ヴァイオレットさまの視線に比べたら、大公なんて
「クロード、何をしている!」
ヨハネス殿下の、焦ったような声が聞こえた。顔を向けると、声と同じくらい焦った表情の殿下が「彼女は間違いなく咎人だが、悪いようにはならない」と言った。
「彼女が薬を売るように頼んだ使用人の証言を始め、薬を売った先の帳簿、王宮薬師が『この技術は間違いなくアーバスノットのもの』と認定した押収した薬など、確たる証拠はある。――しかし、彼女はアーバスノット。その才と若さを見込んで、量刑は従来より軽いものにしてはどうだと、大公は仰っている」
大公がそんなことを言ったのならば。それはもう、嫌な予感しかしない。
私がそろそろと大公に目を向けると、彼はやっぱり微笑みを崩さないまま、柔らかな声を出した。
「現アーバスノット侯爵は精力的に新薬を開発しているが、残念なことに人間は診ない。――次代の王のためにも、君のような若き才能は必要だ」
次代の王。
妙に耳に残るそのフレーズに、これはやはり王位を狙って事件を起こしたのだろうと思う。
けれど、もしもそうならば、きっと真実を知ったヴァイオレットさまやクロードさまも……危ないのだろうか。
拭えない違和感を覚えつつも、もしそうだったらと思うだけで、血の気が引いていくのがわかった。
「犯した罪の重さを考えると、本来君は数年は牢に入るべきだが、その才能を幽閉で無為に潰すのは惜しい。――幸か不幸か私は花が好きな魔術師で、どんな植物でも咲かせることができる。何もない不毛の地でも、すでに絶滅した植物であっても、春夏秋冬どの季節の植物であっても」
そう言った大公が、一見優しく見える笑みを浮かべた。
「そんな場所ならば、君も薬作りの腕を鈍らせることはないだろう。正式な幽閉期間は、秘密裏に行われる君の家族も含めた調査が終わってから決められるだろうが。少なくとも一段落するまでは、私が責任を持って君を預かり、監視する。――なに、悪いようにはしない。ヴァイオレットがいた、あの塔よりは居心地が良いだろう」
「クロード、これでわかっただろう。いつ彼女と仲良くなったのかはわからないが、悪いようにはならない」
「いいえ、殿下。――彼女には、誰であっても指一本触れさせるわけにはいきません」
大公と殿下の言葉に、クロードさまは淡々と答えた。私の姿を隠すように体を動かし、周りの騎士さまたちを威圧している。
だけど陛下に謁見に来たクロードさまは、帯剣をしていない。
クロードさまはきっとお強いだろうとは思うけれど、丸腰のまま武装している十数人の騎士と英雄と呼ばれた大公相手では、分が悪すぎることは私にもわかった。
運よく逃げ出したところで。そうしたらきっともう、殿下に薬は届かない。
――ここに薬があるのに。間違いなく、大公が犯人なのに。
だけど今この空間は、紛れもなく大公が支配している。おそらく殿下の体調不良の原因や、過去のヴァイオレットさまのお母さまを手に掛けた犯人が大公だと言ったとしても、きっと信じてもらえない。薬も飲んでもらえず、状況が悪化することは目に見えていた。
――だったら、私にできることは。
怖さに震える足を叱咤して、一歩踏み出そうとした時、大公の声が響いた。
「――王家に逆らうか。第一騎士団長、クロード・ブラッドリー」
「王家に、忠誠を誓っていればこそ」
体の芯から冷えるような二人の声に、陛下や妃殿下、殿下が困惑して止めようとしている。
このままではクロードさまに何らかの処分が下されることは間違いなくて、私は震えも忘れて慌ててクロードさまのマントを引っ張った。
「ク、クロードさま! 私! 行きます!」
「なっ――……、何を言ってるんだ!」
「罪は罪なので! ヴァイオレットさまのことを、よろしくお願いします! 魔術で声が出なくなったなんて、大変です!」
私の言葉に、クロードさまは私の言葉を汲み取ってくれたのか、ハッとしたような表情をした上で、それでも「だめだ!」と怒った。
だけどだめだと言われても、怖くても。これが最後のささやかなチャンスであることは間違いない。
ヴァイオレットさまを見ると、彼女も怒り狂ったような眼差しをしつつも、だけどそれしか道がないことを悟っているのか、難しい表情をしている。
それでも視線が怖いことに変わりはなく、心が折れそうだ。本当に怖い。
――そう、このヴァイオレットさまの視線に比べたら大公なんて……!
なけなしの勇気を奮い立たせながら、私は止めようとするクロードさまを振り切って大公の元へ向かう。
大公は一瞬驚いた顔を見せたものの、薄く笑って恭しく私に手を差し出した。思い切って、その手に手を乗せる。
「……それでは、陛下、妃殿下、殿下。私は一度、彼女を連れて領地に戻ります。――捜査をよろしくお願いします」
「あ、ああ……わかった」
大公の美しい礼に、陛下たちが困惑しつつ答える。状況が状況だからかもしれないけれど、陛下はどことなく、大公に遠慮がちだ。元々気弱な方なのだろうか、それとも弟だからだろうか。
そんなことを思っていると、足元が青く光る。転移魔術というものだろう。体がふわりと浮く瞬間、大公がヴァイオレットさまに向かって口を開いた。
「お前に以前、話しただろう。――時が来たら花を贈ると」
大公を睨みつけているヴァイオレットさまが、怪訝そうに大公を睨みつける。
――花を贈る? 百合の花の香のことだろうか。
頭に大きなはてなマークを浮かべつつも、体が浮き上がる瞬間、私はクロードさまとヴァイオレットさまにヘラッと笑いかけた。
(――お迎えを、お待ちしています……!)
そう念じた瞬間、体がふわっと浮いて。私は王宮から大公の住む北の地へと、転移した。