城が二つ建つほどの
オルコット伯爵邸についたとき、吹き飛んでいた緊張がさすがに戻ってきてしまった。
御者が馬車の扉を開けると、クロードさまが先に出る。緊張する私に安心させるような微笑を向けて、白い手袋を嵌めた手を差し出した。
「大丈夫だ」
その手を取って、おそるおそる地面に降りる。オルコット伯爵邸は賑わっていて、周りを見渡せば着飾った紳士淑女たちが、開け放たれた玄関ホールへと向かっていた。
思ったよりも、大人数。
そして私が馬車から降りた瞬間に、その大人数の視線は全て私に注がれた。
クロードさまが周りに鋭い視線を向けると、皆それとなく視線を逸らしたけれど。しかし好奇の目が向けられていることはひしひしと伝わった。
しかしまあ、当然だと思う。
王太子殿下の婚約発表の場で、婚約者に選ばれた女性に公開ビンタし土下座をさせて投獄され、出獄したその足で舞踏会に来る公爵令嬢。類を見ないほどの豪胆さに、思わず見てしまうのも無理はない。
土下座をされるわけでもないなら放っておこう。やや心配そうな顔を向けるクロードさまに笑顔を見せて、私は三ヶ月ぶりのオルコット伯爵邸の中に入ったのだった。
◇
人間驚きすぎると、一周回って冷静になってしまうものだ。
オルコット伯爵家はそこそこ裕福で、屋敷もそれなりに整えられている。なのだけれど、一体これは。どこかで助けた鶴が、お返しに人より大きい金塊でも持ってきてくれたのだろうか。
進んだ先のダンスホールは、どこぞの王族の城だろうかというほどに、ぎらぎらとした空間になっていた。
大変なキラキラ具合のシャンデリアを見ては近くのご夫人が「まあ、あれは間違いなく純金とダイヤモンドでできているわ……!」と驚愕している。
それにあちこちに飾られている絵画を見ては恰幅の良い紳士が「こ、これはあの幻のうんたら……!」「やや、ここにはあの巨匠のかんたら……!」と驚愕し、軽やかな音楽をかき鳴らす音楽隊の指揮者を見た、眼鏡をかけた繊細そうな青年が「あ、あれは王族の依頼ですら断ることもあるという高名な……!」と驚愕している。
その他にも、軽食が用意されたテーブルには逆に悪趣味なのでは……? と思うほどに宝石であろうものがびっしりと埋め込まれていたし、周りの反応からして料理も贅を尽くした立派なもののようだ。
端的に言って異常なほどにお金がかかっていることが、世間知らずの私の目にもわかる。
そこそこ裕福とはいえこんなにお金をかけたら、我が家は破産してしまうのではないだろうか。
「念のために聞きたいのだが、君の家は元からこんな……?」
クロードさまの言葉にぶんぶんと首を振る。ダンスホールに入ったことなどないけれど、私のお父さまはずいぶんな吝嗇家だとお義母さまやジュリアは言っていた。こんな無駄遣いをする人ではないはずだ。
「ヴァイオレットは一体……」
ドン引きして絶句する私たちの耳に、近くにいるご令嬢たちの噂話が飛び込んできた。
「ねえ、先ほど聞いたのだけれど。今日この日のために、城が二つ建つほどのお金がかけられたそうよ」
「まあ……少し疑っていたけれど、浪費家だという噂は、本当だったのね」
城が二つ。嘘であってほしい。
良くないことだとは思いつつ、思わず耳を澄ませてしまった。
「先日妹のジュリアさまと一緒にお茶会に出てらしたけれど、高慢にあれこれと命じていらっしゃったわ」
「後妻である義理のお母様には使用人の真似事をさせていたとか」
「伯爵閣下も情けないわよね。娘一人の言いなりになって、家を没落させる気かしら」
想像以上だった。
「えっ、ちょっ、あわわ、クロードさま、ど、ど、どうしましょう……!?」
「ソ、ソフィア。大丈夫だ。入れ替わりが解消したらこれは全て君ではなくヴァイオレットがやったことだと……」
ご令嬢の話にあわあわと小声でテンパる私を、クロードさまが宥める。
入れ替わりが判明してからクロードさまはたびたびオルコット伯爵家の様子を調べてくれていたのだけれど、ここまで酷いという話は彼の耳にも入っていなかったようだ。
「くそ、早く解除しよう。ヴァイオレットはどこにいるんだ」
クロードさまが小さく舌打ちをする。そういえば! と思ってあたりを見回すと、ホールの奥に、見慣れた……しかし見違えた、紫色の髪が見えた。
ゆるやかに波打つ紫色の髪の毛は、自分では見たことがないほど艶々としている。背筋をまっすぐに伸ばし、真っ白なドレスに身を包んだヴァイオレットさま(私)は――、頭の中の私とは全く別人だった。
彼女を見て地味だと思う人は誰もいないだろう。
デビュタントを模した真っ白なドレスが光を反射して異様に光り輝いているということもあるだろうけれど、匂い立つような高貴さが彼女にはあった。
「あれがヴァイオレット……君の姿か」
クロードさまが、真っ直ぐにヴァイオレットさま(私)を見る。私たちの視線に気づいたのか、どこか退屈そうな目で周りを見ていたヴァイオレットさまが――私たちに目を向けた。
気づいた瞬間、ヴァイオレットさまがふっと唇の端を持ち上げる。
それからエスコートのために重ねている私たちの手に目線を向けて、少し驚いた顔を見せたあと、少々不愉快そうに眉を上げた。
楽しみを奪ったのね、との心の声が聞こえた気がする。
はて……? と首を傾げかけて、そういえばクロードさまはヴァイオレットさまの婚約者だったとを思い出して、慌てて手を引っ込めた。それは確かに不快だと思う。
「クロードさま、すぐに向かいましょう」
「あ、ああ」
そう言ってヴァイオレットさまの元に行こうとした時、後ろから「ヴァイオレット様」と呼ぶ柔らかな声が聞こえた。
驚いて振り向くと、声の主はリリーさまだった。その横には、不快そうな表情のヨハネス殿下もいる。
「殿下……。ご挨拶申し上げます。殿下もこちらに来られたとは」
「ああ。リリーも招待されていたからな。……招待客が招待客だ。同行せねばなるまい」
驚くクロードさまの言葉に、殿下は私を見て皮肉気な言葉を向ける。
「それにアーバスノットの血を引く令嬢がいよいよ社交界デビューとあっては、顔を出しておかねばと思ってな。アーバスノット当主は頑固だが、その血を継ぐ者はもう彼女しかいないのだから」
アーバスノット当主とは、私のおじいさまのことだろうか。頑固なのか、と思いつつ、早くヴァイオレットさまの元へ行きたい私はそわそわとしていた。
そんな私にリリーさまは聖女のような笑みを向けて、口を開いた。
「ヴァイオレットさま、出獄おめでとうございます。こうして罪を償われたのですから、私たちの間には確執はゼロということで……まずは一度二人でお話をして、仲直りしませんか?」
「えっ」
リリーさまの驚きの提案に、殿下が「だめだ」と厳しい顔を向ける。クロードさまも警戒したような表情を見せて、さりげなく私の前に立った。
「殿下、あなたの従妹さまと私も仲良くしたいのですわ。ね?お願いです」
「……」
「大丈夫です。あなたのリリーは、ヴァイオレットさまに傷つけられたりしませんわ」
リリーさまがお願い、と口にした瞬間に殿下が口をつぐむ。葛藤しているようだったが、少し曇った瞳で「わかった」と頷いた。
「クロード。お前もついてはならない。話し終えるまで私の側に」
「殿下。私は今日、ヴァイオレットの供としてここに来ています。……ご容赦ください」
「クロード、どうしたんだ。私の命が聞けないのか?」
どうしよう。このままではクロードさまが殿下の命令に逆らうことになってしまう。
ちょっとだけ話してきますね! とリリーさまと離脱したいけれど、この体はヴァイオレットさまのもの。何かがあったら取り返しがつかない。
困って思わずヴァイオレットさまの方を見ると、彼女はどこか面白がるような怒っているような不思議な表情でこちらを見ていた。
そうして目があった瞬間、にっこりと微笑んで。
私に向けて一言、『行きなさい』と口を動かした。