花びらの祝砲
屈強な男性陣に囲まれて花祭りの広場へと向かった私は、人の波に圧倒されていた。
「こ、これが花祭り……!」
私は人の波に圧倒されていた。
先日、クロードさまと一緒に行った屋台巡りのときとは、まったく人混み度合いが違う。
男性陣に守られているというのに、それでもひいひい言いながらステージの前についた時、私は既に息も絶え絶えになっていた。
「ソ、ソフィア様大丈夫ですか⁉」
「おい、誰か扇ぐもの!」
「飲み物はないか⁉」
「だ、大丈夫、大丈夫です……」
あまりの甲斐甲斐しさに、気力を振り絞って背筋を伸ばす。しかしこうしている間にも扇がれたり飲み物を差し出されたり日陰を作ってもらったりとまめまめしく介護をされている。
申し訳ないやら慣れないやらで居た堪れない。
気を取り直し、あたりをキョロキョロと見回す。
女神像のあたりに目を向けて、犯人らしき男性がいないかと見てみたけれど、残念ながらここはとんでもない人ごみだ。
ここから離れている女神像の近くはもちろん、半径一メートル以内に於いても、特定の人を見つけるのは困難だと思われた。
――けれど、陛下のことはよく見える。
私は目の前のステージに立つ、真っ白な正装姿に身を包んだ陛下を見た。
遠くまでよく通る声でご挨拶をしていらっしゃる陛下は堂々としていて、今この場所に危険が差し迫っているかもしれないことを、全く感じさせなかった。
私の周りにいる女性たちが、「かっこいい」「素敵」と囁きあっている姿が見える。
確かにステージ上の陛下は格好良く、いつもヴァイオレットさまに不敬を働かれている方とは、とても思えない。
まるで別人を見ているようだなあとちょっと不敬なことを思っていると、陛下とばっちりと目が合った。
私の誘拐事件の顛末を知っているだろう陛下が、私の姿を見てホッとしたような笑顔を浮かべ――そのまま、固まった。
どうやら私の周りを取り囲む物々しい装いの男性陣が、私の世話を焼いていることに驚いたようだった。
意味深にステージの端に目を向ける陛下の視線を辿ると、そこには真っ赤なドレスに身を包む、ヴァイオレットさまがいた。
――ヴァイオレットさまだ。
私がそのままヴァイオレットさまをじっと見つめると、私に気付いたヴァイオレットさまがくすりと笑い、長い指が上を指し示す。
――空?
指の動きに釣られ、空を見上げる。
どこまでも広がっている、抜けるような青空だ。
その瞬間。
「神が祝福を授けた、この善き日を祝して!」
陛下がそう叫ぶ。
「――あ」
その声が合図になったかのように、時計台からたくさんの紫の花びらが、舞い降りた。
◇
遡ること、十分前。
時計台を登り、最上階についたクロードは、ゆっくりと扉を開ける。予想通り、男はそこにいた。
開け放たれていた窓から風が吹き込んで、クロードの髪を揺らした。
「やはりここか、ドミニク」
クロードがそう言うと、ドミニクがゆっくりと振り向く。
「――やっぱり、お見通しか」
自嘲気味に笑うドミニクに目を向けて、クロードは「ここしかないからな」と言った。
「君の挑発するような言葉や、ヴァイオレットに向けた手紙。あれらからは、君が誰を狙いたいのか推測できない。ヴァイオレットに、陛下。もしくは大穴で大聖堂の大司教。一体誰が標的なのかと、ずっと考えていた」
そう言いながら、ドミニクが手にしている箱を眺めて「そして思った」と呟くように言った。
「すべてではないのかと」
「…………」
「君は俺たちが警備の確認をしている際、わざわざやってきて言ったな。『近接武器に対しての護衛は万全に見えるが、投擲武器や弓矢への警護はどう備えているのか』と。対個人用の武器をあげる君は、そこに意識を向けようと――いや、違うな」
ドミニクの目をまっすぐに見ながら、クロードは静かに言った。
「君はまるで、俺にヒントを与えているようだった」
「………………」
暫し沈黙をしたドミニクが、ふっと笑った。
「全部ぶっ壊そうと思ったんだ。この国を。俺から憧れと誇りを奪ったこの国を」
自嘲するドミニクに目を向けたまま、クロードは口を開いた。
「……八年前の事件を調べ、君の姉に会いにいった」
ドミニクは微かに目を見開いたが、すぐに目を伏せた。
「ヴァイオレットのドレスを踏んだ君の姉は、怒り狂ったヴァイオレットに夜会を追い出されて家に戻り――、すぐに両親と共にエルフォード公爵家に向かったと聞いた。ヴァイオレットが、まだ夜会から戻らぬうちにと」
目を伏せながら、クロードは淡々と続ける。
「ヴァイオレットの怒りを恐れた君の両親は、エルフォード公爵その人に取りなしを頼んだ。引き換えに、娘を差し出して。――公爵は『生憎亡き妻以外に興味はない』と断ったが、直後帰ってきたヴァイオレットが事の経緯を知り、激怒したそうだな」
そこまで言って、クロードが言い淀む。
すると先ほどまで黙って聞いていたドミニクが、静かに口を開いた。
「それまでうちは、爵位の低い家や商家の金持ち相手に、姉を使って美人局をしてたんだ。姉が夜会に参加する。標的が手洗いなんかで席を外したタイミングに、娼婦を表す花を挿してその男の前に出る。事に及ぶ前にうちの親が駆け込んで、嫁入り前の娘に何てことを――と、怒鳴りつけ、黙っていてやる代わりにと金をせしめる。うちの父親は高位貴族と仲が良かったからな。もめ事を嫌う貴族としては、金を払う方が圧倒的によかったみたいだ。気が弱くて、後ろ盾のない人間ばかりを選んでたこともよかったかもな」
ひどい話だよな、とドミニクは言った。
「けれどある日突然ヴァイオレット・エルフォードを怒らせた。うちの親は焦ったみたいだな。何はともあれ金を稼がなきゃいけないと。それまで荒稼ぎをしすぎて標的も少なくなってきた親は、選ぶ相手を間違えた。いつものように怒鳴り込んだ父は殴られ姉はそのまま傷物になり、俺の両親は脅迫を始めとする余罪が出てきて、おしまいだ。――姉は、没落して助かったと思っただろうぜ。うちの家に似つかわしくない、馬鹿みたいなお人好しだった」
ドミニクの淡々とした言葉に、クロードは静かに口を開いた。
「…………君の姉から、伝言だ。『いつも私を守っていてくれてありがとう。弱くてごめんなさい』と」
ドミニクが目を見張る。
「その美人局のようなことを始めたのは、君が訓練生になった直後だったらしいな。それまでは君が、それとなく姉を守っていたんだと、彼女は感謝していた」
「……知っていたか、クロード。俺は、出会った時からずっとお前が嫌いだった」
「……それは、知らなかった」
「お前を見てると、自分の小賢しさを思い知らされるような気がした。俺がなりたい騎士は、お前そのものだったから。けしてなれないんだと、毎日突き付けられてる気分だったよ」
自嘲気味に、ドミニクが口を開いた。
「もしもお前が俺だったら。姉を助けられたんだろうな」
そこまで言って、ドミニクが「お前の勝ちだ」と笑った。
「この箱の中には、威力を高めた火薬が入っている。これに火をつけたら、大きくドカン。この塔は吹っ飛んで、近くにいる誰も彼も、犠牲になるはずだった」
そう言ってドミニクが、「クロード」と名を呼び、手にした箱を渡した。
「お前は、俺が目指していた騎士だった。だからお前に賭けた。勝負は俺の負けだよ」
「ドミニク」
彼の様子に、クロードがハッとする。火薬を持っているという非日常が焦りを生んで、僅かに反応が遅れたその瞬間。
ドミニクが「姉によろしく」と微笑んで、いつの間にか手にしていた剣で首を突こうとした、その瞬間。
「神が祝福を授けた、この善き日を祝して!」
窓の外から、国王の声が響く。
その声を合図にするかのようにクロードが手にしていた火薬の箱が、一瞬にして紫色の花びらに変化した。その花びらが一塊の渦のようにくるくると回り、窓の外へ誘われるよう、吹き飛んだ。