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【番外編SS】ある執事の受難の一日

書籍発売記念にTwitterに投稿したSSです。

一章でソフィアとヴァイオレットが入れ替わって一週間。

オルコット伯爵邸の惨劇を見ている執事ジョージのお話です。

 


(……旦那様は、まだお帰りにならないのか)


 オルコット伯爵家に仕えて二十年となる執事、ジョージ・ハイアットの胃は、キリキリと限界を訴えていた。


 おそらくこの屋敷の当主であるマルコム・オルコットは、妻や娘であるジュリアの出した手紙を、封も切らずに放置しているのだろう。

 予想通りではある。出世欲が強く仕事熱心な主人は、自身の妻子には『煩わせないこと』だけを望んでいた。

 屋敷内のことに関しては、すべてこの屋敷の女主人――すくなくとも一週間前まではそうだった――であるイザベルに任せきりだ。


 キリキリを通り越し、ギリギリとし始めた胃にそっと手を当てる。

 もしもつい一週間前までのソフィアがジョージのこの所作を目にしたら、一瞬の逡巡の後、いくつかの質問をし、自身で調合をした胃薬をそっと差し出したことだろう。


 この屋敷の心優しい哀れな長女、ソフィア・オルコットは、母親の――ひいては代々薬師の天才であるアーバスノットの血を引き継いでいる。

 よく効く薬を作る才だけではなく、どんな些細な体調の変化も見抜く、鋭い観察眼を持っていた。


 ――そう。確かに、元々観察眼は鋭かったのだ。


 しかしそれは、主に診察にのみ発揮されていて。

 まさか相手をこうも巧みに追い詰めるために発揮されることがあるのだとは、ついぞ思ってはいなかった。




「どうやらお義母様は、女主人の在り方を知らないようね」


 しんと静まりかえった部屋に、ソフィアの声が響く。

 楽しげな紫色の瞳が捉えているのは、屈辱に唇を噛むイザベラだ。

 つい一週間前、人が変わったように突如この屋敷を掌握したソフィアを、怯えながらも睨みつけていた彼女とその娘はその視線を見咎められ、柔らかく、しかし執拗にいたぶられていた。


「使用人への教育はまるでだめ、自分の娘の教育もままならず、王家の命や教会の教えに背いて自分の首を絞める。どれ一つとっても、伯爵夫人として――いいえ、貴族としても失格ね。敬わなければならない相手さえ見抜くことができないお前には、基本的な学び直しが必要なのではなくて?」


 何も言い返すことができないまま、ドレスを握りしめるイザベラに、ソフィアは指先を顎に当てる。

 そしてすぐ、「ああ」と、何か楽しいことを思いついたかのように微笑んだ。


「そうね。お前、使用人と一緒に生活したらどうかしら」


 驚愕に目を見開くイザベラに、ソフィアが「だって仕方ないでしょう?」と微笑んだ。


「平民と変わらない子爵育ちとはいえ、生まれ育った環境から何も学べないお前ですもの。使用人として働いて、使われる側から一度素養を学んでみることね」


 この少女に、罵声を使えば倍になって返ってくる。この一週間で嫌というほど思い知っていたはずのイザベラは、青ざめて口を戦慄かせながらも、何か言葉にならないことを喚き始めた。


 ソフィアはそんなイザベラを無視して、イザベラの横で青ざめている異母妹のジュリアに目を向けた。

 自分は何を言われるのだろうと怯えるジュリアに、ソフィアは唇の端を持ち上げる。


「教養のかけらもなさそうなお前は――そうね、刺繍の練習でもしたらどうかしら?」

「し、刺繍?」


 母に比べて非常に軽い――嫌がらせともいえない言葉に、ジュリアは戸惑いながら安堵した。

 しかしその安堵を裏切るように、ソフィアが「そうよ」とにっこりと目を細める。


「いやでも上達するように、三百枚。私が認めてやってもいいと思える刺繍を作り上げるまで、お前の部屋をあの物置部屋にしてやるわ」



 ◇


 その惨状の後。

 なんとかイザベラとジュリアを移動させることに成功したジョージは、ソフィアのために茶を淹れる。

 胃痛を堪えながら丁寧に淹れた茶を差し出すと、「あの二人はどうだった?」と、ソフィアが口を開いた。


「イザベラ様は……まだ混乱されています。ジュリア様は……少々泣いていらっしゃるようですが、現在は刺繍に励んでおられると」


 実際のところ混乱というレベルではないし、ジュリアは何度も癇癪を起こしているのだが。

 そんなことはお見通しだとでも言うように、ソフィアが「刺繍程度で済ませてやったことを感謝してほしいものだわ」と息を吐く。


「本来なら二人同時に使用人部屋に入れてやるところだけれど――子どもには、多少は優しくしてあげなければならないものね」


 あれで?

 ついうっかりと驚きが喉元までこみ上げてきたが、すんでのところで飲み下した。

 そんなジョージにちらりと視線を送りながら、ソフィアが「ねえ、ジョージ」と微笑んだ。


「どのような命であれ、私は主人の命に従う使用人を好ましいとは思っているの」

「は……」


 言葉の意味が掴めずにソフィアを見ると、こちらを射るような視線と目が合った。


「けれどお前達の主人であるオルコット伯爵家当主は、私への冷遇を命じたわけではないわよね?」


 たとえ、容認していても。


 こちらを見据えながら薄く笑う少女に、ジョージの背筋に汗が伝った。

 その通りだった。主人はただソフィアを――いや、この家を気に留めていなかっただけ。ジョージはマルコムの煩わせるなという意思を汲み取り、イザベラを刺激して面倒なことにならないよう静観していただけだった。


 ジョージ自身がソフィアを積極的に冷遇したことはない。

 しかしお前も同罪だろうと責められていることを感じて、ジョージは恐れに唇を戦慄かせた。


「も、申し訳……」

「必要ないわ。お前のその安い謝罪に、奪われる時間などなくてよ」


 ジョージの謝罪を興味がなさそうに打ち切って、「ただ、今後は肝に銘じておきなさい」と厳かに命じた。


「今までがどうであれ、今お前達使用人に――いいえ、この屋敷の人間全てに望むことは、この私の意のままに動くこと。謝罪もおもねりも必要ないと、全員に伝えなさい」


 冷えた威厳を孕む瞳に、腹の底がゾッと冷える。

 そんなジョージに満足そうに嗤いながら、ソフィアが「『お父様』が帰ってくる日が、本当に楽しみだわ」と歌うような口調で言った。


「それまでお前の胃も、少しは良くなっているといいわね?」


 きっとお前以上に、あの男の胃は使い物にならなくなるでしょうから、と微笑むソフィアに、ジョージは息を呑みながら、跪いた。






お読みいただきありがとうございます!ジョージはヴァイオレットに失礼を働かなかったので、少し釘を刺される程度で済みました(胃は瀕死)


お知らせですがこの投獄悪女、改稿のため水曜28日からしばし検索除外とさせていただきます。

(削除や非公開ではないので、ブクマしてくださっている方はいつでもお読みいただけます〜!またGoogleなどで題名検索していただいても読めるようです!)

3章の準備が出来次第、または改稿が終わり次第すぐに元に戻させていただきますね!


引き続き、投獄悪女をどうぞよろしくお願い致します!

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