感謝することね
湯浴みを終え、他の一仕事を終えたヴァイオレットは、用意させた軽食を食べたあと優雅に紅茶を飲んでいた。
(まったく、紅茶を淹れさせるのにも手間がかかるなんて)
先ほどヴァイオレットはマリアに軽食を用意させている間、近くにいた侍女に紅茶を用意しろと命じた。
すると不快そうに眉をしかめた侍女は、意地の悪い笑みと共に泥水のようなふざけたものを出してきたのだ。
もちろんそのふざけたものを顔面に浴びせたあと、主人に対して取るべき態度を丁寧に執拗に言い聞かせたので、当人とその周りにいる人たちは自分の立場を思い出しただろう。
しかし使用人にさえわざわざ立場を思い知らせねばならないなんて、とんでもないことだとヴァイオレットは思う。
元々予想はしていたが、ソフィア・オルコットは想像以上に悲惨な境遇を生きていたらしい。
(周りの反応を見るに、不平不満は漏らさない小娘だったようね)
今頃、ヴァイオレットの体に入ったソフィア・オルコットは何をしているのだろうか。
彼女はおそらく貴族の中の貴族であるヴァイオレットと違い、あの塔で供される佗しい生活にも不満は言わないだろう。
それを見たあの男は、どんな顔をしているだろう。
(ふふ。本当に入れ替わってるなど、あの頭の固い男は絶対に認めないはず)
きっと今頃あの塔で悩み、戸惑い、警戒している筈だ。
種明かしをすることを考えるだけで、胸に灯りが灯るようだ。嫌いな人間をぎゃふんと言わせる瞬間を、ヴァイオレットは心から愛している。
そうこう考えている内に、外出していたらしいイザベラとその娘ジュリアが帰ってきたのか、キャンキャンと騒いでいる騒々しい声が聞こえてくる。
ヴァイオレットは彼女たちを出迎えるため、美しく微笑んだ。
(――まあ、それはそれとして。感謝することね、ソフィア・オルコット)
自分の目的を果たすついでではあるのだが。
(お前の生活を、野良犬から飼い犬程度にまでは変えてあげるわ)
◇
「何を勝手なことをしているのよ!」
空色の瞳を怒りに燃え上がらせたイザベラが、扉を開けるなりソフィアーーヴァイオレットを怒鳴りつけた。
怒りの形相を浮かべる姿を眺めていると、ジュリアが「ちょっと、それ私のとっておきのドレスじゃない! 何を勝手に着ているの!?」と真っ赤な顔で叫んだ。
「ああ、これ、お前のドレスだったわね」
「おまっ……!?」
普段と全く違うソフィアの様子に、イザベラとジュリアの二人は一瞬絶句した。
胸元のレースを軽く引っ張る。淡い桃色のこのドレスは、いかにも幼稚なデザインで、全くヴァイオレット好みではない。一番まともに着られそうな肌触りのドレスがこれだけだったので、仕方なしに腕を通したのだ。
「私のドレスが一枚もないのだもの。ドレス商がくるまでの間、借りてあげたのよ」
ヴァイオレットの言葉に、二人がギャンギャンと叫ぶ。
「この泥棒! 手くせが悪いなんて最悪よ、このオルコットの恥知らず!」
「ドレス商がお前のために来るわけがないでしょう! 不気味に変な薬ばかり作って、頭がおかしくなったの? この家はお前が好き勝手していい場所じゃないわ」
彼女らの発言に、呆れてつい笑みを浮かべる。今ジュリアの指に輝いているのは、アーバスノット家の当主が、嫁ぐ娘に渡した由緒正しいものであることを、ヴァイオレットは知っていた。
しかしヴァイオレットは「そうね」と頷いた。
「私はオルコット家の恥知らず。後妻とその娘に罵声を浴びせているーーだったかしら?」
そうヴァイオレットが微笑むと、イザベラが怒りに震えたように「口の利き方に気をつけなさい!」と言った。無視をして、更に続ける。
「ああそれから、伯爵家の財産を揺るがすほどの浪費を繰り返し、毒殺なんかの本を読んでは怪しげな薬を作るーーふふ。それがお前たちが、恥ずかしげもなく広めている噂よね」
目を細めて口元に笑みを浮かべると、彼女たちの表情が驚きと怒りと、微かな怯えに引き攣った。
「喜びなさい。お前たちが飽きもせずに広めているその噂を、望み通り真実にしてあげるわ」
「ソ、ソフィア! 本当に頭がおかしくなったの!? いい加減に黙って、部屋に戻りなさい! ジョージ、この小娘を部屋に連れて行って」
動揺する夫人の言葉に、部屋の隅で控えていた執事のジョージは、こめかみに汗を滲ませたままイザベラの言葉に目を閉じた。
通常ならばいつも瞬時に動くだろう彼の足は、ピクリとも動かない。
「何をしているの! 早く動きな……」
「ジョージ。お義母さまとその娘を、早く新しいお部屋にお通ししなさい」
「……かしこまりました、ソフィア様」
ジョージが深く礼をしながらそう言うと、イザベラとジュリアは悲鳴のような高い声でジョージの名を呼んだ。
「ジョージ、お前は一体何をしているの!? 女主人はこの私でしょう!?」
「『ーー神は言った。汝、姦淫するなかれ。汝、嘘を吐くなかれ』」
歌うような口調で神の教えを暗唱しながら、ヴァイオレットは椅子から立ち上がり、イザベラとジュリアの元へと優雅に歩く。
先ほどそこの執事には言い聞かせている。
くだらない神の教えは、こうやって使うものだ。
「世の中にありふれたこの小さな背信行為を、大罪として告発する方法を知っていて? わからないなら、私がたっぷりと教えてあげてもよくってよ」
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次はソフィア視点です。