ソフィア・オルコット
本来の私――ソフィア・オルコットは、普段『オルコット伯爵家の恥知らず』と呼ばれている、らしい。
曖昧なのは、私は十六歳にして未だ社交界デビューも果たしていない引きこもりのため、外で他の令嬢と関わる機会がないからだ。
なので義母や異母妹のジュリアが「あなたは今こう言われているのよ」と私の評判を教えてくれるのだけれど……それはなかなかひどいものだった。
醜女だからという理由で十六歳を迎えても社交界デビューもせずに屋敷に引きこもり、日々聞くに耐えないひどい罵声を義母や異母妹のジュリアや使用人に浴びせ続けて、オルコット伯爵家の財産を食い潰しかねないほどの浪費を繰り返している。
そして古今東西の毒物について書かれた怪しげな本を読んでは、日々恐ろしい薬作りに精を出しているのだ。
それが私の噂だった。針小棒大とはこのことだとしみじみ思う。
確かに私はジュリアと違って美しくはないし、紫の髪と瞳も、色合いは綺麗じゃないかなとは思うものの、性格が災いしてか根暗そうと言われる。隠しきれないひきこもりオーラが溢れているのだから仕方がない。
だけど私が社交界デビューをしていないのは、容姿のせいではなくて義母やジュリアに止められていることと、伯爵令嬢にふさわしいドレスを持っていないからだ。
勿論罵声を浴びせてもいない。
ただ毒の本を集めて怪しい薬づくりに精を出している……というのは、はたから見たらそうかもしれない。
私の住む物置部屋にはたくさんの、薬作りに関わる本がある。薬と毒は表裏一体だ。なので毒の生成や、解毒についての本もたくさんある。
これは優秀な薬師だったらしいお母さまの、形見なのだ。
そしてその形見の本を見ながら、私は庭で栽培している薬草を使い、日々薬作りに精を出している。
優秀な薬師でも病気には敵わず、私が三歳の時にお母さまは亡くなった。
お葬式が終わってすぐにお腹の大きい義母がやってきて、以来私はひっそりと伯爵邸の隅にある物置部屋で暮らしている。
最初のうちはまだお父さまも私を気に掛ける素振りはあったけれど、ジュリアが生まれてからは私のことを気に掛ける人はいなくなってしまった。
寂しいけれど、仕方がないことだ。何かを恨んだところで自分の境遇は変わらない。
その内私に似合いのお金持ちと縁談をまとめると義母が言っていたので、夫となる人がどうか薬作りを許してくれて、毎日食事をくれる人ならいいなあ、と思っていた。
そう。私は、自分の人生に諦めをつけていた何の力もないひきこもりだったのだ。
それが、視線を向けるだけで人を震え上がらせる公爵令嬢に、何故か変わっているなんて。
◇
「――ヴァイオレット。今度は何を企んでいるんだ」
朝の光の下で見るとより麗しい端正な顔が、今日はドン引きといった様子で引き攣っている。
疲れていたのか寝過ごしてしまった私は、やってきた騎士さまに床で寝ているところを見られてしまったのだ。
嫁入り前の娘として、殿方に眠っている姿を見られるなんて恥ずかしくて、時間が経った今も頬は熱い。
「な、何も! ただ、寝心地の良い場所で休んでいただけで……!」
「馬鹿を言え。それで何故床で寝転がる。牢のベッドよりも床の方がマシだと嫌味を言いたいのか?」
騎士さまが、キッと私を睨みつける。不審者を見るような眼差しに、私は慌てて弁明をした。
「い、いえ! ベッドは大変ふかふかで体としてはすこぶる快適でした。ただ……精神面で落ち着かず……」
オルコット伯爵家の物置部屋にも、さすがにベッドは用意されていた。しかし人が眠るにしてはじめじめしすぎていたし、乗った瞬間壊れそうなありさまだったので床に寝るしかなかったのだ。
なのでオルコット伯爵家の私室のベッドの上は、今や試薬や水耕栽培中の薬草を置くスペースと化している。
だからここのふかふかで暖かなベッドは――多分この体はそちらの方に慣れているのだろうけれど、快適すぎて逆に怖い。
ただでさえ違う人になってしまったという不思議な事態に陥っているのだから、心の安寧のために少しでも慣れ親しんだ環境に近づけようと思ったのだ。
「あっ、ご安心くださいませ! もちろん、綺麗な雑巾を使って、念入りに丁寧に拭き掃除をしております! それから使い古しの毛布も頂いたので、恐れながら下にしいて……」
「その奇行に使用人がおびえている。今すぐにやめろ」
「怯え……」
騎士さまの苦情を聞いて、私は眉を下げた。
「あの……私が何をしても、使用人が怯えてしまうのですが……どうしたら怯えられずにすむのか……」
そう言う私に心底気味の悪そうな目を送りながら、騎士さまは「無理だ」ときっぱりと言った。うなだれて、昨日の使用人たちの様子を思い出す。
昨日騎士さまが立ち去った後、何人かの侍女が訪れてくれた。
だけど、食事を持ってきてくれた侍女は終始ガタガタと震えてスープをこぼしそうになっていたし、床を掃除したいから雑巾を持ってきてくれと頼んだ侍女は頼んだ瞬間に流れるような土下座を決め、捨てる直前の布や毛布がないかと聞いた侍女は死を覚悟したような青ざめた表情で涙ぐみながら「脱走はできません」と首を振った。
そしてその時初めて、地面が見えないほど高い塔――重罪を犯した貴人が投獄される、幽閉の塔に収監されていることを知ったのだ。
「何を企んでいるのかは知らないが……これ以上罪のない使用人をわけのわからぬ恐怖に陥らせるわけにはいかない。これから俺が食事を運ぶ。使用人との接点は持てないと思え」
そう言って騎士さまが、手に持っていた食事をテーブルの上に置いた。
ふわふわのパンに、たくさんの野菜が煮込まれたスープに、こんがりと焼かれたお肉。
昨日頂いたメニューと変わりないご馳走が、目の前に広がっている!
思わずぱあっと目を輝かせて、我に返った。これはきっと何かの間違いだ。
「あの、騎士さま。ま、まさかこれが私の食事というわけが……あったりしますか……?」
「君の分だ。君にとっては、食事と呼べるものではないのかもしれないが」
「た、確かに食事というか……これはご馳走です……!」
私の言葉に、騎士さまが「は?」と愕然とし、またもや気味の悪い未知の生命体を見るような目を向けた。しかし私はそれどころではない。温かな食事を前に内心で激しい葛藤を繰り広げつつ――涙を呑むことにした。
「あ、あの。今はお腹が空いていないので……残してもよろしいですか?」
「……好きにしろ。しかしそれ以外に食事はない」
「心得ております!」
私は悲しみを堪えつつ、その食事を大切に持ち上げる。
「ありがとうございます! ではこれを、こちらに置かせて頂いて……」
「待て! 何故後生大事にクローゼットへしまおうとする」
「あ……やはりだめでしょうか。今食べては明日まで辛いので、今日のお食事は、できればお昼ごろに頂きたかったのです……」
思わずしょんぼりして肩を落とす。
ここの食事がどれくらいの頻度でもらえるのかはわからないが、罪人である。だけどこの破格の扱いを考えると、おそらくオルコット伯爵家にいた時と同じくらいの頻度ではないだろうか。
私が食事をもらえるのは大体日に一度だったので、おそらく次の食事は明日。ならばお昼に食べて少しでも空腹時間を減らそうと思ったのだけれど……。
私の言葉に騎士さまが「は?」と再び目を見開く。
そしてこめかみを押さえながら、口を開いた。