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お母さまは、お花みたい

 



 ヴァイオレットの母は、王族としての矜持を持ちながらも控えめで、夫である公爵やヴァイオレットを一番に大切にする人だった。


 とても美しい人だった。いつもどんな時でも、美しくあろうとしていた。

 ふわふわの金の髪や紫の瞳を見るたび、幼かった頃のヴァイオレットは誇らしさに胸を張ったものだ。


(私のお母様は、お花みたいだわ)


 そう思うのはヴァイオレットだけではない。何せ母は国中からすみれ姫と呼ばれているのだから。


 もちろん、ヴァイオレットの母親はその可愛らしくもつつましいお花より、はるかに華やかで綺麗なのだけれど。自分と母の瞳に似たその花を、五歳までのヴァイオレットは悪くないと思っていた。



 ◇



 母が体調不良を訴えるようになったのは、ヴァイオレットが五歳になったばかりの頃だ。


 いつも体調を表に出さない母が倒れこんだり、声を荒げて物を壁に投げつけたり、そんなことが多くなった。

 王宮から薬師を呼んでも、大聖堂の教皇に祈祷をさせても、稀代の魔術師である伯父が診ても、病気なのか他者の悪意によるものなのか、その原因を突き止めることはおろか症状を和らげることさえもできなかった。


『……こんな時に、アーバスノットがいたなら』


 そう父は言った。

 しかし既に引退している彼は患者を診察することはなく、薬の開発や研究だけを行うと明言しているらしい。


 おまけに彼はつい先日、嫁いだ一人娘を亡くしたばかりで。娘の葬儀に出席したアーバスノットは、『研究のためしばらく留守にする』とだけ言い残し、いまだに誰もその居場所を知らないのだそうだ。


 そうしている間にも母は弱っていく。花がしおれたような姿に、ヴァイオレットは生まれて初めて不安という感情を知った。


『……お母さま。大丈夫?』


 ベッドで横たわる母に、ヴァイオレットは声をかけた。侍女が割れた何かの掃除をしている。何かに気を悪くした母が、投げつけたのだろう。今までそんなことは、なかったのに。


『まだ頭が痛むのなら、ヴァイオレットがそばにいてあげる』


 そう言ってヴァイオレットは母の元へ行く。綺麗な金色のまつげが涙に濡れて、とても細くなった腕がヴァイオレットを強く抱きしめる。いつもの母の優しいお化粧品の匂いの中に、嗅ぎ慣れないお花の香りが漂った。


『……ありがとう、ヴァイオレット』


 そう言って母は悲しそうに微笑んで、以前のようにヴァイオレットの額にキスをした。母がキスをしてくれたのは、それが最後のことだった。


 それから日も経たないうちに、母は父やヴァイオレットを遠ざけるようになった。そばにいることを許されたのは、母付きの一人の侍女だけだ。その侍女にすっかり心酔しきった母は、その侍女の言うことは何でも聞くようになり――そしてすぐに、亡くなった。


 だけど亡くなる直前に、母は久しぶりにヴァイオレットを抱きしめた。その痩せた体からは、あの花の香りが強く香った。




『――花は、時に理不尽に手折られる』


 棺の中、百合と菫に囲まれて眠る母をじっと見つめるヴァイオレットに、伯父である大公はそう言った。

 父と、もう一人の伯父である国王は泣いていた。ヴァイオレットは泣かなかった。悲しみと同じくらい、強い怒りに震えていた。


 母が心酔した侍女は、母の死の数時間後に姿を消し亡くなった。状況から自ら命を絶ったのだろうと大人たちは言っていたが、彼女はそういう人間じゃないはずだと、ヴァイオレットは思う。


(――きっと、口封じ)


『伯父さまも、お母さまが誰かに殺されたと、そうお考えなのですか』

『……お前は賢い子だ、ヴァイオレット』


 大公が少し驚いた声音を出し、それから静かな声でまた言った。


『良いか、ヴァイオレット。お前は美しいだけの花になってはいけない。誰に侮られることも奪われることもない、上に立つ者になりなさい。……そうしたらきっと、お前のお母さまを殺した犯人を捕まえられる』


 その言葉はヴァイオレットの胸に深く落ちて、いまだに心の奥の一番底で凍っている。



 ◇



 ――久しぶりにそんな過去を思い出していたヴァイオレットは、ゆるく唇を噛んだ。

 アーバスノットの言葉に、我を忘れて余計なことを言ってしまった。その不覚を恥じながらも頭の中は混乱していた。


 伯父が、犯人などと。


 きつく唇を噛み締める。

 アーバスノット侯爵家を出て、今はオルコット伯爵家に戻る馬車の中だ。黙って窓の外を眺めているヴァイオレットに、目の前の二人は何も聞かない。


 心配そうに、しかし悟られないよう気をつけながらこちらの様子を見守る二人組に目を向けると、ソフィアと目があった。

 すると目の前の少女はこんな時一体どんな顔をすれば良いのだろうか、と悩むような表情を見せ、それからぎこちなく、眉を下げたまま微笑んだ。


 その間の抜けた一連の表情に、混乱していた頭もやや冷えた。


「……………………お前の間抜けな顔も、鏡越しに見るのでなければたまには良いわね」

「ま、間抜け……?」


 悲しそうに困惑するソフィアは放っておいて、ヴァイオレットは冷静になった頭でアーバスノットの言葉を脳内で繰り返した。


(元々は、アーバスノットがつくった新薬を、女狐を始めとする悪意のある第三者が使ったのだろうと思っていた)


 ならば証拠と犯人を掴み次第、公爵家と王家の圧力で跡形もなく潰すのみだと、そう思っていたのに。


(……アーバスノット。あの男が嘘を吐く理由はきっとない。――ならば、やっぱり伯父さまが犯人なんだわ)


 大公以外に絶滅した植物を蘇らせるような力のある魔術師を、ヴァイオレットは知らなかった。

 





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