国王陛下と悪女のお茶会
更新空いてしまいすみません。
ヨハネス&ヴァイオレットです。
ヴァイオレットの部屋を訪れるのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
クロードとソフィアが去った後の部屋の中。
ヴァイオレットの対面に座ったヨハネスは、侍女が淹れた紅茶を飲みながら最後にこの部屋を訪れたときのことを思い出していた。
何も知らずにこれならば風邪も治るだろう、そう思って真剣に選んだ蜂蜜を持って行った日、罵倒されてその蜂蜜を投げ捨てられた。
あの時何もわかろうとせず、生まれて初めてヴァイオレットを怒鳴りつけた時のことを、ヨハネスはおそらくずっと悔やんでいくだろう。
とはいえ。
それとこれと話が別である。
「それで」
目の前で優雅に紅茶を飲みながら、涼しい顔をしているヴァイオレットにじろりとした目を向けた。
「私からの呼び出しを再三断っていたのは、一体どういうわけなのだ、ヴァイオレット」
普通ならば青ざめて謝る場面だと思うのだが、ヴァイオレットはどこ吹く風だ。
「だって、私の方には何も用がないのだもの。それなのにお前と会うなんて、なんだか気が向かないわ」
「国王からの呼び出しは『気が向いたら行く』ものではないと思わないか?」
繕いもしない理由にかなりイラッときたが、ヴァイオレットに怒っても無意味なのだった。
何しろこの従妹の精神の八割は尊大さでできていて、あとの一割は傲慢さでできている。こんなことでいちいち怒っていたら、ヴァイオレットの従兄は務まらないのだった。
「次はないからな」
内心あるだろうなとは思いつつ、そう告げる。
返事の一つもないが、もはや気にするだけ無駄だろう。
(まあ……思ったよりも元気そうだとわかっただけで収穫か)
しかしこの人に弱みも企みも見せない従妹は、上手に隠しているだけかもしれない。
早速本題に入ろうとヴァイオレットに向き直り、小さく咳払いをする。
そして気づかれないように慎重にヴァイオレットを観察しながら――何でもないことのように、軽い口調で尋ねた。
「――先日、伯父上の元に面会に行っただろう。どうだった?」
「さあ、特に何も」
そんなことか、と言うように片眉をあげて、ヴァイオレットが「想定外のことは何もなかったわ」と肩をすくめる。
そう答えるヴァイオレットの様子に、嘘は見えない。
(……杞憂だったか)
小さく安堵の息を吐く。
それなりに心配していたが、伯父との面会は彼女にとって、良いもので終わったようだ。
ヴァイオレットから、幽閉の塔に投獄された伯父と面会がしたいと言われたのは、つい先日のことだ。
そう言われてすぐに、無理だと断った。
本来、幽閉の塔に収監された罪人とは面会が許されない。
ヴァイオレットの場合は謹慎の意味合いが強かったため、多少ゆるめられてはいたのだが、本当の罪人――特に王族の殺害、またはそれを企てた者はより一層厳しく管理される。
そのため伯父への面会は、信仰のために唯一許されている、神父の訪問を多く設けるだけで精一杯だった。
しかしヴァイオレットは、自分の思うがままに物事を動かす天才だった。
そして最悪なことにヨハネスは、そんな彼女を投獄し悪女と罵った挙句、命を救われてしまったのである。
ちなみにヨハネスが投獄し悪女と罵った女性がソフィア・オルコットだったことを思い出したのは、罪悪感をたっぷりと刺激され、『せめて報奨を』と迫られ頷いてしまった後のこと。
頷いてしまったあとは、時すでに遅し。
ヴァイオレットには『ヨハネスの殺害を未然に防ぎ、伯父を捕縛した報奨』として、面会権を渡すことになったのだ。
その後処理の大変さは、思い出したくない出来事である。
あらゆる大貴族や権力者――、例えばエルフォード公爵家と共にこの国の双璧を成すディンズケール公爵家や、ディンズケール公爵家と縁が深い大聖堂やその他いくつかの有力貴族に苦言を呈され、醜聞にまみれた玉座に座したばかりのヨハネスは、その対応に非常に苦慮することとなった。正直言って泣きそうだったし、今も胃痛の後遺症に悩まされている。
しかしその対応を抜きにしても、伯父との面会は手放しでは賛成できなかったのだが。
(……ヴァイオレットは実の母のことも、伯父上のことも慕っていたから)
あの一連の事件は、あまりにも悲しいものだった。
無論、ヨハネスは伯父に対して強い怒りを覚えている。
自分の命を狙ったこともそうだが、何より領民を救ってほしいと助けを求めた少女を利用し苦しめたことを、ヨハネスは生涯許しはしないだろう。
(それに……)
もう記憶もおぼろげな叔母――ヴァイオレットの母のことを思い出す。
ヴァイオレットの母とは到底信じられない程に穏やかで美しく、そしてとても聡明な人だった。
だから、余計に心が痛む。ヨハネスにとっても叔母は、とても大好きな人だった。
あの聡明な叔母でさえ、悪意がこめられたお茶の真意には気づかなかった。それほど、実の父を信頼していたのだろう。
そして伯父だけがその信頼を育めず、ただ奪われ続ける立場だった――と思うと、伯父を憎みきれない気持ちもあるのだ。
きっとそれは、ヴァイオレットも同じ――いや、もっと複雑な気持ちだろう。
そんな伯父と面会をしたヴァイオレットの心が、少し心配だったのだ。
何度呼び出しても姿を見せないとなれば、余計に。
「……ソフィア・オルコットのおかげかもしれないな」
「――ソフィア?」
思わず口をついて出た言葉に、ヴァイオレットが怪訝そうに眉を顰めた。
「いいや、なんでもない」
弧を描く唇を隠すように、ヨハネスは紅茶を飲む。
もしもヴァイオレットに『友達ができてよかったな!』などと言えば、二度とソフィアに会わない道を選びそうだ。
「お前が元気そうでよかったな、と思っただけだ」
ヨハネスがそう言うと、ヴァイオレットが小さくため息を吐く。
数秒の間を置いて、「お前は本当に、愚か者ね」と呆れたように呟いた。
◇
(――まったく、あの男は。あれで国王が務まるのかしら)
ヨハネスが帰宅したあと。
ヴァイオレットは気に入りの椅子に座り、小さく呆れのため息を吐いた。
(どうやらあの男は、私があの小娘に友情を感じていると思っているようね)
ばかばかしいことだと、再度ため息を吐く。
ヴァイオレットがソフィアを鍛えてやっているのは、けして友情からではない。
ソフィア・オルコット。
あの薬師の才に溢れた気が弱い小娘には、非常に大きな利用価値がある。
(――私の目的を叶えるためには。必ずあの娘の力が必要になる)
そのために利用価値のある人間の利用価値を更に高め、同時にあの小娘はヴァイオレット・エルフォードの庇護下にあると、知らしめているだけにすぎないのだ。
(幼い頃から知った仲だというのに、あの節穴にはそんなこともわからないなんて)
まったくヨハネスには、呆れて物も言えないほどだ。
前々から思っていたがあの男は、王族としてあるまじきことに人間の本性が善性だと誤解している節がある。あれに道徳教育を施したものは、今すぐにでも処するべきだ。
(今日ここへ来たのも、私が伯父様と面会をして、落ち込んでいないか確かめにきたのでしょうけれど――私がそんなことを悟らせると思うのかしら。身内にこそ、弱ったところを極力見せないなんてことは嗜みでしょうに)
とはいえ、落ち込んでいるという訳ではない。
落ち込んでいるひまもないのだった。
「……まあ、良い退屈凌ぎにはなったかもしれないわね」
ソフィアの姿を思い出し、ヴァイオレットは小さくため息を吐いた。
また次に会ったとき、厳しく鍛えてやろうと思いながら。
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しかしこれからしばらくは月水金で投稿できそうなので、よろしくお願いします。