始まりと終わり
「きれい……」
周りから口々に、感嘆のため息や歓声があがる。
時計台から降りしきるその花びらは、どうやらヴァイオレットさまの魔術によるもののようだ。
一体何のために、と私がぽかんとしていると、ステージの中央に向かって、ヴァイオレットさまが優雅に歩き出した。
陛下から少しだけ離れた場所に立ち、柔らかく微笑んで口を開く。
「偉大なる国王陛下より、花の女王へ冠を」
涼やかな声が響く。けして張り上げているわけではないのに、どこまでも通るようなその声は、ヴァイオレットさまのものだ。
その言葉を皮切りにして。空を舞っていた花びらが、輪を描くように私の頭に集まった。
地鳴りのような、轟くような歓声が広がる。見なくてもわかる、これは。
「――花の女王は、前へ」
きっと私同様何も聞いていなかったはずなのに。動揺を見せずに微笑む陛下が、頭に冠を乗せた私に目を向けた。
思ってもいなかったこの流れに、極限まで動揺している私が動けずにいると。
「……‼」
体が勝手に動きだす。
意思に反して手足が勝手に動くこれは、ヴァイオレットさまの肉体操作の魔術だ。
何度やっても恐ろしい感覚に、叫び出すのをどうにか堪えながら。私は自分の体ではないみたいに優雅に動く自分の姿を、半ば呆然と見つめていた。
「――ソフィア・オルコット。君を花の女王に任命する」
朗々と響き渡る声で、陛下がそう言う。ステージの下にいるカーターさんたちが、「じょ・お・う! じょ・お・う!」と叫んでいる。
本当にやめていただきたいと思っている私の横に、ヴァイオレットさまがするりと立つ。
「しっかりと前を見て、浴びなさい。この歓声を」
ヴァイオレットさまが前を向いたまま、私にだけ聞こえる声で、そう囁いた。
「ここで生きているすべての人間の賞賛と羨望が、今この瞬間、すべてお前に注がれているのよ」
ヴァイオレットさまが私に微笑む。
それは私が初めて目にするような、どこか優しい、楽しそうな笑みだった。
◇
(――ヴァイオレットか)
随分派手な演出だと、先ほどまで火薬を乗せていた手のひらに目を落とす。
花びらへ姿を変え、そして渦を巻いて窓の外へと吹き込んでいったそれに驚いたドミニクが、呆然と窓の外を眺めていた。
その手は剣を持ったままだ。
「ドミニク」
クロードが静かに声をかけると、ドミニクの体が跳ねる。
剣を持ち直そうとする彼に「俺はお前を、尊敬していた」と静かに告げた。
「手のひらをすり減らすことしかできなかった俺と違い、自分が持つ能力を最大限に生かしていた、お前のことを」
ドミニクが目を見張る。
「それからお前に、ずっと感謝していた。俺にあの時声をかけ、訓練の時には励まし――友人として、接してくれたことを」
「何を……」
「俺にとってお前は、大切な友人だった。だからこそずっと、お前の助けになれなかった自分を悔やんでいた」
そこまで言って、ドミニクを見据える。
彼は何か信じられないものを見たような苦し気な顔で、視線を彷徨わせている。
「……すまなかった。それだけを八年間、ずっと言いたかった」
この謝罪が、八年前のクロードには言えなかった。言えば自分の力不足が明らかになり、無力感に立ち上がれなくなるような気がした。
言えるようになったのはおそらく、自分の能力にまったく自信を持てないまま、それでも目の前に誰かがいたら助けずにはいられない、ソフィアのせいもあるのだろう。
そんなことを思いながら、クロードはまっすぐにドミニクを見て、静かに告げた。
「――だからこそ、お前に言う。騎士ならば、自分の犯した罪と向き合え」
クロードの言葉に、ドミニクが「ああ」と顔を覆った。
その両手から溢れる慟哭と、外の歓声が入り混じる。歓声が静まるまではと沈黙して待つクロードの耳に、掠れた小さな声が「すまなかった」と言っているように聞こえた。
◇
無事王宮薬師の研究所に戻った私は、しばらくの間諸々の後処理や事情聴取や溜まっていたお仕事など、慌ただしい日を送っていた。
そして今日、すべてがようやく落ち着いた日。
私は王宮薬師寮の自室にて正座をし、神妙にうなだれていた。
「もう、とっても心配してたのよ」
ぷりぷりと、ナンシーさんが怒っている。
その横ではノエルさんが、困ったような笑顔を浮かべていた。
「誘拐でもされていたのかと思ったら、本当に誘拐されかけて、おまけに貧民街で人助けをしていたのですって? 無事なら一言くらい連絡をしなさい!」
「す、すみません……!」
「まったくもう!」
私が王宮薬師の研究所に戻った日。涙ながらにぎゅうぎゅうに抱きしめてくれたナンシーさんは、私の繁忙が終わるまでこうして怒るのを待っていてくれたらしい。
機が熟してようやく怒れるタイミングになったと、休日の今日。朝からとても詰められている。
「おかげで私、花祭りは恋人をはしごしようと思っていたのにそんな気になれなくて……結局、『屋台の匂いに釣られてソフィアちゃんが戻ってくるんじゃない?』なんてノエルちゃんと話し合って、女二人で花祭り、ソフィアちゃんを探しに行ったんだからね!」
「ナンシーさん、ノエルさん……!」
申し訳ないと思いつつ、感動で胸が熱くなる。
そんな私を見て唇を尖らせたナンシーさんが、「まったく、すごい花祭りだったわね」と、感嘆と憤りを器用に両立させながら「陛下もちょっと素敵だったし」と少しうっとりとした。
「陛下の、ちょっと不運そうなオーラも素敵ね、と思いながらソフィアちゃんを探していたら、空から花びらがひらひら~と降ってきて、びっくりしてたらソフィアちゃんがいきなり花の女王に選ばれていて……もう、びっくりしちゃった」
「私も驚きました」
ナンシーさんの言葉に、ノエルさんが頷いた、
「すごくワイルドな方々に女王と呼ばせていましたよね。私、ソフィアさんがそういう趣味をお持ちだったとは露知らず……」
「違います」
食い気味で否定をする。さすがにそれは、絶対にされたくない類の誤解だ。
しかし私に胡乱気な視線を向けるノエルさんの誤解が解けたかは、怪しいところだ。
内心涙を呑んでいると、ナンシーさんの「まったく」というため息が聞こえた。
「これからはちゃんと報告してね。勝手にどこかに行ってはだめよ」
「……はい!」
「まったく怒っているのに、嬉しそうな顔をしちゃって」
呆れたようなため息を吐きながら、ナンシーさんが「今日はこれからエルフォード公爵令嬢のところに向かうのでしょう?」と微笑んだ。
「気を付けて行ってきてね」
「お帰りをお待ちしています」
「……はい!」
二人に手を振って。
私は薬師寮を後にして、ヴァイオレットさまのお屋敷に向かった。
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こんな機会を恵んでいただけたのも読んでくださる方々のおかげです。いつもありがとうございます。
間もなく二章は終幕を迎えますが、これからも投獄悪女をよろしくお願い致します。