フレデリック・フォスター
「失礼」
聞き覚えのない声に振り向くと。
そこにいたのは黒いローブを身に纏った、とても綺麗な男性だった。
黒い髪に、金色の瞳。
どこか浮世離れした雰囲気を持つその方は、なんだかとても目を惹く男性だった。
お顔を見る限り、三十代になるかならないか、というところだろうか。
しかしどことなく老成した佇まいでいらっしゃるので、もしかしたらもう少し年齢は上なのかもしれない。
「あ、ええと……どうなさいましたか?」
そう尋ねると、男性が掴みどころのない瞳で私を見る。
――この方、なんだかどこかでお会いしたことがあるような……?
見覚えがあるような気がするけれど、しかしまったく記憶にない。
三か月前まで筋金入りの引きこもり生活を送っていた私に古い知り合いなどいるわけがないので、多分気のせいなのだろうけれど。
そんなことを思っていると、「人を探しているのですが」と、彼が僅かに眉を下げた。
「人、ですか?」
「ええ。ディンズケール公爵閣下がどこにいるか、ご存知ありませんか」
今しがた話していたばかりの名前に驚きつつ、私はさっきディンズケール公爵がいた窓に手のひらを向けた。
「あ……ええと、公爵なら先ほど、あちらの廊下で見ました。もう会議室に向かっているかと……」
「ああ、そうでしたか。……先に行ってしまったか」
そう独り言のように呟いて、彼が「助かりました」と言った後、私の瞳を覗き込んだ。
吸い込まれそうな金色の瞳が、一瞬微かに驚いたように揺れる。
かと思うと彼はすぐに穏やかに微笑んで、小さく口を開いた。
「お気をつけて」
「え?」
唐突な言葉に驚くと、彼は「本来、女性に使う言葉ではありませんが」と上品に苦笑した。
「あなたに女難の星が出ています。女性の隠し事にはご注意を」
それだけを言うと私の答えを待たず、そのまま颯爽と屋敷へと歩いていく。
「女性の隠し事……?」
そのまま王宮の出入り口に向かって行ったその男性の言葉に困惑していると、ノエルさんが驚いた声音で「フレデリック・フォスター?」と呟いた。
「フレデリック・フォスター……あっ」
聞き覚えのある名前に、思わず声を上げる。
その名前は、少し前に発表された論文の著者の名だった。
薬の材料といえば動植物から、というのが薬師界の通説なのだけれど、彼はその論文の中で、金属も薬の材料に成り得ると発表したのだ。
当初それはないだろう、と薬師界はざわざわとしていたらしいのだけれど、その論文を読んだ私のお祖父さま――アーバスノット侯爵が鉄粉を使った薬を作ったことで、一気に世論が変わったらしい。
とはいえ金属は体に大きな毒となるものも多いので、まだまだ慎重な研究が必要となるけれど。
しかし薬師界に画期的な革命を齎したとして、今大変な注目を浴びている方だ。
なるほど。どこかで見たお顔だと思ったのは、何かに載っていた肖像画を目にしていたからだ。
そう納得する私の横で、スヴェンが「すっご⁉︎ 本物⁉︎」と目を輝かせる。
どうやらスヴェンは彼のファンのようで、興奮気味に「フレデリック・フォスターは薬師じゃないのに、画期的な革命を齎したんだよ」と、誇らしそうに説明を始めた。
「フレデリック・フォスターは、優秀な錬金術師なんだ。元々錬金術師の名門フォスター家の遠い分家の出だったんだけど、あまりに才能がありすぎて本家に養子に入ったらしい」
「錬金術師って……あの、石を黄金に変える?」
「そ。不可能を可能に変える、賢者の石の作成を目指す人のこと。賢者の石はその辺の鉄屑を黄金に変えたり不老不死にしたり、亡くなった人を生き返らせたり――不可能なことはすべて可能にする、すごい石のことなんだけど」
「な、亡くなった人まで……」
驚いて、目を瞬かせる。
「それはもはや、神さまの領域じゃ……大丈夫なのでしょうか」
もしもそれが完成したら、すごいことだ。
人と神は違うと説いている、教会の教えに反するのではないだろうか。
そんな私にナンシーさんが、「それは大丈夫じゃないかしら」とおっとり微笑んだ。
「錬金術師は、賢者の石を作るために色々なものを開発しているの。たとえば金も溶かす王水や、火薬や蒸留技術や、その他にも人体の研究もね。彼らがいなければ、文化の発展はないのよ」
「確かにそうですね」
ノエルさんが真面目な顔で頷きながら、「それに」と言った。
「本当に賢者の石が作れるだなんてこと、きっと当の錬金術師以外に信じる人間はいないでしょうし……」
辛辣な相槌に、スヴェンが口を尖らせる。
「いや、錬金術師はまだ賢者の石こそ作ってないけど、ナンシーが言った通り色々と発明してるし、それになんといっても……」
「そうそう。錬金術師――フォスター家は、教会派のディンズケール公爵家のお抱えでもあるの」
スヴェンの言葉を華麗に遮り、ナンシーさんが少し小声で言った。
「お抱え?」
「今言おうとしてたのに」
スヴェンが再び唇を尖らせ、じろりとナンシーさんに目を向ける。
「占星術だよ。錬金術は占星術と隣り合わせなんだ」
そう言いながら、スヴェンは自分のことのように誇らしそうに胸を張った。
「フォスター家は錬金術でも有名だけど、昔から占星術がよく当たるって評判なんだ。特にフレデリック・フォスターはその占星術が超一流で、未来のことは百発百中で言い当てるらしい」
百発百中の予言師。それが本当ならば、確かに重宝されるだろう。
すごいことだなあと感心している私の脳に、不意に先程のフレデリックさまの言葉が思い浮かんだ。
「だから、まあ……」
スヴェンが、気の毒そうに微笑んだ。
「――隠し事をしてそうな悪女の側には、あんまり行かない方が、いい気がするけど……」
「…………」
「無理だよな」
その通りだった。
脳内でヴァイオレットさまの高笑いが響き渡り、私は深く絶望をした。