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悪い女



 飛び上がった後に振り向くと、そこには圧倒的な威圧感を纏う美女、ヴァイオレットさまがいた。


「ヴァッ、ヴァイオレットさま……!?」


 なぜここに、と言いかけた私に地を這う芋虫を見るような目を向け、ヴァイオレットさまが口を開く。


「王城に用があったから、わざわざ立ち寄ってあげたの。それにしても……」


 ヴァイオレットさまの赤みがかった紫色の双眸が、ゆっくりと細められる。

 獲物を狙う虎のような眼差しに、その場に緊迫した沈黙が走った。


「顎は引く、肩は体の中心より後ろ。重心はつま先の内側。――飽きるほどに言い続けてやった、たったこれだけのことができないなんて。次お前の背中に入れるものは物差しではなく、薔薇の花にでもしましょうか? その緩んだ意識と背筋を同時に引き延ばすならば、それくらいしなくてはならないようね」

「のっ、伸ばします!」


 勢いよく背筋を伸ばす。ヴァイオレットさまの言う薔薇の花は、きっと棘の処理をしていないに違いない。

それどころか魔術を使って、花びらまでもが棘に覆われていそうだ。

 それはそれで大変興味深く、魔術を使った植物でお薬を作ったら果たして効能や副作用は変わるのか、そういったところがとても気になる――と思ったところで、額が強く弾かれた。


「痛ッ!!」

「随分余裕そうね? お前のエスコート役をするのが誰か、忘れてしまったのかしら」

「覚えています……」


 惜しげもなく宝石で飾り立てられた長い爪。それで弾かれ致命傷を負った額をさすりながら、涙目で言った。

 いつの間にか部屋の端で気配を殺しているナンシーさんとノエルさんが、顔を見合わせている。彼女たちに聞こえるよう、私はヴァイオレットさまに向かって口を開いた。


「エルフォード公爵閣下に恥だけはかかせないよう、精一杯頑張ります……」

「ええ、そうね」


 ヴァイオレットさまが瞳に浮かべる獰猛さは隠さずに、威圧するかのように微笑んだ。


「精々この私の顔を潰さないよう、必死で精進なさい」



◇◇◇


 それは今から二週間前。

いつものように、エルフォード公爵邸にてヴァイオレットさまに非常に厳しい淑女教育をしていただいている時のことだった。


「お前のエスコート役は、私の父にしましょう」

「え……」


 頭の上に本を乗せながら紅茶を飲む私に、ヴァイオレットさまが唐突にそう告げる。

エスコート、という言葉に思い出したのは、その日エルフォード公爵邸にくる直前、王城の遣いの方から渡された招待状だ。


「王妃選びのための夜会ですので、エスコートをお願いする方は身内の男性に」との言葉と共に渡されたそれを、ヴァイオレットさまに話したことはないのだけれど。

「エスコート役がいないのでしょう?」


 美しく頬杖を突きながら、ヴァイオレット様がもう片方の手に持っていたご自身の招待状を、ぽい、とテーブルの上に投げ捨てる。


 国王陛下の名の下に送られた招待状を、紙くず同然に扱うヴァイオレット様。

 いつもであればさすがの不敬……と私の方がどぎまぎしてしまうところだけれど、今の私はそれどころではない。


「あ、あの……ヴァイオレットさま、先ほどの言葉をもう一度仰っていただけますか」

「この私にもう一度同じことを言えと言うの?」


 形の良い眉が、不快そうに寄せられる。


「まったくその耳は何のためについているの? 愚図も大概になさい」

「大変申し訳ありません」


 即座に謝る私にため息を吐きながら、ヴァイオレットさまが私の招待状に目を向けた。


 その瞬間、私の手からふわりと招待状が浮き上がる。


 招待状はまるで意思を持っているかのようにひらひらと空中で揺れ、思わず息を呑んだ。

 間近で見る魔術にそのまま見惚れていると、ヴァイオレットさまが「お前の出席する、そのくだらない夜会」と冷めた表情で言う。


「エスコートをしてくれる者がいないのでしょう? お前の父は家門に見切りをつけることも家を建て直すこともできない無能だし、薬馬鹿で頑固者のアーバスノットが夜会に出るわけがないもの。端くれとはいえ高位貴族なら親類なんてごろごろいるはずだけれど……引きこもりのお前には、その伝手を辿る知り合いさえいないものね」

「……確かに、エスコートしてくださる方に心当たりはありません……」


 完全に詰んでいる。

 自由をのびのびと謳歌している今、お父さまと顔を合わせることも少なからず抵抗があるし、そもそも頼んだところで無駄なことは目に見えている。


 お祖父様にはエスコートをお願いできるような関係性ではなく、ヴァイオレット様の仰る通りエスコートをしてくださる方は、全くいない。


「ですので、今回の夜会は欠席させていただこうかと……」

「欠席、ねえ。お前も、随分と悪い女になってしまったものね。それとも王命の重みを知らないのかしら」


(悪い女……)


 この国で一番王命を軽視しているだろうヴァイオレットさまにだけは言われたくない言葉だ。

 腑に落ちないけれど、ヴァイオレットさまに言い返すことなど出来はしない。せめてもの抵抗として聞かなかったことにしようと咳ばらいして、気を取り直して「ですが」と食い下がる。


「この夜会は王妃選びのためのものとお聞きしまして……」

「そうね」

「ならば欠席しても、問題はないかと……」


 目を逸らしつつ、ごにょごにょと言う。

 私が王妃になることなんて、逆立ちしても有り得ない。それなのに出席するなんて、これほど無駄な時間もないと思う。


「私が王妃に選ばれることなんて、絶対に有り得ませんよね……?」


 確信をこめてそう言うと、ヴァイオレットさまが鼻で笑う。予想通り私のような一芸しかできない芋娘が王妃など、世界が滅びたって有り得ないと言いたげだ。


 しかしそれでもヴァイオレットさまは「テストが必要でしょう」と唇を持ち上げる。

 この決定に不服を唱えることは許さないと、そう言っている顔だった。


「上達のためには一度実践し、恥をかくことも大事。そうでしょう?」

「た、確かにそうですが……」


 けれど、失敗前提の練習が国王主催の夜会というのはあんまりだ。そう思う私に、ヴァイオレットさまがにっこりと背筋の寒くなるような笑みを向ける。


「テストも、恥をかくことも大事。けれど――失敗をしても大丈夫。幼児ならいざ知らず、すでに社交界デビューを果たしたお前に、そのような甘えが許されるわけないのよね」

「……!」

「だってこの私が直々に、お前に教育を施してあげているのだから」


 獰猛な紫色の瞳が、私を射竦める。

 思わず背筋をピシッと伸ばした私に、ヴァイオレットさまが満足気に目を細めた。




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