花祭りに行く前に
花祭りが、あと二日に迫っている。
「ただでさえクソ忙しいこの時期に、よくもこんな面倒な仕事を振ってくれたよ」
疲れた顔のニールが、クロードの執務室に入るなりそう言った。
いつも飄々としている彼ではあるが、限界に追い詰められた時にはこうして口が悪くなる。
現場の視察を終え、書類仕事を進めていたクロードは、カリカリと走らせていたペンを止め、ニールに目を向ける。
小さく片手をあげて「すまないな」と微笑むと、肩を竦めたニールがどっかりとソファに腰を落とした。
「まったく人使いの荒い上司がいると大変だよ。花祭りが終わったら、僕、三日は有給取るからね」
そうため息を吐くニールに、クロードは目を向けた。
「その様子だと、成果はあったのか」
「成果も出せないまま帰ってくる部下だと思われてたら心外だな」
ニールがそんな軽口をたたき、手にもっていた資料をクロードに手渡す。
受け取って中を開き、読み進めたクロードはその内容に眉を顰め「最低だな」と呟いた。
「直接話を聞きたいかなと思って、明日アポをとってきたよ。君のお昼休みの返上と、君の代わりに僕が午前の会議に出れば行けるかなって」
「ニール……」
仕事のできる部下に尊敬の目を向けると、ニールがにやりと笑った。
「男が修道院のアポをとる大変さと合わせて、ぜひとも有給で労ってくれると嬉しいな」
「……花祭りの直後は無理だな」
ペンを再び走らせながら、クロードが少し寂し気に苦笑した。
「忙しくなる予定だ。……一週間後に三日なら許可できる」
「……僕の有給のためにも、何事もなく過ぎ去ってくれたらいいんだけどね」
ニールが天井を見ながら、ぽつりと呟いた。
「妥協するよ」
妙に寂しく聞こえたその声に、クロードは「ああ」と頷いた。
◇
花祭り当日の日。
入れ替わりの魔術を解いた私とヴァイオレットさまは、それぞれ花祭りの会場へと向かうことになっていた。
「では、ソフィア。花祭りの会場で会いましょう」
金色の髪を揺らし、妖艶に微笑んだヴァイオレットさまが、一瞬にして消えた。
転移魔術でエルフォード公爵邸に戻り、『人前で着られるようなドレス』に着替えてくるのだそうだ。
ヴァイオレットさまがいないと、なんとなく心細い。しかし人間は度胸が大事だと思う。
大きく深呼吸をして気合を入れ、玄関の扉を開けた。
「本当に、行くのですか?」
横にいるリアムさんが、とても心配そうな顔をする。
「ここで待っていた方が……いや、ご自宅に戻った方が。送りますよ」
「いえ、大丈夫です」
申し出は有難いけれど、首を振る。私が会場に行かないことによって、万が一。リアムさんやカーターさんが裏切ったと思われて何か被害がいくのは、とても怖い。
それに。
「ヴァイオレットさまが、必ず来るようにと仰ってましたので」
昨日も心配をして『やっぱり行かない方が良いのでは』というリアムさんに、ヴァイオレットさまは『大丈夫よ』と一笑していた。
『お前も特等席で見てごらんなさい。――でも、そうね。女神像ではなく、広場の前に行くことをおすすめするわ』
女神像と言われていたのに、言うことを聞かなくて大丈夫なのかなあと思わないでもないけれど、ヴァイオレットさまがそう言うのなら、大丈夫なのだろう。
ヴァイオレットさまの言葉には、なんとなく確信めいたものがあった。
「でも……」
それでもまだ心配そうなリアムさんに、もう一度『大丈夫ですよ』と声をかけようとした時。
「俺たちも行くぞ!」
ガヤガヤと、大きな声が聞こえた。
見ると家の前にはカーターさんを始めとする男性陣――この家の住人だけではなく、貧民街に住む屈強な男性たちが、わらわらと集まっていた。
「大人数で来るななんて言われていませんからね」
カーターさんがにっこりと笑いながら、親指を立てる。
「し、しかし……」
こんなにがやがやとしていたら、依頼人に怪しまれるのでは。
私の心を見透かすように、カーターさんがニヤッと笑い、隣にいる方と顔を見合わせた。
「俺が言われたのは、女神像近くで引き渡せということですが――毎年花祭りは酷い人混みだ。それに今回は陛下が来るとあっちゃあ、必死で女神像に向かっても、人に流されて広場の方に行ってしまうのはおかしなことじゃないと思います」
「それにもし犯人に引き渡されたとしても。うっかり転んでみんなでそいつに向かって転んでも、故意にはならないでしょうし」
「そ、それは間違いなく故意かと……」
「ええ、そうですね」
私の言葉に、カーターさんが優しい笑みを浮かべた。
「俺たちはみんな明確な意思を持って、この街を救ってくれた女王をお守りしようと決めたんです」
カーターさんのその言葉を聞いた私は、罪悪感で胸が苦しくなった。
カジノで富をもたらしたのも、貧民街を救ったのも、私の姿をしたヴァイオレットさま。それを黙って危険な目に遭わせるなんてことは、絶対にしてはいけないことだと思う。
騙していたことで、不快にさせてしまうだろう。ぎゅっと胸のあたりを握り締めて、私は口を開いた。
「あ、あの、信じてもらえないかもしれませんが、私は……」
「ソフィア様」
横にいたリアムさんが、首を振る。
それと同時に周りの皆も困ったように笑いつつ、「まあ、ソフィア様とヴァイオレット様、双方が女王っていうか」「女王と付き人っていうか」「まあひとくくりにして邪神っていうか」と口々に言った。
「ヴァイオレット様にも、すげえ感謝してました。仲間を――ルーナを、助けてくれて」
「あなた方二人の間にどんな奇跡があったとしても、俺らにとっては関係ない」
「俺たちはソフィア様にもヴァイオレット様にもあなた方二人に、恩返しがしたいんです」
「皆さん……」
思わず泣きそうになり、唇を噛み締める。
するとその場にいた全員が顔を見合わせて、照れ臭そうな、ちょっと気味の悪そうな。そんな複雑そうな顔をして。
「……すみません、その顔で泣きそうな表情をするのはやめてもらえますか?」
「夢見が悪そうなので……」
そう口々に言われた私は、つい泣き笑いのような表情で吹き出したのだった。
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