ありったけの花吹雪
「ソフィアさん、頑張ってるねえ。もう十時間も机に向かってるじゃないか」
まるまるふくふくとした姿の薬師長が、ひたすらカリカリとペンを走らせる私に声をかけた。
「あ、薬師長……」
「今日は約束があるんだろう? きりも良さそうだし、そろそろ帰る準備をしたらどうかな」
言われて初めて時間を思いだした私は、壁にかかった時計を見て「わ」と驚く。
「もうこんな時間! わわ、急がなくちゃ……」
慌てて書きかけの論文をカバンに入れたり、片付けを始める。新しいカプセル作りがうまくいったので、論文を書いている間に思いついたものを紙に書きつけて……としていたら、いつの間にか時が過ぎていた。
ここに勤め始めてからというもの、毎日がとても充実していて時間が過ぎるのがあっという間だ。
そう。なんと、私は今王宮薬師になっていた。
カプセルを作ったり、魔術無効の薬を作ったり、魔術隠しの薬を無効化する薬を作った功績を認められたからだ。
ちなみに大公が魔術を使って公爵夫人や殿下を殺そうとしたことは、魔術師への偏見の助長に繋がりかねないとして伏せられ、毒殺ということにされている。
なので対外的には私の功績は、発見されていない毒物の解毒薬や、原価がほぼゼロの栄養剤を作ったこととされているらしい。
とにかく。その功績が認めてもらえたおかげで、私は毎日とっても幸せだった。
王宮薬師。日がな一日お薬作りをしてお金をもらえる、とっても素晴らしい職……!
「何変な顔してんの、ソフィア。また甘いものでも食べてんの? それとも新種の草を見つけた?」
しみじみと幸せを噛み締めている私に声をかけたのは、同僚のスヴェンだ。
短い赤毛に、はしばみ色の瞳。揶揄うような視線を向けながら、彼はまた口を開く。
「食いしん坊の草オタクだもんな」
「ち、ちが……これは、日常の幸せに感謝をしていただけで……」
「浪費家悪女様が、ずいぶん小さな幸せを噛み締めていることで」
「ろ、浪費家……」
何も言い返せずにいると、「冗談だよ」と笑ったスヴェンが私の手のひらに飴玉を乗せた。
「わあ……! あ、飴だ……!……ありがとう!」
「飴玉ひとつでそこまで喜ぶなよ」
そう笑うスヴェンは口は悪いけれど、こうして色々と気にかけてくれる。
入れ替わり魔術のことは公表されたけれど、そんな奇術があるわけないと信じてない人も多い。
ゆえに悪女と称される私は何人かに軽蔑の目を向けられていたけれど、ここにいる大体の人が割と人に興味がないし、スヴェンや薬師長のように優しくしてくれる人もいる。
やっぱりここは天国だ。
それに……何より、寮があるのがありがたい。
そう思いながら、私はオルコット伯爵家の惨状を思い出した。
まず、お義母さまは私の薬を売らせるようにしろと使用人に命じていたと、調査で判明した。
その罰としてお義母さまは貴族籍を剥奪され、数年投獄されることになった。
そして、お父さま。
彼は今、お義母様が犯罪を犯した後始末に追われている。
おまけにオルコット伯爵家はヴァイオレットさまの散財により財政が火の車で、一気に老け込んだのだそうだ。
ヴァイオレットさまには、早く父親に仕返しをなさいと怒られたけれど、もう充分仕返しされていると思う。
そう言うと彼女は眉をひそめたが、仕方ないというようにため息を吐いた。
「まあ、お前がそう言うのなら……私が勝手にとどめをさすわけにはいかないわよね」
そう言う彼女は、破綻しないギリギリを見極めて日々じわじわじわじわオルコット家を追い詰めているらしい。
それを聞き、むしろ引導を渡してあげるのが優しさかもしれないな……と、私は思い始めている。
それからジュリア。彼女は今、ヴァイオレットさまの侍女として働いているらしい。
ヴァイオレットさまが『子どもには優しくしなければね』と持ちかけた提案のようだけれど、風の噂で聞いたところによると、刺繍三百枚と負けず劣らずの仕事が日々課せられているようだ。一番大変かもしれない。
そして家族といえば……お祖父さま。彼にはお礼と、王宮薬師になったことを報告した。大量の本と、「何かあったら薬師として相談に乗る」という返事が届いた。
それを薬師長に言うと、目を見開いて仰天していた。例え孫にもそんな優しさを示す人ではないと思ってた……と言う彼は、昔お祖父さまの元で大変苦労したらしい。
「彼にも孫を思う気持ちがあったんだなあ……確かにあの方、なんだかんだで自分の妻のことが大好きだったからなあ……」
そう遠い目をする彼に、男の人が女性に対して持つ気持ちは重いのだなあ……と、大公や殿下のことを思い出して、私は少ししんみりとした。
◇
「クロードさま! お待たせしてすみま……わあ、ヴァイオレットさまもご一緒だったんですね!」
なぜか正装で花束を持った微妙な表情のクロードさまと、珍しく笑顔のヴァイオレットさまが立っていた。
「ねえソフィア。お前最近、あらゆる令息から求婚されているそうね」
「えっ、あ、まあ……そうですね……」
一気に現実に引き戻されて、暗い気持ちになった。
そう。王宮薬師というのはモテてしまうのか、私の元にはひっきりなしに釣書が届いている。
私がアーバスノットの血を引いていることや、思ったよりも悪女じゃない、と噂が広まっていることも原因のようだ。
「しかも求婚相手は皆、容姿家柄共に申し分のない者ばかりなのでしょう?」
「そうなんです……だから困っていて……」
ため息を吐く。
「王宮薬師になったばかりなので仕事に集中したいのですが、どなたかの妻になったらそんなことばかり言っていられないですし、しかし断るのも恐れ多い方々ばかりで……」
そろそろ、仕事を続けても良いと言ってくれる人と結婚しようかと思っています。
私がそう言うと、クロードさまが真剣な眼差しで私の名を呼び、手に持っていた花束を私に差し出した。
「俺は、薬作りをする君をとても好ましいと思っている」
「えっ? あ、ありがとうございます」
急に花を渡されて慰められた。
――世の中には、お仕事を許してくれる男もいるよということかしら。
頭の中をはてなマークでいっぱいにしていると、クロードさまが真剣な顔で言葉を続ける。
「俺は侯爵家の出だが、次男で、騎士だ。妻としての役割は少ない、いや、無くす。君が好きなだけ仕事に専念できる環境を整えよう。生活には不自由させないし、誠実なことには自信がある」
「石頭だけどね」
「ヴァイオレット、黙っていてくれ。――それに、君の好きなものは熟知している自信がある。はちみつでもチョコレートでも薬草でも、毎日君に贈ると約束しよう。――だから、」
「!? クッ、クロードさま!?」
急にクロードさまが跪き、私の手を握った。
「どうか俺との結婚を、考えてくれないだろうか」
真剣にそう言うクロードさまに、思わず息を呑む。
胸の中に広がったのは驚きと――感動だった。
とても優しい方だと思っていたけれど、ここまでとは。
「ありがとうございます、クロードさま。そこまで私のことを考えてくださるなんて……本当に優しいですね……!」
「! じゃ、じゃあ……」
「まさか私が結婚したくないことを知って、偽装結婚まで提案してくださるなんて……!」
クロードさまがぴしりと固まった。
私は嬉しいやら、そこまで心配をかけて情けないやらで、拳を握って自分に喝を入れる。
「ここまで心配させてしまっていたなんて……すみません。でもおかげで勇気が出てきました! 考えてみれば縁談を断って困る生家も没落寸前ですし、勇気を出してお断りしてみます!」
「いや、ソフィア、俺は……」
「本当にありがとうございます、クロードさま……! でもいつも守って頂いてばかりですから、これからは対等なお友達として仲良くして頂けるよう、私も頑張ります!」
「トモダチ……」
「あ、すみません……。失礼でしたでしょうか」
私がそう言うと、クロードさまは「いや……そんなことはない……友達、良い関係だよな……」と微笑んだ。
横でヴァイオレットさまが、見たことがないほどの良い笑顔を浮かべている。
「ふっ、ふふ……よかったわね、クロード。ソフィアは結婚はしないそうだし、仲良くなれたのね。お友達として」
「……ああ、そうだな。そうだが……」
「ふふ。一生お友達として、仲良くできたらいいわね?」
何やらばちばちと笑顔で威嚇しあう二人を見つつ、私は今言われた言葉を反芻していた。
クロードさまと結婚。
嫌ではないし、むしろ……それは、少し嬉しいかもしれない。
なんだか急に熱くなった頰を手で仰いでいると、ヴァイオレット様が「本当に良い気分」と笑った。
「お前の門出と末永い友情を願って、良いものを見せてあげるわ」
そう言って、ヴァイオレットさまが手をかざす。
どこからともなく風が吹いた。きらきらと輝く紫の花びらが一枚舞った。
あ……と思う間も無く、紫色の花吹雪が空を舞った。
「わあ、きれい……!」
思わず歓声をあげる。道行く人も皆、その美しい花吹雪に見惚れていた。
どんどん花びらが舞い、宙を舞い、空に浮かび上がる。地につくと儚く消えるそれは、夢のように綺麗だった。
どこまでも、花びらが飛んでいく。
空に花が咲き乱れるような光景に、私はただただ、見惚れていた。
これにて一章完結です!二ヶ月弱、お付き合い頂きありがとうございました。
少しお休みを頂いたあと、二章の更新を始める予定です。
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今後とも投獄悪女を、よろしくお願い致します!