なんて美味しい三ヶ月だったのでしょう
嫌だ嫌だと思っていても時は過ぎてしまうもので、あっという間に私が出獄する日がやってきた。
「大変お世話になりました……」
「死刑執行目前のような顔をなさっていますね」
いつもの騎士服のニールさまが苦笑する。
その隣にいる見慣れない姿のクロードさまは、私に同情的な眼差しを向けた。
今日この塔を発つ私の見送り人はニールさまお一人だった。これからクロードさまは私と一緒にオルコット邸へ向かうため、報告は副団長であるニールさまがするのだという。
なので今日のクロードさまは、これから向かう舞踏会に相応しい正装姿だ。
いつも下ろしている前髪を後ろに流しているので、綺麗な形の額や眉がよく見える。
私よりも余程溢れている色気に少したじろぎつつ、綺麗な方は何を着ても綺麗なのだなあと感服する。
平時に見たら、きっともっと感動したのだろうけれど……。
今の私はそれどころではなかった。
「三ヶ月も過ごしたので、名残惜しくて」
そう力なく誤魔化しつつも、ニールさまの言葉に内心その通りなのです……と思う。
それはもう、ここから出たくない事情がたくさんある。仲良くないオルコット伯爵家の面々をやつれさせた反動への不安だとか、一月前と寸分違わぬウエストのせいで焼き討ちに処されるのではという恐怖だとか。
それに、と思う。
「やり残したことも、成し遂げられなかったこともたくさんありますし……」
そう言いながら、三ヶ月過ごした部屋をぐるりと見渡す。
すくすくと元気に育っている薬草だけが気掛かりだけれど、今後はひとまずクロードさまが管理をしてくださるらしい。
結局、この三ヶ月で私が完成したと呼べるものはカプセルだけだ。殿下の体調の原因はわからず、現状維持に限りなく近い改善のみが、私にできたことだった。
「いや。君は、充分すぎるほどよくやった」
クロードさまの慰めの言葉に躊躇いながら頷く。悔しいけれど、これが今の私にできる精一杯だったのだ。
もっと時間が、知識が、せめて殿下から直接お話を聞く機会が欲しい。そう思う気持ちは強いけれど、きっと他の優秀な薬師が、あとは解決してくれるのだろう。
しんみりしつつ、もう一度部屋を見渡す。
――本当に。人生で一、二を争う充実した幸せな時間を過ごさせてもらったなあ……。
目的のある薬作りに没頭したこの時間を、私は多分一生忘れないだろう。
――それに、何といっても……。
脳裏に、ほわんとこの三ヶ月間の幸せの数々が甦る。
例えば、料理長が頻繁に出してくれるようになった黄色いスープ――コーンスープというらしい――のまろやかな舌触りとコクのある香り。
とろりとしたはちみつの鮮烈な甘さや、燻製された鴨の芳しい香りと力強いお肉の味。
それから何といっても、口の中で濃密な美味しさがほどけるチョコレート。あとはアップルパイにアイスクリームを乗せたものは冷たさと熱さの組み合わせが悶絶するほど美味しかったし、ドラヤキの品の良いしっとりした甘さは素晴らしかったし……。
「…………本当に、なんて美味しい三ヶ月だったのでしょう」
「絶対にそう考えていると思った」
クロードさまが呆れたように少し笑い、「名残惜しいだろうが、そろそろ行こう」と私に手を差し出した。
◇
久しぶりに外に出ると、寒さに思わず肩を縮めたものの、季節は春に近づいていた。
淡い青空に穏やかな太陽が輝いている。
そんな青空とは似て非なるブルーな気持ちではあるものの、私は人生初めての馬車に乗ってオルコット伯爵邸へと向かった。
普通舞踏会は夜に開かれるらしいのだけれど、今日は珍しいことに昼間に行われるらしい。
引きこもり悪女による前例のない社交界デビューに、社交界の面々は割とざわついたのではないだろうか。
だけどそのおかげでエルフォード公爵邸に立ち寄らずにすんだので、そこだけはヴァイオレットさま、良いお仕事をされたと思う。
元々オルコット家の恥知らずと呼ばれていたのだし、これくらいの常識外れぶりは可愛らしいほどだ。
そう気持ちを奮い立たせながらも(鳥はいいなあ……鳥になりたい……)と遠い目で窓の外を眺める私に、クロードさまが心配そうに口を開いた。
「……君も生家では色々あったし、入れ替わった相手がヴァイオレットだから、色々不安だろう」
「そうですね……少しだけ」
不安の六割くらいは自分でつけた脂肪のせいなのだけど、そこは内緒にして私はしれっと頷いた。
「まずは念のために一度ヴァイオレットに話を聞いてから、今後の方針を話したいのだが」
真剣な顔をして、慎重に言葉を選びながらクロードさまが言った。
「君が幸せに思うままに生きていけるよう、俺も尽力しよう。手段はいくつかある。大丈夫だ」
「クロードさま……」
クロードさまの言葉に、心が温かくなる。
お父さまやお義母さまが許してくれることはないだろうなと思いつつも、そう言ってくれる人がいるだけで嬉しいものだ。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、クロードさまが目を細めて微笑んだ。
クロードさまのおかげで空気が和んだ。二人でほのぼのとお話をしているうちに、少しだけ緊張がとける。
そうこうしている内に馬車はあっという間に、オルコット伯爵邸へとついてしまった。