ただ殺してはつまらないだろう
ついた場所は、色とりどりの花が咲き乱れる美しい場所だった。
どこからか風が吹いて、甘い香りのしそうな花びらの数々がひらひらと空を舞っている。
石造の壁に囲まれたここは、中庭のようだ。
見上げれば冬にはお目にかかれないような青空が広がっていた。魔術で作った空なのだろうか。規格外がすぎると思う。
そしてこの場所には、花だけではなくてさまざまな植物が生えていた。
――あれはカバナの花……!? あ、ここに咲くのはロハプでは……!?
まったくもってそんな場合ではないのに、ついついその植物たちを熱く凝視してしまう。
あれもそれもこれもどれも、文献で見ては『あああ触りたい……!』と身悶えた覚えがあるものばかりだ。とうに絶滅したり、遠い南の国の植物だったりと、一生見ることも触ることも叶わないものなのだろうと諦めていた、幻の植物たち。
――こんな、全薬師が垂涎してやまない楽園のような場所がこの世にあったなんて……!
「……こんな状況下で、よくぞまあ。さすがはアーバスノット、と言ったところか。血とは怖いものだ」
私が触りたさに疼く右手を(いえいえここは敵の本拠……!)となけなしの理性で抑えていると、大公の声がした。
目を向けると、作り物めいた微笑を浮かべた大公と目があった。
「――私は臆病な男でね。いつもあらゆる最悪の状況を想定して動いている。そんな私の計画の中で、君は少々計算外だったな」
「入れ替わりのことでしょうか」
「ああ、それも予想外ではあった。ヴァイオレットをみくびっていたよ。おまけに手配した監視が報告も満足にできないせいで、確信を持つまでに随分と遅れてしまったが……まあそれは、瑣末なこと。計算外は君の能力だ」
そう言いながら、彼は迷惑な珍獣を観察するかのような視線を私に向けた。
「……大した教育も受けていない娘が、ヨハネスに注いだ魔力を緩和しただけでも困りものだった。そして実の娘にさえ背を向けていたアーバスノットと対面を果たし、国王と王太子に謁見を申請――プラウニやレプランに思い至り、それを無効化する薬を作ったということだと、私は思ったのだが」
実の娘とは、私のお母さまのことだろうか。
一瞬そこに気を取られたけれど、大公が微笑みながら向けた目線にたじろぐ。冷たい、一切の容赦のない眼差しだった。
「……なぜ、こんなことをなさったのですか?」
怖いな、と思いつつも、ずっと疑問に思っていたことを聞いた。
「ヴァイオレットさまのお母さまは妹で、殿下は甥なのでしょう? どうして家族なのに、こんなことを」
「血縁だからこそ、憎しみが強くなることもあるだろう?」
大公が初めて表情から笑みを消した。
「しかし王族の血縁が王族を害す場合、殆どの場合理由は一つではないだろうか」
「……王位の、簒奪」
「そうだ。まあ元々、王位は長子である私のものだったはずだが」
そう言った大公が自嘲気味に笑って、淡々と語り始めた。
「――先代の国王、私の父は魔力持ちを蔑んでいた。悪魔憑きだとね。それは実子である私も例外ではなかった。どれほど頑張っても認めてもらうことはおろか、父は私の顔を見ることさえ厭うたよ。――まあ、それは『家族』の中でのみ。外に一歩出れば、魔力があっても大切な息子だと吹聴していたようだがね」
「……」
「私が立太子する直前、隣国と戦争が起きた。父に前線へ向かうように命じられた私は、認められるチャンスだと無血で勝利を収めた。そうして帰国した私を、父は『化け物』だとより蔑んだ。『お前は幾万もの命を守ったと思っているかもしれないが、その力は更にその倍の命を奪いかねない化け物の力だ、穢らわしい悪魔め――』と」
それならば、もう悪魔になってやろうと思ってね、と大公が微笑んだ。
「父の望むままに王位継承権を辞退し、大公の地位と草木ひとつ生えない不毛な領地を授かった」
思わずなぜ、という疑問が湧いた。王位を辞退せずに、その場で行動を起こせば今こんな面倒なことにはならなかったはずなのに。
私の疑問を察したのか、大公が柔らかく「ただ殺しては、つまらないだろう?」と微笑んだ。
「脆弱な身の程知らずの虫けらどもが、愚かにも自身の未来を安泰だと信じたとき。それを大切なものごと踏み潰してやったほうが面白い。オリヴィア――ヴァイオレットの母を殺したのは、プラウニが効くかどうかの実験だ。そして予想通り、誰も他者によるものだと気づかなかった。……一人を除いて」
それが、ヴァイオレットさま。
大公の告白を聞きながら、私は何とも言えない悲しい気持ちになっていた。
感受性が人より少しだけ鈍い薬馬鹿の私でも、家族から一人だけ冷遇されたことは、やっぱりずっと悲しかった。
だから大公が抱える悲しみは、少しだけわかる。もちろん彼は愛されることを早々に諦めた私と違って頑張って、命懸けで戦って否定されたのだ。その悔しさは、きっと私には想像もできない。
だけど……だけど。越えてはならない一線はある。
何よりも罪があると言うのなら、先代の国王ただ一人じゃないだろうか。
胸のあたりが重苦しくなる嫌な気持ちに苛まれて唇を噛んだ時、そこに聞き覚えのある声が聞こえた。
「大公。お呼びだと聞き、参りましたが」
やってきたのは、塔の中でお世話になった神父さまだ。塔の中にいた時と違って理知的な目をした彼は、私の姿を見つけて不思議そうな顔をした。
「客人だ。丁重にもてなすように。――そう長い期間にはならないはずだ」
「……かしこまりました」
神父さまが深々と礼をし、大公が「では、私は失礼する」と言った。
「――ここは私が作った転移陣でしか訪れることができない、特別な場所だ。迎えがくることはない。期待せず、大人しくしていてくれ」
「あっ」
そう言って大公が指を振ると、私がずっと隠し持っていた瓶が、ふわふわと宙に浮く。
「念のためにこれは預かる。全ての片がついたら返そう――まあもっとも、その頃には使う対象などいないだろうがね」
宙に浮く瓶を掴んで、大公は姿を消した。