなか手に入らない、薬草や薬術の希少本だ――が与えられるものの、残念ながらそれらを読む時間はほとんどなかった。


 薬作りの時間も一日八時間と、なんと就業内の時間のみしか精を出すことは許されなかったのだ。


 そして二週間前。不覚にも自室でたるんでいる姿を見られてからは常に背中には物差しが、ウエストにはちくちくとする麻紐がゆるく巻かれることになった。

少しでも背筋を曲げれば麻紐がちくちくと肌を刺し、固い物差しが背骨を攻撃する仕組みになっている。


 姿勢だけではなく、貴族の会話や挨拶の順番、美しい礼の仕方や主要貴族の名前や特徴など、あらゆることを仕込まれた。


 あれほど勉強が辛いと思ったことは、後にも先にも一度もない。


しかしきっとその分、何かは身についたはずだ。努力は報われるものであってほしい。


『何があっても胸を張って前を見なさい。驚いた時ほど、誰よりも美しく高貴に』


 肝に銘じるよう念押しされた、些か無理のあるその教えを思い出して深呼吸する。


……大丈夫。


 私は四週間前とは別人のよう……にはなっていないかもしれないけれどきっと多分、格段に令嬢としてのスキルは上がっているはずだ。おそらくは。

 自信はないし、緊張はしてしまうけれど。


「今から緊張していては、持たないのではないかな」


 私よりもよっぽど高貴なオーラを纏った白馬が引く、豪奢な馬車。

 芸術の粋を極めた繊細な細工が施されたこの馬車の中で、対面に座る美しい男性が淡く微笑んでそう言った。


「はっ、はい! 頑張ります……」

「ははは、可愛らしいことだ。しかし今から頑張っていては大変だと、そう言っているんだよ」


 金髪碧眼のその方は、鼻筋や頬のあたりがヴァイオレット様に似ていた。


 ヴァイオレットさまのようにそこにいるだけで肩や頭を押さえつけるような圧倒的な威圧感はないけれど、それでも目の前にすると自然と背筋が伸びる。


 傅かなければいけないと本能が囁く、紛うことなき上位者という空気が、エルフォード公爵――ヴァイオレットさまのお父様にはあった。


 緊張にカチコチになりながらも、深い青の瞳を見る。

 落ち着いた余裕を湛えながらもこちらを観察するような目に怯みつつ、なんとか目を逸らさずに頭を下げた。


「今日は、エスコートしていただきありがとうございます」

「ああいや、こちらこそ礼を言わなければ。これもあの子の我儘なんだろう?」


 お礼を言うとエルフォード公爵が鷹揚に目を細めた。


「あの子から夜会に参加しないと聞いた時はさして驚かなかったが、君のエスコートを頼まれて驚いたよ。しかしあの子は最近君の教師役をしているそうだね」

「はい。ヴァイオレットさまにはいつもお世話になっています」


 そうお礼を言うと、エルフォード公爵は柔らかく微笑んだ。

 その感情が見えない笑みにまた緊張しつつ、口を開いた。


「やはり今日、ヴァイオレットさまは来られないんですか?」

「どうかな。あの子は昔から、自分の考えた通りにしか動かないし、それを誰かに話すこともないんだ」


 さらりと言う口調に、来ないことに対する憤りや来てほしいという期待は何もない。

 滲んでいるのは愛情だ。すべてヴァイオレットさまの思う通りに行動すればいい、という気持ちが伝わってきて、懐の広さに内心で驚嘆する。


 それはともすれば親ばかになってしまいそうだけれど、盲目的にヴァイオレットさまのすべてを肯定している、というのとも少し違う印象を受けるのは、上に立つ方者特有のこの雰囲気のせいだろうか。


「それよりも、一度君に会ってみたかったんだ。陛下の暗殺を防ぎ、新薬で栄養問題の解決に貢献、そして貧民街の衛生問題を解決に導いた薬師界の彗星。――君の助力を受け、ヴァイオレットに向けられる目は以前とは変わったように思う」

「えっ、いえ、それはヴァイオレットさまに助けていただいたおかげで……」

「ヴァイオレットの行動が結果的に君の助けになったのだとしても、人を救う道を示したのは君ではないかな。あの子の行動原理は自分の誇りを貫くことにある。人を救おうとするような子ではないからね」

「……そうなのですか?」


 今までのヴァイオレットさまの行動を思い返し、考える。

 ヴァイオレットさまは確かに理不尽だ。人を人と思っていない節がある。ヴァイオレットさまと出会ってからのこの三か月、私は何度涙を呑んだかわからない。


 けれども私にとってヴァイオレットさまは、けして非情なだけの人ではなかった。


 話せばお話は――却下されることが9割だけれど――聞いてくれるし、貧民街の方々もヴァイオレット様のおかげで救われている。


「ヴァイオレットさまはとても厳しいですし、過激な言動も多いですけれど……優しさをお持ちの方だと思います」


『優しい人』とまでは言えないけれど。それでも優しいところがある方だとはっきり言える。

 そんな私にエルフォード公爵はまた柔らかな微笑を浮かべ、「そうだね」と頷いた。


「勿論、ヴァイオレットは非道な子ではないよ。ただ強い子だ、というだけだ」

「確かに、ヴァイオレットさまは強い方です!」


 美貌も心も胆力も頭脳も魔術も、おそらく大陸すべてを探してもあれほど強い方はいないだろう。

 ヴァイオレット様の数々の雄姿を思い出す私に、エルフォード公爵が穏やかな笑みを浮かべる。


「君にとってヴァイオレットは、厳しくて優しくて強い子ということか」

「ええと……そう、ですね」


 もちろんその十倍は恐ろしい方ではあるけれど、その恐ろしさを裏付ける強さと優しさがある。

 それがヴァイオレットさまと僅かな時間を共に過ごした私の感想だった。


「ふむ」


 エルフォード公爵が口元に手を当て一瞬沈黙したあと、静かな目で私を見つめた。


「まるで君はヴァイオレットの友人のようだね」




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