仁義なき高い高い
どこまでも丁寧に整えられた、春の王宮の庭園。
その庭園には些か不似合いなこの畑で、私はわくわくと心躍らせながら瑞々しい春の薬草を摘んでいた。
そんな私と共に畑の様子を見ているのは、同じ王宮薬師の三人だ。
「うん、よく根付いてる。さすが王宮は土まで良質だな」
「本当ねえ」
スヴェンの言葉に頷くのは、王宮薬師の先輩であるナンシーさんだ。
ゆるやかな長い黒髪を一つに束ねたナンシーさんは、どこか色気の漂う微笑を浮かべながらおっとりと微笑んだ。
「土がふかふか。みみずがたくさんいるおかげね。……この子たち、二十匹くらい捕まえて日干しにしてもいいかしら。作りたいお薬があるのだけれど」
「あ、生き物を捕えて薬にしてしまうのは、ちょっと……」
そう止めるのは、私と同じ新人薬師のノエルさんだ。
肩のあたりで切り揃えた亜麻色の髪に、黒縁の眼鏡。見るからに才女といった雰囲気を醸し出している彼女は、私と一つしか変わらないというのにとてもしっかりとしている方だった。
そんなノエルさんが困ったように眉を下げながら、みみずを詰めるための瓶を手に持つナンシーさんに目を向けた。
「ソフィアさんが陛下から戴いたのは、あくまでも王宮の一画を畑として使うことへの使用許可です。王宮の敷地内にある生物は基本的に王家のものと見做されますので、どうしてもここにいるみみずを獲りたいというのであれば、王宮に許可を求めるべきかと」
「みみずを獲っても良いですかって? ううん……やめておくわ。王宮には殿方がいっぱいだものねえ」
ナンシーさんが「みみずを日干しにする女は、さすがにモテないもの」と残念そうに息を吐く。常時恋人を募集しているナンシーさんの趣味は恋愛だそうで、今は七人の恋人がいるのだそうだ。
「こうして王宮の庭園に何を植えてもいい畑があるだけで助かるしなあ」
のんびりと頷いていたスヴェンが、私に向かって親指を立てた。
「さすが国王を救った女! 報奨が一味違うね!」
「た、たまたま幸運が重なっただけなので……」
スヴェンの言葉に恐縮しつつ、ごにょごにょと視線を彷徨わせる。
今私達がいるこの畑は、三か月前の大公の事件で、私が陛下へ薬を作ったこと――対外的には解毒薬となっている――を作った報奨として戴いたものだった。
王宮薬師という職も寮という住む場所も手に入れていた私は、陛下直々に尋ねられた『報奨は何が良いのか』の問いになかなか答えられず。
非常に悩んで思いついたのが、この王宮薬師の研究所にやや近い、庭園の端っこのスペースを畑にしていただくことだった。
その報奨は予想外だったようで、お願いをした時陛下や周りの方はとても困惑していたけれど、それで良いならと快諾していただいた。
私があの薬を作れたのは、お祖父さまの知識と重なった幸運のおかげなのだけれど――。
正直に言って、とても嬉しい。
もちろん王宮の敷地内には王宮薬師のために、薬草を栽培している薬草園というものもあるのだけれど。
そこは比較的管理が難しかったり、希少だったり、そんな高価な類の薬草でスペースは手一杯なのだ。
もちろん薬草に貴賎というものはないのだけれど、野草やどこででも栽培が容易な野菜を育てさせてほしいとはなかなか言いにくく、されど思い立ったときに採れたてのそれらが使いたい……そんな私のような薬師にとってこの畑は、何よりもの報奨だった。
「ま、若干人の視線は痛いけどな」
しみじみと幸せを感じている私の耳に、スヴェンの苦笑混じりの声が聞こえる。
スヴェンの視線の先を辿ると、確かに王宮の窓越し、おそらく廊下だろう場所を歩いている人たちがこちらをちらちらと、時にはまじまじと見ているようだった。
最近ではすっかり慣れていたけれど、確かにここは注目の的だった。
しかし、仕方のないことだと思う。
端っことはいえ、綺麗に整えられた庭園に急に素朴な庭園が現れたら大半の人は驚くだろうし、何が植えられているのかは誰もが気になるところだろう。
それでも畑ができてからひと月が経ち、皆さま慣れてきているようだったのだけれど……と思っているうちに、私は疑問を感じて首を傾げた。
「なんだか今日は人が多いですね」
それも使用人ではなく、なんだか遠目で見ても偉い人とわかるような雰囲気の、ぱりっとした紳士が多い。
「今日は有力貴族が集まる会議がありますから」
私の疑問にノエルさんがそう答えた。
「花祭りも近づいてきましたし、先日戴冠式の日取りが発表されましたので、それでかと」
「ああ、そういえばそうね。戴冠式が慣例よりもちょっと早い日に決まったからばたばたしてるって、文官の彼が言っていたわ」
そう言いながらナンシーさんが窓の方に目を向けて「それにしても」と頬に手を当てた。
「高位貴族のおじさま方って、遠目からでも佇まいが素敵よね。大体妻子持ちなのが残念だわ」
「七人も恋人がいるのに、そこの倫理観はきっちりしてるんだな」
「スヴェンはまだまだねえ。恋多き女こそ、越えてはいけない線は守るものなのよ」
少し呆れ顔のスヴェンに、ナンシーさんはどこ吹く風だ。
二人は気が合うのか合わないのか、いつもこういった言い合いをしている。
今まであまり人間社会に接してこなかった私としては、そんな会話を聞くのも楽しい。
二人をスルーして薬草を摘み始めたノエルさんと一緒に薬草を採りながら、二人の会話を聞いていた、その時。
急に首筋にぞくりとした視線を感じた気がして、驚いて振り返る。
先ほどの王宮の廊下に、じっとこちらを眺めている様子の男性が立っていた。
男性はそのまま数秒の間を置いて。すぐに何事もなかったかのように、去って行った。
「どうした?」
「あ、いや、今視線を感じて……」
私がそう言うと、「今のはディンズケール公爵ね」とナンシーさんが言った。
遠目でよくもわかるものだと驚きつつ、今聞いた名前を復唱する。
「ディンズケール公爵?」
「ええ。この国には二つの公爵家があるのは知っているでしょう? ソフィアちゃんがよく知っているエルフォード公爵家と、それからディンズケール公爵家。その当主よ」
「……この国に公爵家は、二つしかないんですか?」
「あら、知らなかったの?」
全く知らなかった。
少し驚いたように眉を上げたナンシーさんが「覚えていた方がいいわよ」と優しく言った。
「建国当初から続く名家は他にもあるけれど、その二家はこの王国グロースヒンメルの双璧と言われているわ。でも……そうなの、ソフィアちゃんを見ていたのね……」
「え……あの、何か……?」
歯切れ悪く言い淀むナンシーさんに、嫌な予感がして尋ねると。彼女は「ディンズケール公爵家とエルフォード公爵家はね」と真面目な顔で言った。
「仲が悪いの」
「仲が悪い」
面食らって復唱すると、ナンシーさんが「そうなのよ」と真面目な顔で頷いた。
「エルフォード公爵家は王家派。対するディンズケール公爵家は教会派という、そんな派閥の問題もあって、昔から仲が悪いらしいのだけれど……」
「派閥ですか……」
政治と権力の世界に疎い私は、神妙に頷いた。
派閥の問題や淑女教育など、貴族として生きる人たちは大変だ……と、私が心底自分の薬師という職を得られたことに感謝していると、ナンシーさんがおっとりと「でも一番は」と続けた。
「確か十二年……三年? くらい前に、エルフォード公爵令嬢がディンズケール公爵子息を、魔術を使って『高い高い』したせいじゃなかったかしら」
「高い高い……?」
「あ、俺もそれ知ってる」
和やかな単語に私が首を傾げると、スヴェンも大きく頷いた。
「エルフォード公爵令嬢が、自分を揶揄ったディンズケール公爵子息とその取り巻き達を、魔術を使って何度も空高く放り投げたやつだよな」
「……!」
「聞いた話だとエルフォード公爵令嬢の高い高いは……なんと、あの木よりも高かったそうだぜ」
スヴェンが指差した木は、成人男性三人分は必要かと思われる高さの高木だった。
「エルフォード公爵令嬢は当時の国王陛下に溺愛されてたし、確かディンズケール公爵子息の方が五、六歳は年上だったってこともあって喧嘩両成敗で終わったらしいけど。そんなこんなであの二家は、ちょっと……いや、結構仲が悪いらしい」
「な、なるほど……」
それは、そうなるだろう。
幼い頃のディンズケール公爵子息に心の底から同情しつつ、私はあらためてヴァイオレットさまに逆らわないようにしようと、固く心に決めた。
そんな私にナンシーさんが自分の頬に手を当てて、困ったように首を傾げる。
「だからソフィアちゃんを見ているっていうのが、気になって。ほら、ソフィアちゃん、エルフォード公爵令嬢と仲が良いでしょう? あの方が自宅に招く唯一の友人だって、話題になってるもの」
「ゆ、友人⁉ そ、それはないです。そんな恐れ多い……」
謙遜ではなく本当に恐れ多くて、慌てて首を振る。
私が友人だと呼ばれていることがヴァイオレットさまに知られたら、なんだか理不尽に叱られそうだ。そう思って私が弁解しようと、口を開いた瞬間。
不意に後ろから、声をかけられた。
「失礼」
聞き覚えのない声に振り向くと。
そこにいたのは黒いローブを身に纏った、とても綺麗な男性だった。
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