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蜂蜜をたっぷりかけたフレンチトーストだ

 


 人間が堕落をするのはあっという間だ。



 ◇◇



「なんという……これが布団の魔力……」


 ふかふかのベッドの中だ。

 冬の淡い朝日を浴びて目を覚ました私は、柔らかでぬくぬくとしたお布団の心地よさに陶酔していた。


 『二度と床で寝るな。ベッドで寝ろ』と命じられたばかりの時は、落下する夢を見て飛び起きてばかりいたと言うのに。

 なんと私は五日と経たずに、このふわふわで暖かくて清潔なベッドで寝ることに慣れてしまっている。今床で寝たいかと問われれば、答えは「ノー」と言わざるを得ない。


(……お腹もすいた)


 昨日も三食ばっちり、軽食にサンドイッチまで頂いたというのに。

 規則正しくお腹が空くのは、やはりこの体が贅沢に慣れているからだろうか。


 そんなことを思いながら、起き上がってベッドをきれいに整える。

 それから気合を入れるために冷たい水で顔を洗い、身支度を整える。今日はシンプルな真っ白いドレスに着替えた。最初の派手派手しいドレスも似合っていたけれど、シンプルなドレスも似合うのだから美人はすごい。


 そうこうしていると、扉がノックされる。食事である。

 今日のご飯はなんだろう! そう思うと自然にほころぶ表情はそのままに、扉を開けて仏頂面のクロードさまに挨拶をした。



 ◇◇



「ク……クロードさま。これは……!」

「……食べたいと言っていただろう」


 クロードさまが、テーブルの上に置いた食事に目線を落としてそう言った。


 真っ白な具沢山のミルクスープと、分厚く切られたベーコンと生野菜のサラダ。それから厚く切られ、綺麗な黄金色に焼かれているパンだった。


 その黄金色に焼かれたパンの上に、とろりと流れる黄金色の液体がかけられている。


「蜂蜜をたっぷりかけたフレンチトーストだ。君が食べたいと言った以上、食べたくないと言われても……」

「食べます!」


 クロードさまの気が変わらないうちに、私は急いで席につく。私の焦りようにクロードさまが若干引いている。


「ほ、本当に食べてもいいんですか? 食べてしまいますよ? 食べようとした瞬間取り上げるとか……」

「君は俺を何だと思っている」


 クロードさまが心外だと言いたげに眉を寄せた。


「そんなことをするわけがないだろう。……おい、それは何の真似だ今すぐにやめろ」


 思わずクロードさまに感謝の祈りを捧げようとすると、彼はとても嫌そうな顔をしたので慌てて止める。冷めないうちに、食べてしまおう。



 ナイフで一口大に切ったそのフレンチトーストを、はちみつが一滴足りとも溢れないよう、慎重に口に入れる。

 口に入れた瞬間、じゅわっと香りが鼻に抜け、濃い甘みが口の中に広がった。


「…………!!」


 ものすごく、美味しい。こんなに美味しいものがあったなんて驚きだ。心の中に勝手に幸せが湧いてくる。

 だけどそれ以上に、心の中をいっぱいにしたものは懐かしさだった。



『ーーは食いしん坊ね。いいわよ、ひとさじね』


『これは材料じゃないの。甘いものを食べるとね、頭が働くの』


『ふふ、そうね。甘いものを食べると元気も出てくるわね。ーーねえソフィア、覚えていてね。世の中には元気を出してくれるものが、たくさんあるの。だからね、もしも悲しいことがあってもーー』



 少し低い優しい声が、耳に蘇った。

 何度思い出そうとしても、うまくいかなかったのに。



「……ヴァイオレット」


 クロードさまに静かに呼ばれて、顔を上げる。


「何故、泣いているんだ」


 ひどく驚いた顔でそう言われて、私は自分が泣いていることを知った。


「すっ……すみません、甘いものを食べてうっかり幸せになってしまいまして……」


 慌てて目をぬぐいながら弁解をした。クロードさまは更に困惑した表情で、「幸せで泣く……?」と呟いた。


「精神的に、元気に……あの、昔の、母のことを、思い出しまして……」


 そう言った瞬間、唇が震えて涙が勝手にボロボロと出て来た。

 ぎゅっと眉根に皺を寄せてきつく舌を噛んでも、一向に止まらなかった。


 私はなんてどんくさいのだろう。お母さまのお葬式が終わった後から、どんなに悲しくても泣けなかったのに。十三年も経ってから、今更泣くなんて。親不孝にも程がある。


 しかも、人前でなんて。

 申し訳なくて泣きじゃくりながら謝ると、彼は少し間を置いて、「俺は何も見ていない」と言った。そしてそっと私の肩に手を置いて、静かに部屋から出て行った。



 ◇



 頂いたはちみつを食べて、思い切り泣きじゃくるというとんでもない醜態を晒した私は、それでも残りのフレンチトーストを大切に味わい、すべての朝食を平らげた。本当にとても美味しい食事だった。私の中でこの塔の料理長は、いつか会ってお礼と愛を伝えたい一番の人である。


 思い切り泣いてご飯を食べてすっかり元気になった私は、少し重い腫れた目で新しいお薬の試作に精を出していた。


 いつもは働かない頭が、今日は人並みに働いているような気がする。

 甘いものを食べると頭が働くのよという母の言葉通り、なかなか思いつかなかったアイディアがぽんぽんと浮かんでくる。甘味パワー、とてもすごい。


「セラチンの葉の煮詰め液とグルセルンの煎じ液を合わせた溶液は……うん、考え方としてはやっぱり正解。あとは最適な硬さを見つけるために試作を繰り返して、融解する温度に違いが出るのかをチェックして……。実際に入れるものとの相性も大事。粉末と煮詰め液どちらが……」

「……おい、ヴァイオレット」

「!」


 驚いて振り向くと、そこにはクロード様が立っていた。もうお昼の時間だったのかと時計を見ればーー、もうお昼の時間よりも、半刻を過ぎていた。はちみつのおかげで、我を忘れて没頭していたらしい。


「ご、ごめんなさい。ノックの音も聞こえていませんでした」

「……いや」


 クロードさまが少し眉をひそめて、私が格闘していた大量の小鍋に目を向けた。

 ちなみにこの簡易キッチンは、薬作りに使う火をどうしても諦めきれなかった私が、渋るクロードさまに必死でお願いをして用意して頂いたものだ。

 その時の私のあまりの必死さに、クロードさまは「君に低姿勢で頼まれると気味が悪い」と、本当に心底気味の悪そうな顔をしていた。色々と迷惑をかけてしまって、クロードさまにはもう足を向けて眠れない。


「これは……何を作っていたんだ?」

「はい! これは、昨日のニールさまのお話を聞いて私にも何かできないかと思ったのですが、まずは食の不均衡という問題が背景にあるのではないかと思いまして、それを解消するための一歩は何かと考えた時にまず食料のほぞ……」

「……長くなりそうだな。食べながらでいい」



 そう言って、クロードさまは二人分の食事が並んでいる席に目を向けた。


「……! クロードさま」

「お互い見たい顔ではないが。日に一度くらいは、こうして一緒に食事をとるのもいいだろう」






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