騎士と薬師のデートの約束
「陛下の護衛は大丈夫ですか?」
エルフォード公爵邸から、寮へ帰る途中。
あらかじめ手配してくださっていたらしい馬車の中で、対面に座るクロードさまにそう尋ねると、彼は「ああ」と頷いた。
「元より俺は君を送るために来ていて、陛下を護衛する騎士は他にいる」
「私を送るためにですか?」
驚いてクロードさまを見ると、彼は頷きながら「君との約束に割り込む形になってしまったからな」と少し申し訳なさそうな顔で、説明を始めた。
「前々から、陛下はヴァイオレットに話があると王宮へ来るようにと言っていたんだが、エルフォード公爵を通して命じても手紙を送ってもすべて『向こう一年は都合が悪い』で来ず、ならばと陛下自らエルフォード公爵邸に行っても留守ばかりだ」
「そ……そうなんですか」
聞いている私の方が、ドキドキと動悸がする。
世界広しといえども、陛下にそんなことができるのはヴァイオレットさまだけだろう。
ヨハネス殿下が国王になった今も、ヴァイオレットさまは相変わらず堂々と不敬なことをしているらしい。きっと心臓には毛どころか、鉄の棘が生えているに違いない。
「そこで、君が公爵邸を訪れる日なら間違いなく自宅にいるだろうと陛下は判断され、急遽訪れることになった。一応考慮して、これくらいなら終わっているだろう、という時間には向かったのだが……、せめて送りくらいはと申し出たんだ」
「そんな……お気遣い、ありがとうございます」
申し訳なさそうなクロードさまに、私は慌てて首を振った。
「むしろあのタイミングで来てくださったおかげで、本を落とさずにすんで助かりました」
「確かに」とちょっと笑ったクロードさまが、一瞬だけ何かを考えるように沈黙する。
なんだか気がかりがありそうなその様子が気になって、首を傾げる。
「……? 何かありましたか?」
「あ、いや。なんでもない」
誤魔化すようにクロードさまが笑い、「それよりも」と言った。
「真っ先に助かったというのが本だとは。君は相変わらず、自分のことよりも薬作りに関するものが最優先なんだな。……ちゃんと寝ているか?」
「あっ……そう、ですね? ま、まあまあばっちりと……」
絶対に嘘を見抜きそうな眼差しに、気まずくなった私は目を逸らしつつ、頷いた。
嘘ではなかった。基本的にはきちんと寝ている日が多い。
しかし夢中になりすぎると週に二日は徹夜をしてしまうので、本当だとも言いにくい。
そんな私にクロードさまが呆れ混じりの眼差しを向け、「睡眠は毎日しっかりとった方が良い」と諭すような口調で言った。ばっちりと見抜かれていて、面目がない。
「う……はい、気をつけます……」
「医者の不養生とはよく聞くが、君は些か不養生が過ぎる。食事は摂っているか?」
「あ、はい! それはばっちりです!」
「先ほどのばっちりとはずいぶん違うな」
クロードさまが苦笑しつつ「そこは安心だが、本当に寝るように」と念押しをした。
「しかしそんなに忙しい中で淑女教育とは大変だな。あの塔で過ごしている中で、君の……たとえば食事の時、食べ方が綺麗なものだと思ったが」
「! あ……あの、食事の作法は母に教えてもらっていたので……」
淑女の才能はゼロながらも、それだけは自信がある。
褒められて照れながら、私は少し得意げに答えた。
「食事は食材に感謝をしていただくべきだと教えられて。他のことは追々と言われていたのですが、食事の作法だけは教えてもらっていたんです」
「……そうか」
私の言葉にクロードさまが一瞬思案し、すぐに微笑んだ。
「良いお母上だな」
「はい!」
褒められて嬉しくなり、大きく頷く。
するとクロードさまが微笑ましい子どもを見るような目をこちらに向けるので、気恥ずかしくなった私は窓の外に目を向けた。
「し……しかしとはいえ私よりもクロードさまの方がお忙しいのではないですか? 最近、王宮に携わる方は大変お忙しいとお聞きしましたが」
王宮薬師へのお薬の発注も、眠気や疲れが取れるお薬が増えてきた。
ぜひともしっかり寝て食べていただきたいものだと、自分のことを棚に上げて思ってしまう。
「ああ……突如国王が変わったからな。秋に開かれる戴冠式が終わるまでは、多少バタバタと落ち着かないかもしれない」
そう言いながら、クロードさまが窓の外に目を向けた。
「ただ、今忙しいのは二週間後に開かれる花祭りに陛下も参加なさるからだ。三か月前にあんなことがあったばかりだから、警備や護衛も念入りに穴がないか検証しなければならない」
「花祭り?」
「ああ。大聖堂――ルターリア教の三大祭りの一つだ。はるか昔、神が信徒に永遠の命を授けたという伝説にあやかり、健康や長寿、繁栄を祈願する祭りなんだが……ほら、あちこちに花が飾られているだろう。神が祝福を授けた時、この国にはあらゆる花が降り注いだという言い伝えに由来している」
クロードさまの視線に促され窓の外を眺めると、確かに家やお店に、色とりどりの花が飾られていた。
自由に出かけられるようになった今も、薬師の研究所にこもりきりのことが多い私は、ふだんの王都の街並みに詳しくない。
なので『みんなお花を飾っているなあ。春だものね』としか思っていなかったのだけれど、お祭りのために飾られているらしい。
「花祭りでは少女の中から一人、花の女王が選ばれる。いつもは大聖堂の高位の神父が行うのだが、今回は選ばれた女王に、陛下自ら花冠を被せることになった」
「素敵ですね……!」
聞いただけで良い香りがするような、素敵な称号だ。
今までお祭りに行ったことがない私には想像がつかないのだけれど、きっと花の女王に選ばれるのはお綺麗な方なのだろう。
「一度見てみたいものです。大きなお祭りなんですか?」
「ああ、毎年物凄い人出になる。屋台や露店なども多いしな」
「屋台?」
首を傾げると、クロードさまは「歩道や広場に出る店のことで、主に食べ物や飲み物が売られていることが多い」と言った。
「食べ物や飲み物を……外で食べるのですか?」
「主に平民が楽しむお祭りだからな。ベンチに座って食べる者や、歩きながら食べる者もいる」
「!」
それは、できたてが食べられるということだろうか。
本日の淑女教育をぼろぼろで終えたばかりで、そして唯一褒められた食事マナーに反することに、こんなことを言ってはだめかもしれないけれど。
楽しそうで、美味しそう。
ポーカーフェイスを装いながらそんなことを思う私に、クロードさまがちょっとだけ笑いながら口を開いた。
「色々なものがある。たとえば串焼き。これは文字通り、串に肉を刺して焼いたものだ。それから飴細工、綿菓子やクレープ。塩辛いものから甘いものまで、あらゆる食べ物が並んでいる」
それはもう、絶対に美味しい。
正直に言って名前だけではよくわからない食べ物もあるけれど、そもそもクロードさまが名前を出したというだけで、その食べ物は美味しいものだと決まっている。
是非とも一度、行ってみたいものだ。
しかし私のような鈍臭い人間が、人通りの多い場所に行ったりしたらどうなるだろうと、ちょっと不安になる。なんと言っても私は年季の入った引きこもり。帰り道がわからなくなったり、何かにつまずいて通行人の絨毯になる未来が見える気がする。
残念だけれど、来年にした方が良さそうだ。それまでに少しは人混みを歩く訓練をしてみよう。
そんなことを考えていると、クロードさまが躊躇うように口を開いて「……一緒に行くか?」と言った。
「え?」
「もちろん、当日は無理だが。本番に向けて、来週休みを取るように言われている。もうすでに花祭りに向けて、屋台や露店がある程度出てきている。もちろん当日ほどの活気はないが、逆にじっくり見れて良いような気もするし、雰囲気は楽しめるのでは――ああ、いや」
そこまで言ったクロードさまが、少し恥じ入るように苦笑した。
「初めてなら、当日に参加したいか。今の発言は――」
「――いえ、行きたいです! クロードさまと!」
なかったことになりそうな空気を感じて、慌てて言った。
私の勢いに驚いたのかクロードさまが目を瞬かせ、「そ、そうか……」と目線を逸らした。
もしかして食い意地が張りすぎていると引かれただろうか。そう今の勢いをちょっと後悔していると、クロードさまが優しい顔で笑った。
「楽しみだな」
「……はい! すごく」
クロードさまが楽しみと言ってくださったことに、ほっとする。
寮に着くまでの間、私はとても浮かれた気持ちで、お祭りの楽しみ方をクロードさまに教えていただいたのだった。