健康と対価
「薬屋は、貧民街と大通りの境目のところにあります」
私とヴァイオレットさまの少し前を歩きながら、カーターさんがそう道案内をしてくれている。
その薬屋は、歩いて十五分ほどの距離にあるという。
「貧民街の連中は病気を呼ぶって言われてますから、行ける薬屋は貴重です。高くて買えないものも多いんですけどね」
カーターさんのその説明を聞きながら、私は今歩いている街並みを、そっと眺めていた。
最初にここに連れられて来たときは――入れ替わって急いで来たときも含めて――余裕がなく気づかなかったけれど、確かに王都の広場とは雰囲気ががらりと変わっている。
あちらこちらにゴミが散乱しているし、道を歩く人々は子どもも含めてとても痩せている方が多い。着ているものも擦り切れていて、衣食住が足りてないことが一目でわかった。
「これでもマシにはなってきたんですけどね。今の国王が貧民街に力を入れているとかで、天才薬師の作った栄養剤? ってやつを配るようになって……ヴァイオレット様? な、何を照れているんですか……?」
「あ、いえ、なんでもないです……」
不意打ちで褒められて照れる私に、カーターさんがやや不気味そうな目を向ける。
自分を天才だなんて自惚れたりはしないけど、少しは役に立てているのなら、それは少々照れてしまうくらい嬉しいことだ。
――とはいえ。まだまだ不充分だということは、よくわかる。
貧民街は、病気が流行りやすい。栄養不足の他、不衛生な環境がそうさせるのだ。
本で読んでいた知識を現実で見たことで胸が痛くなり、私はつい「あの」とカーターさんに向かって口を開いた。
「栄養剤で少し良くなってきたとのことですが、ここから更に衛生面を整えれば、病気になる方は格段に減るかと思うのです」
「え?」
「病気を防ぐためには、まずは栄養なのですが。次に大切なのが自身や住まいを綺麗に、清潔に保つことで……」
「無理ですよ」
ついさっきまで陽気に振舞っていたカーターさんが、静かな口調で言った。
「貴族のお嬢さんにはわからないでしょうが。そんな余裕は、この街の誰にもありません。俺だってこの金があっても、自分と身内を守るだけで精一杯ですから」
その声は、怒っているわけでも、呆れているわけでもない。
ただ淡々としているその口調は、絶対に無理なのだと私に諭すような響きがあった。
私が思わず言葉を失うと、カーターさんが「ヴァイオレット様が俺たちのことを考えて言ってくださってることは、わかってますよ」と苦笑した。
「ただ、住む世界が違えば出来ることが全く変わります。貴族の暮らしは俺たちにとって、空を飛ぶくらい非現実的なことで――」
「ならば、お金が手に入るのならばどう?」
カーターさんの言葉を遮り、ヴァイオレットさまがそう言った。
私とカーターさんはその言葉に面食らう、
「え?」
「貴族とまでは言えないけれど、清潔にしているだけで実入りの良い仕事が手に入るのならば、ここの住人はやるかしら?」
「そ、そりゃあ……やるとは思いますが」
唐突なヴァイオレットさまの言葉に、カーターさんが困惑しつつ頷いた。
その様子を満足そうに眺め、ヴァイオレットさまが口を開いた。
「では私が、その実入りの良い仕事を与えましょう。――とはいえ私は、自分の益にならないことは――それも生半可な益では、けして動かないと決めているの。だからその分の対価は、きっちりといただくけれど」
「対価、ですか。ここの連中に差し出せるものなんて、それこそ命くらいですが……一体、何をお望みですか?」
ますます困惑するカーターさんが、そう言うと。
ヴァイオレットさまが目を細めて、なんだかお腹の底がぞっと冷えるような、艶やかな悪い笑みを浮かべた。
「私達への、永遠の忠誠を」
◇
「おはようございます、ルーナちゃん」
「ヴァイオレットさま!」
今朝もルーナちゃんのお部屋に入ると、ベッドの中で起き上がっていたルーナちゃんがぱっと顔を輝かせた。
「お顔色がよくなってきましたね」
「うん! それにね、見て!手が動くようになったの!」
ルーナちゃんが満面の笑みで、つい先日まで動かなかった右手を握ったり開いたりする。
「ルーナちゃん……!」
感動して私が思わず両手で口元を押さえると、ルーナちゃんが「それにね」と言った。
「もう痛み止めを飲まなくても、前より痛くないの。前より少しだけ、人の肌みたいになってきたし、触られてることも、もうわかるの!」
そう言ってルーナちゃんが、私にぎゅうう、と抱き着いた。
「ヴァイオレットさまのおかげよ」
嬉しくなってルーナちゃんを抱きしめ返しながらも、私は「いいえ」と首を振った。
「私一人で治そうと思ったら、こんなに早い結果は出ませんでした。これは元々飲んでいたお薬というヒントがあったからです。ですので、このお薬を作ってくださっていた方と……」
そう言いながら、既にルーナちゃんのお部屋にいたリアムさんに目を向ける。
「お仕事を頑張ってこのお薬を買ってきてくれた、リアムさん。それからちゃんと頑張ってお薬を飲んでいた、ルーナちゃんのおかげですよ!」
「ふふふ!」
ルーナちゃんがにこにこと「お兄ちゃん、ありがとう」と笑った。
リアムさんはなんだか泣きそうな顔をして小さく頷き、ルーナちゃんの頭を撫でた。
先日、薬屋で無事に材料を仕入れた私はお薬の再現に取り組み、それはすぐに成功をした。
そこからルーナちゃんに合うように調合を少し変え、出来上がったお薬が効いてきたようだ。
ルーナちゃんはこの通り少しずつ回復し、こうして「ルーナさんという呼び方は嫌よ」という可愛いことを言ってくれるようにもなった。
「リアムさんの傷の調子も良くなりましたしね」
私がそう尋ねると、リアムさんが「はい」と頷いた。
やはりお若いからか、すぐに私の診察がいらない程度には治っていたので、これで一安心だとほっと息を吐く。
ちなみにリアムさんの怪我は、それこそ仕事中の怪我だということにしている。
それでもとても心配していたルーナちゃんだけれど、傷が治るまでの間リアムさんが一緒にいてくれるということで、とても嬉しそうだった。
とはいえ、ずっと家の中にいてばかりもいられないようで。
ルーナちゃんの頭を撫でながら、リアムさんが口を開く。
「……今日は用事があって出かけてくるけど。すぐ帰ってくるから」
「うん!」
そんな二人の様子を見ながら私がほっこりしていると、リアムさんが私に深々と頭を下げ、「よろしくお願いします」と言って出て行った。
リアムさんの後ろ姿に手を振るルーナちゃんに、「いいお兄ちゃんですね」と声をかける。
「うん!」
そう頷くルーナちゃんが、私の方を見て「だから本当に、ありがとう」と笑顔を見せた。
「あのお薬を買うために、お兄ちゃんはずっと無理をしてたから……これでもう、お兄ちゃんが無理をしなくてすむもの」
「お役に立てて、本当によかったです」
心からそう思って頷くと、ルーナちゃんが「へへ」と笑った。
「本当にヴァイオレットさまとソフィアさまが来てくれてよかった! 私の病気もすごく良くなってきたし、それに……」
そう言ってルーナちゃんが、窓の外に目を向ける。
「みんな、大きな声を出して、お薬作りを頑張ってるもの」
ルーナちゃんの言う通り、窓の外からは威勢の良い、欲望駄々洩れの掛け声が響いていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
別作品で大変恐縮なのですが、宣伝させてください…!
本日『次期公爵夫人の役割だけを求めてきた、氷の薔薇と謳われる旦那様が家庭内ストーカーと化した件 』のコミック1巻が発売されました。
いわゆる初夜からの愛することはない系テンプレのお話ですが、能天気なヒロインが傷ついてるヒーローを引っ張り上げていくという、笑えて泣けるコメディです。
なろう版は完結済みなので、ぜひなろう版の原作やコミカライズ(本当に美麗です)のお試し読みをしてもらえれば嬉しいです!
原作URL: https://ncode.syosetu.com/n1276hj/
投獄悪女ともども、よろしくお願いします(*´꒳`*)