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(本当は薬師なのです)

 



 そうこうしているうちに食事が終わり、食後のお茶まで付き合って頂いた。


 ニールさまが淹れてくださったそのお茶は淡い茶色で、一口飲むと爽やかな懐かしい草の香りがする。


「! これは、ホーステールのお茶ですか?」

「……よくわかりましたね」


 驚き顔のニールさまに頷いた。


 ホーステールというのは春から秋の終わりまで、どんな場所にも生えてくる雑草だ。もちろんオルコット伯爵家の、私専用の畑の近くにも生えている。


 手間もお金もかからず取り放題なのに、色々な薬効がある素晴らしい薬草だ。


「僕の生家であるハーヴィー伯爵家が本邸を構えるドノヴァンという領地は、土地が痩せていて作物が実りません。そんな場所にも生える草ですので、領民はみんな気軽に飲んでいます」

「ではニールさまにとってこのお茶は、懐かしさを感じる特別なお茶なんですね」


 痩せた大地でも取り放題なんて、どこまでも神様に愛された草である。


「本当に、素晴らしい草ですよね。血止めにもなり骨折にも効き浮腫みもとれますし。乾燥させると咳止めにもなり、煎じた汁は皮膚炎にも効き……」


「……君に薬師のような知識があるとは知らなかったな」


 私が思わず我を忘れて語り始めると、クロードさまが驚きに目を見張った。


 どきりとする。これは入れ替わりを本格的に信じられてしまうかもと、内心狼狽える。

 しかしクロードさまは少し考えた様子のあと、納得したように頷いた。


「……そうか。君の家庭教師の一人は、確か薬師の家系の出だったな」

「なるほど、それで」


 クロードさまの言葉に、戸惑っていたニールさまも頷いた。一瞬の間を置き、少しだけ顔を曇らせる。


「薬師で思い出しましたが、最近僕の領地では厄介な病が流行っていまして……」


 そうニールさまが話し始めたのは、ドノヴァンの一部の平民の間で、半年ほど前から流行しているという病だった。


 何でも流行に敏感な若い方ばかりがかかる病気で、食欲不振、激しい倦怠感や手足のしびれ、ひどい人では足元がおぼつかず、歩けない人も出てきているのだそうだ。


「一部の若い者だけに流行しているので、領主である父は悪い遊びでもしたんだろうとさして気にしていません。しかし、医者もこのような症状は見たことがないと言っているので、不気味だと」


 ニールさまの言葉に、思い当たる病が一つだけあった。

「直接患者さまを診ていないので、確実なことはわかりませんが」と、私は慎重に口を開いた。


「……もしやその若者は、白いパン、それからホーステールのお茶をよく摂取しているのではないでしょうか?」

「え?」

「この塔でも出される白いパンは、平民の間でもここ一年ほど前から広く食べられるようになったと聞いています。しかし元々食べていた黒く固いパンと違って、そればかり食べていると病気になりやすく、特にホーステールとは相性が悪いようなのです」

「病気になりやすいパン?」


 困惑する二人に、私は慌てて「この塔で出される食事のように、肉や野菜など様々な食材と一緒ならば問題はありません」と言った。


「まだ初期段階のようですし、以前の黒いパンを多く食べたり、豚肉を食べたり、もしくは雑穀を食べれば間違いなくすぐに良くなると、私は思います。食生活が違う東の国ではよく診られる病気のようなので、一度食養生に詳しいお医者様に診て頂いたほうが、よろしいかと……」

「なるほど……」


 ニールさまが少し考え込み、「――仰る通り、医者を手配してみます。それから、ご提案の食生活も」と言った。


「しかし、驚きました。これが本当ならば、あなたは公爵令嬢よりも薬師に向いているのでは」


 薬師なのです。

 言いたいような言いたくないような微妙な気持ちで、私は曖昧に微笑んだ。



 ◇



 二人が帰り支度を整え、部屋から出るため扉の前に立った。

 ニールさまが「今日は色々とありがとうございました」と礼をした。


「もしよかったら、また三人で食事をしましょう。クロードの許しが出れば」

「! ぜひ……!」


 素早くクロードさまに視線を向けると、彼はなんとも厳しい表情をしていた。無理だと悟った。

 考えてみればここは牢獄。当然だと思う。


 それでもちょっと肩を落としてしまった私をフォローするためか、ニールさまがまた口を開いた。


「そういえばあのスープ、大変お気に召したようでしたね。またメニューに出すよう、伝えておきましょうか?」

「いいんですか!?」

「もちろん。他に好物はありますか?」


 まさか食事にリクエストができるとは。ニールさまの優しい言葉に、私は口元に手を当て真剣に考えた。


 正直言って、今まで私に好物という概念はなかった。

 オルコット伯爵家でもらえる食べ物は、食べられるギリギリのちょっと向こう側のものばかりだったので、あまり味は気にしないようにしていたのだ。



 ――あ、でも。


 遠い昔の記憶が蘇る。

 煮詰めた草の香が立ち上る大鍋の側で、特別に舐めさせてもらった甘い味。


「ええと……はちみつが、好きです。甘いので」

「蜂蜜?」


 二人の驚き戸惑った表情に驚いて、ハッと気づく。

 はちみつは、高価なはずだ。以前耳にした使用人の世間話によると、はちみつ一瓶でパンが二十個買えるらしい。二十食。無料の差し入れで頼むにしては強欲すぎる。


「あ、でも、ただ好物と言われて咄嗟に思いついただけで……私は好き嫌いがないので、お気持ちだけで充分です! スープだけで!」


 慌ててそう言うも、二人は何とも言えない表情でこちらを見ている。

 余計なことを言ってしまったと後悔しながら、二人を見送った私はため息を吐いた。



 ◇◇



「はちみつ、ねえ……」


 ヴァイオレットの部屋から出てすぐに、ニールが呟いた。


「あれさ、別人でしょ」

「本人だ」


 ニールの言葉に、内心同意したい気持ちを抑えながら、クロードは言った。ニールが「いや、だってさ」と眉根を寄せた。


「『散り、枯れるだけの花を連想させるようなものはこの私に似合わない――センスすらない節穴なのね、幻滅だわ』だっけ? 以前殿下が風邪をひいたエルフォード公爵令嬢に見舞いに持って行った蜂蜜を、目の前で投げ捨てた時言ったセリフは」

「……ああ」


 その時のことをよく覚えている。あの時の凍り付いた空気は、思い出したくもないものだが。


「彼女、この間体が入れ替わったかも、と言っていたんだっけ? 本当に信じてしまいそうだよ」

「俺も実際にそういう魔術がないのか、王宮の魔術師に問い合わせた。――答えは、有り得ない、だ」

「まあ、そうだよね」


 ニールが肩をすくめた。


「別人にしか見えなくて、さすがの僕も微妙に罪悪感が芽生えた。僕の不躾な挑発や探りに少しも動じないどころか、気付かずに受け答えしているようにしか見えなかった」


 そう言いながら嘆息するニールに、クロードも「ああ」とため息を吐く。


 変わり果てた彼女の様子をヨハネスに報告した際、ヨハネスは「お前まであの女に騙される気か」と眉を顰めた。

 それで「化けの皮を剥がせ。何を考えているのか探るんだ」と、そういったことが得意なニールとクロードに命じたのだが。


(成果が出たどころか、余計に混乱した)


 一緒に食事をとろうと、ニールがそう誘ったとき。大きな紫色の瞳が驚きに見開かれて、輝いた。


『―― ――こうして誰かとお食事するの……本当に、本当に楽しいです』


(あれは本当に、ヴァイオレットなのか……?)


 何度目かの疑問が浮かび、クロードは首を振る。そんなことは有り得ない。王宮の魔術師が知らず、クロードがいくら調べても存在しない魔術を信じることなど滑稽だ。


(――ヴァイオレットの師であった大公にも、手紙を送ってみたが)


 彼女の我儘に耐えかねて彼女を破門したという大公――国王の兄からは、まだ返信がない。

 王兄である彼は稀代の魔術師で、かつてはこの国を救った英雄でもある。ヴァイオレットをよく知り、あらゆる魔術に精通している彼ならば、何か知っているのではないかと思ったのだが。


「あーでも、本当に信じられないな……。平民の飲む茶なんて、絶対に投げつけられると思ってたし。家庭教師が薬師なら知識はまあ……納得するとして、平民の病にあんなに真剣に回答するなんて」

「……」


 そう言って、ニールがふう、とため息を吐く。


「もしも本当に入れ替わりというものがあったらさ」


 静かな声で、ニールが呟いた。


「本物のヴァイオレット・エルフォードはどこに行ったんだろうね?」

「……わからないが」


 少し考えて、クロードはため息を吐いた。


「ろくなことにはならないだろうな」




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