頼むわね
考え込むヴァイオレットの表情が少しだけ柔らかくなったことを察したのか、心配そうにこちらを眺めていたクロードが、静かに口を開いた。
「実は君とソフィアが入れ替わって早々に。王宮魔術師にも、そして大公にも入れ替わりの術がないかと尋ねた」
そうするだろうと、予想はしていた。
ヴァイオレットが頷くと、クロードはまた慎重に口を開く。
「王宮魔術師からは『有り得ない』という返答がきた。大公からは、未だに返信がない」
「入れ替わりの魔術は、この私が考案したものよ。だからこの魔術を知っているのは、この世でこの私一人だけ」
だけど、とヴァイオレットはため息を吐く。
「……破門される前に、伯父様の家で見た古代禁忌魔術の術式を掛け合わせ組み替えて作ったものよ。おそらく伯父様なら、有り得ないと言われている入れ替わりの魔術も、不可能ではないと察するでしょうね。返事が来ないということは、様子を見ているのでしょう」
強大な効果のある禁忌魔術を応用したとしても、入れ替わりというのは夢物語に近い術である。
だから大公も半信半疑ではあるだろうが――しかし、この世で一番ヴァイオレットの実力を知っている彼ならば、有り得る、と判断するだろう。
「禁忌魔術……」
「言っておくけれど、天才が使っても問題ないのよ。私だけじゃなくて伯父様だって使っていたわ」
苦い顔のクロードに平然と言う。
禁忌魔術というのはその名の通り、使ってはならないと定められている。強大な効果の代償として、少しでも術がぶれてしまえば、精神や肉体に重篤な障がいが残りかねないからだ。
(……それにしても、伯父様が本当に犯人ならば。この娘と入れ替わったと知られたら危険だわ)
ヴァイオレットの投獄のきっかけになったリリーへの平手打ち。ヨハネスの死と母の死の関連性に気づいたが故のものだと、大公は気付いているだろう。
そしてもしもヴァイオレットが誰かと入れ替わったのならば、犯人探しをしているに違いないと大公は思うはずだ。
ソフィアの体に入ったヴァイオレットは、ソフィアの噂通りに動いている。引きこもりが社交界デビューを開いたというのは多少の変化かもしれないが、十六歳という年齢を考えれば大した不自然でもないだろう。
だがしかし――ヴァイオレットは、先ほどソフィアの姿でリリーに釘を刺してしまった。もしも彼女と大公が繋がっているのなら、入れ替わった先がソフィアだと気付くのは時間の問題だ。
(……しくじったわ。思わず激情に駆られてしまった)
体を戻してから釘を刺すべきだった。
アーバスノットが噛んでいるのならともかく、何の関係もない小娘を危険に晒しても良いと思うほど、ヴァイオレットは誇りの無い女ではない。
(これ以上一緒にいたら、余計に目をつけられてしまうわね)
ヨハネスの病状が魔術によるものだと分かった以上、薬師としての彼女の能力は必要ないだろう。
秘密裏に護衛はつけるが、ソフィアとは距離を置くべきだ。
ヴァイオレットは、神妙に話を聞いているソフィアに目を向ける。
「お前、今の話は聞いていたわね? ……犯人かもしれない私の伯父に、お前との入れ替わりが知られてしまうかもしれない」
「え? あ、はい! 英雄とまで呼ばれた大公なら、もう知っていてもおかしくありませんよね……」
「そうね。私も一応、お前を巻き込んだ責任を多少は感じているの。秘密裏に護衛をつけてあげるから、お前はしばらくオルコット伯爵家でのんびりと引きこもって……」
「えっ?……あ、五分くらいのんびり休憩をしてあとは死ぬ気で働けということですか……?」
きょとん、とした表情でソフィアが首を傾げた。何を言いたいのかわからず、ヴァイオレットは眉を顰める。
その表情にソフィアは少々怖気付きつつも、「症状は抑えられているとはいえ、殿下のお体は早く治さなければ危ないと思うので……」と言った。
「お祖父さまの言っていた、プラウニとレプランについて恥ずかしながら私も勉強不足なのですが、お母さまの遺した古文書を見ればきっともう少し詳しいことがわかると思います。その効能を止める薬がもしも作れたのなら、魔力の痕跡が見えるはずです」
そうしたら、犯人もわかるのではないでしょうか。
そこは少しだけ目を伏せ、声のトーンも落としながらソフィアが言った。
(――ずっと怯えているだけの、心の弱い普通の小娘だと思っていたのだけれど)
もちろん異常な薬好き、という側面はあるのだが。思ったよりも芯の強い姿にヴァイオレットは驚いた。
「……ソフィアを一人にするのも心配だ。犯人がどんな人物でも、証拠を残さないように慎重に行動をしている以上は君と俺が側についていた方が、騒ぎを避けたい犯人にとっては手が出しにくいかもしれない」
複雑そうな顔をしたクロードがそう言った。この頭が固い男なら、何の関係も無いか弱い少女を巻き込むべきではないと賛成するだろうと思っていたのに。
意外な展開にヴァイオレットは少し困惑をして――そしてすぐに、少しだけ唇を上げた。
「……わかったわ、頼むわね。ソフィア」
初めて名前を呼ぶと、ソフィアはぱちぱちと目を瞬かせ、嬉しそうに微笑んだ。
「そのプラウニとレプランという草の効能を打ち消す薬を、今日中に作りなさい」
「えッ!?!? も、もうそろそろ夕方なのですけれども……!」
五分はのんびりする余裕があったはずでは……!? と騒ぐソフィアを黙殺しながら、ヴァイオレットは口元に笑みを浮かべていた。
◇
伯爵邸に着くと、パーティーはもう終盤だった。
体調不良で席を外していたと招待客に詫び、最後の挨拶だけをすませるソフィアに目を向ける。
ソフィアの異母妹に嫌がらせで作らせたハンカチは招待客に好評だった。全て渡し終えたあと「お前の妹に三百枚刺すよう命じたの」とソフィアに教えてやると、ソフィアは「さんッ……!?」と目を剥いて青ざめ、異母妹に憐憫の目を向けていた。
なんと愚かな娘だろう。これは定期的に、様子を見にきてやらなければならないかもしれない。
そう思いつつも、全て挨拶を終えたあとヴァイオレットたちは、「今日からここに住め」と言われたら犬でさえも惨めさに涙しそうなあの物置部屋へと向かった。
「これは……」
当然の反応だろうが、およそ十六歳の伯爵令嬢が住んでいたとは思えない部屋に、クロードの強張った顔がさっと青ざめる。
「わあ、久しぶりに見ると……ちょっとひどいお部屋ですね」
しかしソフィアはそう恥ずかしそうにしつつ、ベッドの上を見ては「ああ、薬草が枯れている……!」「あ、この薬見たことのない色になっている……!?」と嘆いたり好奇心に満ちた表情をしたりと、忙しそうに振る舞っていた。
しかしすぐに目的を思い出したのか、ハッとしてそこだけは立派な本棚に急ぐ。
「このあたりに古文書が……あ、あったあった!」
ソフィアが色褪せ、ボロボロになっている古文書を何冊か、丁寧に取り出した。
その一つ一つを優しく、しかし手早くめくっていく。もう解する者も少ない古代語で書かれたそれに、彼女は凄い速さで目を通していった。