かつての友人
ドミニク・ランネットとクロードが出会ったのは、今から九年前のことだった。
その日騎士団の式典の際に使われる広いホールが、ざわめきでいっぱいになっていた。
先日行われた騎士の入団試験に合格した少年たちが、一堂に会しているその場所で、十三歳のクロードは一人静かに、壁の近くに立っていた。
騎士の試験に合格し、ようやく訓練生となれた。
一年かけて行われる訓練の中で適性を計られ、正式な騎士となる一年後、配属先が決定される。
クロードが――、そして大半の少年が目指すのは、王族に直接仕える王宮騎士だ。
爵位のある名家出身であることや、素行の良さはもちろんのこと、剣の腕や身体能力も上位でなければ配属されないそこは、騎士を志す大半の者が憧れている。
訓練が始まるのを静かに待っていると、突然「失礼」と声をかけられた。
「あなたが、クロード・ブラッドリー?」
クロードに声をかけたのは、焦茶色の髪にとび色の瞳を持つ、利発そうな少年だ。
「……そうだが」
少し警戒をしながら、答える。
当時、すでに国王直属の騎士団長に稽古をつけてもらっていたクロードは、騎士を目指す少年たちからは少し距離を置いていた。
侯爵家という高い身分に、エルフォード公爵家の悪名高き一人娘の婚約者候補。
すべてはコネなのだろうとやっかみを受けることや、反対に自分を売り込んでもらうために親しくなろうと、近づいてくる者も少なくはなかった。
「ああやっぱり。すぐわかった」
愛想のないクロードの反応をさして気にとめず、少年は快活に笑った。
「一人だけ、すげえ姿勢がいいからさ。強そうだな。俺も、王宮騎士を目指してるんだ」
ドミニクと名乗ったその少年は、クロードの頭から爪先までじっくり検分するように眺めて「本当に強そうだな」と笑った。
「一緒に頑張ろうな。よろしく」
そう少年が差し出す手には、剣だこや古い擦り傷がたくさんあった。
なんという不躾な人間だろうと辟易しかけていたクロードは、その手のひらに目を見張る。
「……よろしく」
彼と似たような、ぼろぼろの手を差し出す。
ドミニクはその手を見て目を丸くし、にやりと笑って握手を交わした。
◇
「俺、商人が嫌いなんだよね」
「君の家、元は商家じゃないか」
ドミニクの言葉に、ニールが呆れたように言った。
訓練生として過ごすうちにドミニクとニールとは仲が良くなり、こうして普段から三人で過ごすことが多くなっている。
「だからこそだよ」
ドミニクが顔を顰める。
「商いの世界は抜け目がなくて、腹黒い奴ばっかだよ。そんな中俺のじいちゃんみたいな人が好過ぎる人間は食い物にされる。少しでも気を抜いたり情を見せたらもう終わり」
俺の姉貴も気が弱くて人が良いから嫁ぐまでは面倒見てやらないと、とそう嘆息するドミニクの生家は、ランネット家という裕福な子爵家だった。
元々はニールの言う通り裕福な商家だ。外国との取引も多く、街や国を発展させた功績を讃えられ、曽祖父の代で爵位を賜ったという。
彼の祖父が家を継いだ途端、経営していた商会はすぐに縮小し、潰れてしまったそうだが。
しかしドミニクの父が爵位を継ぐと、家はすぐに再興した。
元々商家で身を立てた一族だ。
コミュニケーション能力や自分を売り込むことに長けていたドミニクの父は、子爵でありながら高位貴族たちと非常に親しく付き合いつつ、小さな領地からは驚くべきほどの税収を得て、それを上手にまわしているそうだ。
「そういう七面倒な世界が絶対嫌でさ。強けりゃ認められる騎士の世界はわかりやすいよな。まあ、騎士だって上に立てば立つほど、出自だの駆け引きだの、大変なことがあるけどさ」
「それはそうだよ。貴族だって平民だって同じようなものさ。綺麗事だけで快適に生きられるほど、生きてくことは優しくないよね」
それに、とニールが言った。
「君の才覚は、やっぱり商人由来という感じがするよ。けして悪い意味ではなくて、むしろ長所だけれど」
確かに、とクロードも頷く。
「相手がどんな人物か、どう話せば相手が受け入れてくれるのか。ドミニクは見抜くのが上手い。その商人の才は、騎士としてもうまく活かせるだろうな」
自分にはない才能だと、クロードは素直に思う。
しかしクロードの褒め言葉に、ドミニクは少しバツの悪そうな顔をした。
「やっぱりバレてたか。あわよくばお前と仲良くなって師匠の騎士団長に売り込んでもらおうと思ってたの」
「そりゃあ……これだけ仲良くなればな」
「腹黒じゃないか」
呆れた顔のニールと、更にバツの悪そうな顔をするドミニクを見て、クロードは思わず「はは」と肩を震わせた。
あまり笑わないクロードを見て驚いたニールとドミニクに、まだ笑いの残る顔で、「いいことじゃないか」とクロードは言った。
「血が滲むまで剣を握った男が、目的を叶えるために自分を売り込むのも努力の一つだと、俺は思う」
目を丸くするドミニクに「しかし」とクロードは苦笑した。
「俺と仲良くなっても売り込めず、期待外れだったろう」
騎士の入団試験に合格し訓練生となって以降、師匠である騎士団長の稽古は取りやめとなっている。会う機会も持たないままだ。
騎士になった以上、また稽古をつけて貰いたければ自分の力で王宮騎士となれ、というのが、師匠の考えだ。
「……いや、それはもういいや」
クロードの言葉に、ドミニクが笑った。
「ま、このままいけば合格間違いなしだしな」
「うわ、ちょっと。落ちるフラグをたてるの止めなよ」
何の憂いもなくそう笑い合えたのは、おそらくあの時間が最後だろう。
程なくしてヴァイオレットと共に出席した夜会で、ある令嬢がヴァイオレットのドレスの裾を踏んでしまった。
それが彼の姉だと気づいたのは、ドミニクに土下座をされたその日のことだった。
「――頼む、クロード。お前からエルフォード公爵令嬢に執りなしてくれ」
ドミニクがクロードの前に跪き、地に頭を擦り付けた。
「ドミニク、やめろ!」
「姉は昔から鈍臭かった。お前の婚約者の……エルフォード公爵令嬢の裾を踏むなんて、なんてことを」
「俺にできることはする! もう頭を上げてくれ」
そう言ってドミニクに、ヴァイオレットに頼むと約束をした。
そうして何度も、ヴァイオレットに「どうにか許してやってくれ」と頭を下げに言った。
しかしヴァイオレットは頑として首を縦には振らず、クロードに冷ややかな目を向けた。
「無礼を働かれたら倍にして返さなければ、いつか必ず足を掬われるわ」
それ以上に言葉を発さないヴァイオレットは、絶対に許す気がないことを悟った。
侯爵である父になんとか出来ないかと頼み、決して頼りたくなかったヨハネス――将来の主君と決めたその人にも頭を下げたが、没落を阻止しようと動いた子爵の犯罪が明るみに出たこともあり、没落は免れなかった。
詳しいことは伏せられていたが、下級貴族や裕福な平民への脅迫や恐喝を行っていたらしい。
嘘か真かはわからないが、その犯罪はヴァイオレットがでっちあげたことだとも、当時大きく騒がれていた。
しかしどちらにせよ、ドミニクが王宮騎士になる道は潰えてしまった。
(王宮騎士としてではなく、普通の騎士としてなら。勤める手はあったのだが……)
当時のクロードが必死に根回しをして、騎士として残ることは許されたのだが、肝心のドミニクはその道を選ばなかった。
そうしているうちにドミニクは姿を消した。
彼が姿を消した翌日に、クロードとニールは目指していた王宮騎士への配属が決定された。
次回ソフィア視点です。
ほのぼのデート準備編です。