なあに、かえって免疫がつく
アーバスノット邸に着くつい三分前に、ようやくクロードさまの健康第一に生きなさい、というお説教が終わった。
世の中の薬師はこんなものだと思うのだけど……とちょっと口を尖らせる。ぜひとも今から会うお祖父さまに、「薬師はこんなもの。なあに、かえって免疫がつく」くらいの一言は言って頂きたい。
だけど……ヴァイオレットさまのお話を聞く限り、それはちょっと難しそうだ。
私のお祖父様であるエイブラハム・アーバスノットは、幼馴染だった妻――私のお祖母さまを亡くしてすぐに王宮薬師長の座を退いて、以来、ずっと屋敷にこもって少数の使用人以外と極力関わらず、ひたすらに研究に打ち込んでいるそうだ。
あらゆる分野の薬に精通しているそうだけれど、今の専門は精神薬なのだとか。
ヴァイオレットさまは曰く、お祖父さまは「致命的に偏屈で、不遜な変態」らしい。
ヴァイオレットさまの家庭教師が以前お祖父さまの弟子だったこともあるので、多少の人となりはなんとなく知っているそうだ。
「アーバスノットは、この私が何年も前から面会を申請してるにも関わらず、申し出を全て拒否している。王家からの招集もよほどのことがなければ拒むのよ。今日の舞踏会にも招待したけれど、断りの手紙がきたわ」
王家からの招集を拒むのか、それは確かに偏屈そう……と思いつつ、私は首を傾げた。
「あの、それなら私たち……門前払いされるのでは?」
「されないように、お前を選んだの」
え? と首を傾げると、ヴァイオレットさまは不敵に笑った。
「薬師として話がしたいとお前の名で手紙を送ったのよ。指輪も同封してね。……ついたわ」
指輪? 首を傾げつつも窓の外を見ると、仄暗い雰囲気のある大きな屋敷の前についた。
ここがアーバスノット侯爵邸らしい。門番がオルコット伯爵家の家紋を見て、心得たように正門を開ける。
家族というものに馴染みが薄い私は、お祖父さまに対しても家族という気持ちは薄い。
玄関へと続く一本道を馬車がごとごと進んでいく音を聞きながら、私はすごい薬師に会うという緊張感で胸がいっぱいだった。
◇
初めて会うお祖父さまは、白髪を後ろに撫でつけて片眼鏡をかけた、いかにも気難しそうな方だった。
瞳は私やお母さまと同じ青みがかった紫色だ。どことなく懐かしさを覚えながら、私は挨拶をした。
「この度はお時間を頂きありがとうございます。ソフィア・オルコットと申します」
「……エイブラハム・アーバスノットだ」
私の挨拶に、お祖父さまが冷ややかに答える。それからヴァイオレットさまやクロードさまに目を向けて「時間が惜しい。薬師でないあなた方の挨拶は不要だ」と告げた。
そんなことを言ったら、ヴァイオレットさまが暴れてしまうかもしれない。
ものすごくハラハラしたけれど、意外にもヴァイオレットさまは形の良い眉を美しくひそめただけで、何も言わなかった。クロードさまも黙って礼をする。
「――十分。君に割ける時間はそれだけだ」
座ってすぐに、お祖父さまは静かな声音でそう言った。
「君が薬師として話したいこととは、何かね」
「はい。見ていただきたいものがあるのです」
私は先ほどのクッキーの袋を取り出し、お祖父さまに渡した。
「あるお方がいつも召し上がっているものです。それに何か、良からぬものが含まれている可能性があるのですが、あの、ええと……それをおじい……いえ、閣下ならご存知ではないかと思い……」
言葉を選びながらしどろもどろに話していると、横からヴァイオレットさまの涼やかな声が聞こえた。
「単刀直入に申し上げると、私はあなたが毒物の生成に携わっていると考えております」
直球すぎる言葉に目を剥いた。
今日だけで何度肝が冷えたことだろう。そろそろ凍っていてもおかしくない。
しかしお祖父さまはさした動揺も見せず、そのクッキーを見つめては匂いを嗅ぎ、一口齧った。
ヴァイオレットさまとクロードさまがかすかに息を呑む。
ほら、薬師は皆味覚でも判断するものなのですよ! と、二人に言いたい気持ちを堪えつつ、お祖父さまの様子を見守った。
クッキーを味わったお祖父さまが、驚いたようにかすかに眉を上げる。
数秒の沈黙の後、口を開いた。
「まず、これは私が作ったものではない。作る理由がない」
「……どういうことなの?」
「そもそもこれは、毒ではない」
そう言うお祖父さまが、私をまっすぐに見つめた。
「この菓子にはプラウニの根とレプランの葉の粉末が混ぜられている」
その植物の名前に、私は思わず息を呑んだ。
「微かな甘さとごくごく僅かな柑橘に似た香りが特徴だ。……この二つは似たような作用を持つが、掛け合わせるとより効果が強力になる。どんな作用かわかるか」
「……魔力を、隠すことです」
私が答えると、お祖父さまは少し驚いた顔をして「正解だ」と答えた。
プラウニと、レプラン。
それは既に滅んだはずの植物の名前だ。
数百年前の遠い昔、魔術師の弾圧と共に、大陸から根こそぎ焼き払われている。
その昔、今から数百年ほど前までのこの国は、魔力持ちへの弾圧が最も強かった暗黒の時期だった。
魔力を持っているというだけで迫害され、真っ当な職にもつけない。それゆえ魔術師はプラウニやレプランを使って自身の魔力を隠し、身を守っていたらしい。
しかしそれを知った当時の国王が、「プラウニとレプランを根こそぎ燃やし、絶やせ」と命じてその植物はこの世から消え去った。
その名はもう、当時の古文書にしか記されていない。
この数百年で魔力を持つ人間は少なくなり、魔術師を尊ぶ国との交流も増え、魔力を持つ姫君がこの国に嫁ぐこともあった。
魔力持ちへの嫌悪感が多少は和らいできた四十年ほど前、戦争を無血で勝利した大公の活躍で、この国の魔術師への嫌悪感は一気に払拭されている。
「魔力を隠す、ということは……目的は、殿下に良くない魔術をかけること?……あっ! だからトネリコとホワイトセージの処方で」
なるほど、と納得した。
トネリコは神の恩寵が宿る神聖な木で、ホワイトセージには浄化の効能がある。きっと、殿下の体を蝕んでいる魔力を中和したのだろう。
私の様子を見ながら、お祖父さまがまた口を開く。
「とうに滅んだこの植物を、私は四十年ほど前に一度、直接見て味わったことがある。……当時第一王子だったクロムウェル・グロースヒンメルが王位継承権を放棄した際、大公の爵位と共に与えられた北の地。常に彼の魔力によって四季の花々が咲き誇る、あの場所で」
その言葉を聞いて、私はあの塔の中でリリーさまがくれた花束を思い出していた。
冬の時期には手に入れることが難しい、春から夏にかけて咲く花束のことを。
「――――嘘でしょう」
青ざめたヴァイオレットさまが、お祖父さまを睨みつける。
「伯父様がヨハネスを。お母様を殺すわけがない」
その言葉に、クロードさまと私は息を呑んだ。
「エイブラハム・アーバスノット。この私に嘘を吐くことなど許さなくてよ」
「私は嘘を吐かない。――吐く理由がない」
「アーバスノット!」
ヴァイオレットさまが鋭く名前を呼ぶ。その声にお祖父さまはほんの一瞬、痛ましそうな目を見せた気がした。
「……そろそろ十分が経つ。話は終わりだ」
そう言ってお祖父さまが席を立ち、一瞬だけ私の方を見て――振り返ることもなく、出て行った。
いつも感想、ブクマ、評価ありがとうございます…!
少し多忙でお返事遅れておりますが、とても嬉しく感想拝読しております◎いつも励みをありがとうございます!





