王妃選びのための夜会
国王陛下付きの騎士団団長クロード・ブラッドリーが国王であるヨハネスの執務室に訪れると、ヨハネスは椅子に腰掛け、大量の書類に目を通していた。
「夜会の件か」
「はい。警備体制の最終的なご報告に参りましたが……時間を改めた方がよろしいでしょうか」
「いや、大丈夫だ」
そう言って書類を机の上に置いたヨハネスが、クロードに労いの言葉をかける。
「戴冠式に向けて多忙な中、急な対応ご苦労だった」
「とんでもございません」
国王主催の夜会が、二週間後に開かれる。
先日急遽開催が決まった、伯爵家以上の令嬢が集められるその夜会は高位貴族同士の交流とは銘打っているものの、ヨハネスの正妃となる令嬢を選ぶためのものだった。
(即位した以上、婚約者さえいない陛下は早急に相手を見つける必要がある)
それでもつい先日まで縁談の話が出てこなかったのは、ヨハネスが溺愛していたレッドグライブ伯爵令嬢による暗殺未遂が発覚してからまだ三ヶ月しか経っていないからだった。
そんなヨハネスが先日、戴冠式が行われる秋までに王妃を選ぶと宣言した。
そのため城内は今慌ただしい。
社交界のみならず騎士の間でも、どの令嬢が王妃の座を掴むのかと話題はそればかりだ。
(……上がる名前は大体同じだ。騎士の間でさえ王妃となる女性はある程度、推測できている)
クロードと同様のことを考えたのだろう、ヨハネスも独り言ちるように口を開いた。
「すでに王妃候補となる令嬢は絞られている。この夜会に一体何の意味があるのか」
執務机の片隅に乗せた釣書に目を向けながら、ヨハネスが息をつく。
「今この国の王妃となる女性に求める条件は高い。伯爵家以上の爵位と聡明さ、教養は必須だ。語学力に社交力、家自体の立ち位置や、社交界における影響力も考えたい」
かつて婚約者だったリリー・レッドグライブは社交界で評判の伯爵令嬢だったものの、生家は王都から離れた貧しい領地しか持たない貴族だった。
しかし当時の王家は醜聞とは無縁で、大貴族とも懇意という盤石な体制を築けていた事から、比較的問題なく彼女を婚約者に据えることができた。
しかし今は当時とは状況が違う。ヨハネスは王家の醜聞と共に即位した国王だ。
加えてこれは公表されてはいないが、元騎士の訓練生だった男――クロードのかつての友人であったドミニク・ランネットという男が、ヨハネスを始めとする大勢の人間を巻き込んだ爆破事件を計画していた。
長年の夢であった騎士になれなかったという失望や、姉を守れなかったという罪悪感から自暴自棄になりこの国のすべてを壊そうと思った――と語っていたドミニクは、自分に助言や資金を与えたという共犯者がいたと供述したそうだ。
(しかし共犯者の名前はおろか、顔も声も性別さえもわからないという)
そのためその共犯者の存在はドミニクの虚言ということで処理されたが、商家の出であるドミニクが本気で嘘を吐こうと思ったのなら、間違いなく粗のない嘘をつけるはずだった。
もしも共犯者がいた場合、このような事件を計画し、かつ支援できるような人物は裕福かつ権力のある人間に限られる。
どのような目的があるにせよ、ヨハネスにとって害であることは間違いない。
ただでさえ盤石とは言い難い玉座に座すヨハネスだ。たとえ共犯者が存在しないとしても、失墜している権威を取り戻す必要がある。共犯者がいる可能性があるのなら、なおさらだった。
必然的に王妃となる女性には、王家の地位をより盤石にする役割が求められる。そのため求める条件も高くなり、そしてその条件に当てはまる令嬢は、けして多くはないのだった。
そして王妃候補になる令嬢は、皆幼い頃から王族や高位貴族同士の密な交流を行なっている。あのヴァイオレットですら交流を――あれをそう呼んでいいのかクロードには測りかねるが――行っているのだ。
当然ながらヨハネスも、王妃候補となるような令嬢の人柄は知っている。
貴族なら大半の者が理解しているだろうその暗黙の了解に、クロードは口を開いた。
「『時間がない状況とはいえ、王妃選定は最重要事項。王妃にふさわしい女性であることは前提だが、陛下と王妃の相性は何よりも大切。伯爵位以上の全ての令嬢を招いた夜会を開いて、まずは交流を深めるべきです』――そう進言したのは、確かディンズケール公爵でしたか」
「ああ。……まったくどういう意図なのか、全く読めない」
訝しげなヨハネスは、今回の夜会に限らずディンズケール公爵の真意を計りかねているようだった。
「あの家は謎が多い。代々清貧を尊び、神の最も敬虔なる信徒であるとして教義を忠実に守る家。しかしはるか昔から教義とは相反する錬金術や医療に非常に力を入れている。……そのまたはるか昔の文献には、優秀な魔術師を囲い込んでいたという記述もあったそうだ」
「優秀な魔術師を?」
その昔、魔術師を悪魔の使いと断罪し迫害を扇動したのは教会だった。今でこそ迫害などないが、それでも魔力持ちは教会から敬遠されている。
神の最も敬虔なる信徒を名乗りながら錬金術や魔術師を支援するのは、少々不思議なように思えた。
「正式な文献ではないため、真偽は不明だ。ただもしもそれが本当なら、はるか昔からディンズケール公爵家は、不可能に近い何かを追い求めているのかもしれないな」
古今東西の権力者が最終的に望む『不可能に近い何か』は大抵の場合決まっている。
「不可能に近い何かといえば、不老不死といったところでしょうか」
「そうだな。それから時戻りに死に戻り、不治の病の治療法――思いついてもその程度か。いずれにせよ夢物語だ」
おかしなことを言ってしまったというように苦笑するヨハネスに、クロードも苦笑を返した。
「とにかく真意が読めない家、ということですね」
「ああ」
ヨハネスの頷きに、何度か顔を合わせたことのあるディンズケール公爵の姿を思い出す。
公爵位という貴族の頂点に立つ者特有のものなのか、彼からはヴァイオレットと対峙している時と同様の隙のなさ、底知れなさを感じることが、ままあった。
とはいえディンズケール公爵は、少なくとも表面的には常識と良識がある。
前国王と親しかったにも関わらず不正な癒着は確認できず、社交界や教会に対して強い影響力を持つ大貴族でもあった。
ヨハネスが今回の夜会に対してのディンズケール公爵の進言を素直に受け入れたのは、彼に悪印象を与えたくなかったためだろう。
「かの家の行動を注視する必要はあるでしょうが、とはいえ最近の陛下は、非常にご多忙でした。これを機会に普段会うことのない高位貴族と交流をするのは、けして悪いことばかりではないかと」
「そうだな。即位してからというもの、議論ばかりで社交どころではなかった。そろそろ夜会で貴族達と酒を酌み交わし、会話をすることも必要だろうな」
妃探しが名目である以上、当主ではなく令嬢との交流が主にはなる。そのためいつもの夜会に比べて社交の意義は少ないが、それでもある程度交流はできるだろう。
気を取り直した様子のヨハネスが、ふと何かを思いついたかのようにクロードに向かって目を向けた。
「そういえば、クロード。知っての通り今回は伯爵家以上の、婚約者のいない令嬢は必ず参加する夜会となるのだが――……オルコット伯爵令嬢は、その……大丈夫なのか?」
妃探しのための夜会となるため、出席する令嬢のエスコートは原則として男性の親族が行うものだ。
しかしソフィアには頼れるような親族がいない。酷い扱いを黙認してきた父親は論外だし、祖父であるアーバスノット侯爵も決して夜会に出ない人物として知られている。
おまけに彼女は社交に出たことがない。そのため貴族男性の知り合いも、クロードやニール以外は殆どいないだろう。
そのことをヨハネスは気にしているようだ。
「エスコート役の手助けは必要か? なに、高位貴族同士、五代も遡れば殆ど血縁関係だ。社交慣れしていない令嬢も問題なくエスコートできるような、年配の男性を手配してもいい」
心から気遣ってることがわかるその発言に、クロードは首を振る。
クロードも夜会の開催が決まった時同様の心配をし、ソフィアに尋ねていた。その時のソフィアの返事を思い出し、安心とも不安ともつかない複雑な感情につい眉が寄る。
「それが……」
クロードの告げた言葉に、ヨハネスは目を丸くした。