狙われている人は
「――俺は花祭りを中止にするよう、陛下に進言したほうが良いと思っている」
全員が出て行った後、クロードさまがそう言った。
テーブルの上に手紙を広げ、手紙の最後に押された印章に目を向けながら「これは数年前、ヴァイオレットが没落へと手を回した、ラネット子爵家の家紋だ」と言った。
小さく息を呑む。
それは入れ替わる前にカーターさんが言っていた、『ドレスの裾を踏んだだけで没落させた』と言っていたお家のことだろうか。
「ソフィアを誘拐したことといい、この印章を押したことといい、『手駒』という言葉を使っているあたりといい、わざとらしいほどに悪意を示しすぎている。――勿論これを計画した人間は、ヴァイオレットに明確な悪意を抱いているが」
そこまで言って一瞬言葉を切り、クロードさまがヴァイオレットさまに目を向けた。
「もしも彼がただ君を害そうと思ったのなら、悪戯に警戒を生む真似はしないだろう」
そう言われたヴァイオレットさまに動揺はなく、ただクロードさまの目を見返していた。
ずいぶんと確信をもってお話をされている、ような気がする。
もしかしてクロードさまは、犯人の人となりを知っているのだろうか。
私がそう困惑していると、クロードさまは私に向けて少し困ったような笑顔を向けた。
「ラネット子爵家の嫡男は、俺の同期だった」
「同期……騎士さまだったのですか」
「ああ」
頷きながら、クロードさまがほんの一瞬だけどこかが痛むような顔をして、口を開いた。
「共に王宮騎士を目指していたが、あと少しというところで家が没落。困窮していた両親が罪を犯していたことが発覚し、王宮騎士への道は閉ざされた。以来行方不明となっていたが……つい先日。俺が街で警護体制の確認をしている時に現れた。焦げ茶色の髪に、とび色の瞳の男だ」
「それは……」
「少なくとも、関わっていることは間違いないだろう」
沈黙が広がる。
その沈黙を裂くように、ヴァイオレットさまが口を開いた。
「お前がそこまで確信をして、かつ花祭りを中止した方が良いというくらいだもの。何か引っかかりのある会話があったということ?」
「……ああ。ドミニクはまず、君に言いたいことがあるから、予定を教えて欲しいと言っていた。しかし君は、突然現れた男の言葉を聞くような人では絶対にない。そのため事前に面会を取り付けるため善処しようと言ったのだが、その後に」
クロードさまが小さく息を吐く。
「『職を失わないように気をつけろ、ある日突然降ってきた災難に責任を取らされて、居場所を奪われることがあるんだからな』――と」
「――……随分と親切な友人ではないの」
ヴァイオレットさまが、嘲笑うような笑みを浮かべた。
「お前が職を失うようなことをしでかしてやると、わざわざ忠告してくれるだなんて」
ヴァイオレットさまの言葉に、クロードさまが頷いた。
「君を――それも、君が特別目をかけていると噂されるソフィアを誘拐してまで、君をおびき寄せようとしている以上、その言葉は君への危害を示唆していると考えるのが妥当かもしれない。だが花祭りには陛下や、大聖堂の大司教も参加される。稀代の魔術師でもある君への危害よりも、俺はそちらへの危害の方が心配だ。君が狙われていると見せかけて陛下を襲う可能性や、あわよくば君もろとも、を狙っている可能性が捨てきれない。ドミニク自身が陛下に恨みを持っている可能性は低いと思うが、大金を持っていたという状況から考えて、誰か有力貴族と共謀しているという可能性も高い」
先ほどから二人の会話を聞いて何とか状況を飲み込むのに精いっぱいの私でも、クロードさまの言葉はその通りだと思えた。
過去の戦争で、万の敵を退けたとされる大公を、ヴァイオレットさまは捕まえたのだ。
そんなヴァイオレットさまにわざわざ警戒されるような手紙を送るだろうかと考えたら、私なら絶対に送らない。
私が小心者だということもあるけれど、きっと命知らず以外の大体の人間が、不意打ちという手を選ぶのではないだろうか。
いやでもしかし、お相手は元騎士さま。高潔な方なのだろうか、いやいや高潔ならば誘拐という手は使わない気もするし……と考えこんでいると、クロードさまが言葉を続けた。
「警備は、万全を喫(期)している。しかしいくら穴がないと思っても――いや、穴がないと思う時こそ、危険は必ず潜んでいる。陛下を始めとする誰かに危害が及ぶ可能性があるのなら、俺は開催しないと言う大事を取るべきだと思う。警備を司る騎士団長としてそう進言するのは、逃げと謗られても仕方がないが」
「お前のその潔い情けなさは、自らを完璧だと自負する者よりはややマシね」
そう言いながら、ヴァイオレットさまが、「けれどね、クロード」と目を細めた。
「国王というものは、侮られた瞬間に死ぬものよ」
その言葉の静けさに、思わず息を呑む。
「……」
「王家のスキャンダルによって王位交代となった今、ヨハネスの地盤はあれの頭よりもゆるい。そんな中、毎年盛大に行われる花祭りにヨハネスの参加が決まり、その途端に脅迫状が届いたために花祭りを中止にした――そのようなことが『噂』ででも流れたら、どんなことになると思う?」
合間に挟まれた不敬な言葉に大きく顔を顰めつつ、クロードさまは一瞬口をつぐみ、また静かに口を開いた。
「……反国王派の仕業かと、そう思う者が出てくるだろうな」
「ええ。そしてその反国王派の声は、毎年国民が待ち望んでいる花祭りを潰すほどのものだったのだと、民衆に知らしめることになるでしょうね」
「……?」
どうして、そうなるのだろう……?
二人の会話に、私は静かに困惑をし、「あのう……」と手をあげた。
「その脅迫状は私を誘拐したという報告書であり、ヴァイオレットさまへのお呼び出しになるのですから、陛下の統治と関係ないのでは……?」
「馬鹿娘」
私の言葉にヴァイオレットさまが、あきれ果てたというようにため息を吐く。
「実際の理由が本当だろうとそうでなかろうとどうでも良いのよ。警備上の問題があって花祭りが中止になった――その事実だけで、噂は作れるの。特に噂上手な者ならね」
「噂上手……それではヴァイオレットさまは、噂を流すのが苦手なのですか? すごく意外で……あっ」
ついするりと出てしまった言葉に、慌てて口を押さえるが、時は既に遅かった。
ヴァイオレットさまがそれはそれは美しく、恐ろしい瞳で微笑んでいる。
横にいるクロードさまに目を向けると、クロードさまは額を手で押さえ、『もう手の施しようがない』という顔をなさっていた。
「――まあ、ふふ。こんなに侮られたのは、初めての経験だわ。私が、噂を流すのが下手? つまり、手回しが下手だと言いたいのかしら」
「ちっ、ちちっ、ちがっ」
「自らのこのこと攫われにいき、手立てのないまま危機を迎えた有能な小娘は、やはり言うことが違うわね。――この私が犯人の挑発に屈して花祭りを中止させたと、そんな噂を自ら流せと?」
「そっ、そんな発想に……⁉ そんなつもりではなかったんです、すっ、すみませんすみません」
怒りを灯した紫色の目を、ヴァイオレットさまがゆっくりと細める。
あわあわと唇を震わせながら、私は自分の運命を悟った。
私はもう知っている。ヴァイオレットさまがあの目をなさる時は、相手の心をこてんぱんに叩き折る時なのだ。
なかなかお話が進まずですみません。
次の次あたりから楽しい時間が過ごせるようになるかなあ〜と思います!