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悪女、本性を現す

 



(――なんだ、空気が変わった……?)


 依頼人に頼まれて攫った少女、ソフィア・オルコットの髪を掴んでいた男――カーターは、一瞬言葉を失った。


 この少女には、恨みはない。むしろ彼も可愛がっている少女と見た目年齢が近いこともあり、あくどい女だと知ってはいるが、普通の娘のように怯える姿に多少心が痛んだほどだ。


 しかし所詮は悪女だと、周りの者に示しをつけるため、わざと恐怖心を煽ってはいたのだが。


「聞こえなかったの?」


 青みがかった紫の瞳に、冷たい蔑みの色が宿っている。


「薄汚い手を離せと、この私が言っているのよ」


 バシ、と髪を掴んでいた手を強く払われた。

 いつものカーターであれば決して、非力な少女に叩かれようと手を離すことはなかっただろう。

 しかし別人のように威厳を纏い始めた小娘に動揺し、手を離してしまった。


 ハッとして、「この野郎」と凄み、少女の眼前にナイフを突きつける。


「猫を被るならもう少し堪えていたほうが良かったな。お前、自分の状況がわかってるのか?」


 冷ややかに睨みつけるが、少女はまったく動じることがない。

 排除すべき不快な虫が、目の前にいる。

 そんな眼差しでカーターを見据える少女に、ぞわりとした感覚が胸の内から這い上がった。

 その感覚を振り切るように、カーターは口を開いた。


「お前たち貴族にとって俺たちは虫けらだろうが、お前は今その虫けらにナイフを突きつけられてるんだぜ。俺は今お前の顔をナイフで切って、鬱憤を晴らすことだってできるんだ」


 カーターの言葉に怯えたのか、少女が僅かに目を伏せて――しかし次の瞬間「ふふ」と笑った。


「状況がわかっていないのは、お前たちの方ではないの」


 少女がそう言いながら、獲物をいたぶる猫のような眼差しでカーターを、それから部屋中を見渡し――にっこりと、嗜虐的な笑みを浮かべた。


「没落寸前だとはいえ、私は貴族令嬢。平民が貴族令嬢を誘拐し害するだなんて死罪になってもおかしくないのに、お前たちは随分と、落ち着いているのね」

「はっ」


 失笑した。このお嬢様は自分の状況を弁えず、平民如きが貴族を害せはしまいと、勘違いしていたのだろう。


「なんだ。平民如きが貴族を害せるわけがない。今のうちに悔い改めて、減刑を願えとでも?」


 妙な気迫を纏ったと思ったら、命だけは助けてやるから助けろという、馬鹿げた命乞いをする気だったとは。

 カーターが嘲笑を浮かべたその時、しかし少女は、「まさか」と一笑した。


「減刑を願ったところで、捕らえられたお前たちが死罪になる未来は変わらないでしょう?」


 そう言いながら少女が目を細めて「お前たちに手を貸したのは、よほど財力と伝手があるもののようね」と言った。


「お前の持っているそのナイフ。その特殊な柄は、フォルタナ公国で作られているものね。平民のごろつき風情に持てるものではないわ」


 目の前に突き付けられているナイフを恐れる様子もなく、少女はゆったりと告げる。


 確かにこのナイフは、依頼人から手渡されたものだった。

 カーターのような貧民には生涯見ることすら叶わないだろう大量の金貨をちらつかせながら、その見るからに高価なナイフを、焦げ茶色の髪にとび色の瞳をしたあの男は、『前金と合わせてこれをやろう』と言って手渡したのだった。


 フォルタナ公国。その遠い国で作られているナイフが、どれほど貴重なものなのかは名前を聞いただけではよくわからない。

 しかしこのナイフの柄には確かに、美しい宝石を縁どる緻密な彫刻が彫られていた。

 審美眼には自信のないカーターでも、一目で非常に高価だとわかった。

 だから、信用したのだった。


『仕事を終えたら、そのナイフの他に今見せた金貨を全て渡そう』


 焦げ茶色の髪をした男は、そう言った。


『しかし……』


 貴族を害せば、自分たち貧民はひとたまりもない。碌な裁判もなく死罪になって終いだろう。

 喉から手が出るほど金が欲しいが、命は惜しい。仲間の命も、捨てさせるわけにはいかない。

 躊躇うカーターにその男は、『心配は必要ない』と笑った。


『お前たちが攫うのは、自分の業により生家を没落に追いやった悪女で、もはや貴族とも呼べない女だ。その証拠に今は、嫁ぐこともできず女だてらに薬師として働いている。そしてお前たちに頼みたいのは、その女を攫ったという証拠を同封し、エルフォード公爵家に送りつけることだけだ』


 そう言って手渡されたのは、封がされていない手紙だった。


『お前の手駒を返して欲しければ、花祭りに出席しろ』と書かれたその手紙の末尾には、絡みついた二匹の蛇の印章が押されていた。


『花祭りの当日、お前たちは広場の女神像のところへソフィア・オルコットを連れてきてくれればいい。それまで彼女を殺さずに、様子を見る。……お前たちの仕事は、それだけだ』


 正直に言って、エルフォードという名前には一瞬躊躇った。

 ヴァイオレット・エルフォードという名前は下町にも轟いている。

 性悪だが、あの稀代の英雄クロムウェルを捕らえた、化け物級の魔術師だというではないか。

 それにいくら悪女と言えど、年若い少女を躊躇うのはどうにも気がすすまなかった。


(だが。エルフォード公爵家と直接関わるのは、手紙を送るだけ……)


 殺しもせず、最終的には依頼者に引き渡すだけ。

 少女一人を攫うだけで、これほどの大金が手に入るのならば。

 揺れ動くカーターに、男は『悪女に心を痛める必要はない』と語って聞かせ、『お前たちの安全は保証する』と言った。



『何故なら――』


「揉み消すことなどわけはない。お前たちが捕まれば、私にも迷惑がかかる――そんなことでも言われたかしら?」


 記憶の中の男が言った言葉を、目の前の少女が口にした。

 驚いて思わず目を見開けば、「図星のようね」と、妙に艶めかしい嘲笑を浮かべる。


「どうせそのわかりやすく高価と誇示するナイフに加えて、見せ金でも見せられたのでしょう? ――ふふ、また図星? そうね、そういう手法は、二流の貴族がよくやるわ。そしてそういう二流はね」


 嗜虐的な笑みを浮かべた少女が、カーターの目を見据えて自身の首を指でトン、と指し示す。


「後始末が上手なのよね」


 場に沈黙が広がった。

 その静寂を愉しむように、少女がまた口を開く。


「知っていて? 金で雇われた人間は、必ず金で口を割るというのが貴族の間の定説なの」


 そう言った後、今度は口元から笑みを消し、カーターを、そして部屋にいる者すべての者を見渡した。


「今まで危ない仕事を引き受けて、ひどい死を遂げた者や、行方知れずの者はいない? ――心当たりはあるようね。ええ、もちろん。その仕事を引き受けたからとは言わないわ。きっとそれがこの国の、裏の日常なのでしょう?」


 歌うような口調でそう言いながら、少女はカーターの目を見据えた。


「始末をしても、その日常に埋もれてしまう。――だからこそ、お前たちに仕事を頼むのよ」


 そう言いながらにっこりと笑い、「おかしいとは思わない?」と首を傾げた。


「どうして揉み消す力を持っているのに、貴族令嬢の誘拐をわざわざお前たちに頼んだのか。どうしてエルフォード公爵家に手紙を送るためだけに、お前たちを雇うのか」

「そ、それは……」

「考えられない人間ほど、利用しやすいものはないわね」


 少女はそう言った後、「取引をしましょう。私に協力し役に立つというのなら、命だけは助けてあげる」と微笑んだ。


「……⁉ お前、何を言って……」

「まさかお前たち、この期に及んでもまだ、この私を捕らえられたと思っているの?」


 目を細めて嫣然と笑う少女に、カーターは腹の底がぞっと冷えるのを感じた。




次回、ソフィア視点に戻ります。

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