カラスは白になり雲は黒くなるべきです
日に一度、私に神学の授業をしてくださる神父様は、大公閣下――王兄であり、ヴァイオレットさまの伯父である方が手配してくださったらしい。
ちなみに大公閣下は長子として生まれたけれど、魔術師として活躍したいからという理由で若い頃に王位継承権を返上したのだそうだ。ものすごく強い魔術師で、更に若い頃は隣国との戦争を無血で勝利した英雄なのだとか。
ちなみに姪のヴァイオレットさまも優れた魔術の使い手らしく、小さい頃から大公を魔術の師として仰ぎ、とても仲が良かったそうだ。
しかし一悶着あって、ヴァイオレット様は数年前に破門されたらしい。それでもこうして神父さまを遣わしてくださるあたり、とても優しい方なのだろう。
その大公が遣わしてくださった神父さまは、雨でも雪でも、毎日午後の一時に一秒たりとも遅れずにやってくる。嫌な顔一つせず、毎日笑顔を浮かべる彼はとても良い人だと思う。
少し……いや、かなり変わっているけれど。
聖典を朗読する彼を見る。
歳は三十歳頃だろうか。綺麗な顔立ちをしている。長い銀髪を一つにまとめて片眼鏡をかけた彼は、どことなく物憂げだ。
「神は言った。汝、人を殺すなかれ。汝、人を傷つけるなかれ。汝、人を貶めるなかれ。汝、姦淫するなかれ。汝、嘘を吐くなかれ。汝、嫉妬するなかれ。………………ヴァイオレット様、私のお話を聞いて下さっているのですか……?」
「い、いえ! まさか」
思わず前のめりで神父さまのお話を聞いていた私は、慌てて首を振る。
私の言葉に神父様が悲しげに眉を下げる。右手で口元を押さえてうっと涙ぐんだ。
「お返事をしてくださったということは、私のお話を聞いてくださっていたということなのですね……」
「えっ、あの、たまたま、たまたまで、」
「あのヴァイオレット様がこの愚物のお話を聞いてくださるなど……それほどこの塔の生活が過酷なのでしょう。なんと、なんとおいたわしい……」
神父さまが落涙する。
どうもこの神父さまは元々ヴァイオレットさまと面識があり、彼女に心酔しているようだ。
初対面の日、やってきた彼は私の顔を一目見るなり衝撃を受けた顔で「ヴァイオレット様の圧倒的な高貴さが……消えた……!?」と呟いた。
そのあとハッと我に返ったように慣れた所作で土下座をして、深く深く謝罪された。
一目で私に高貴さがないと見抜いたこの方なら、入れ替わりを信じてくれそうだ。入れ替わりを告白しなければと思いつつ、ヴァイオレットさま愛が強すぎる彼に告白するのが怖すぎて、言い出せないままでいる。
「本当に……誰よりも圧倒的な高貴さを持ち美しく聡明でその一声で世界中の人間を平伏させる威厳を持ったヴァイオレットさまをこのような塔に閉じ込めるとは、陛下は一体何を考えているのでしょう。ヴァイオレットさまが白と言えばカラスも白く染まり黒と言えば空に浮かぶ雲さえも黒に染まるべきだと言うのに」
何せ万事がこの調子なのだ。カラスは黒だし、雲は白のままの方が良いと思う。
「大体、私はヨハネス殿下が立太子しているのことにも納得が行きません! 次代の冠を被るにふさわしいのはヴァイオレ……」
「わー!!」
神父さまの言葉を大声でかき消す。不敬がすぎる。
このお部屋は防音がされていないし、部屋の扉の前には護衛の騎士さまが近くにいるのだ。
神父さまは私の大声にびっくりしつつも、「出過ぎたことを申し上げました……」としょんぼりと肩を落とした。
「しかしながら私も大公も心より望んでいることです……大公がヴァイオレット様のお気持ちを知りつつ、破門されたのも御身を案じられてのこと。彼の方の……真実を探るのは、まだ時期ではないと……」
「時期?」
突然私にはよくわからないことを言われて聞き返すと、神父さまはハッと青ざめて「私のような者がなんということを……」と流れるように土下座をした。
「えっ、ちょ、怒ってな……立って、立ってください!」
あわあわとしていると、間の悪いことにコンコン、と扉を叩く音がする。急いで引き上げようと神父さまの手を掴み引っ張った。神父さまは硬直しつつ、私の手の動きに合わせて立ち上がる。
一瞬の間があって扉が開き、入ってきたのはクロードさまだった。ギリギリでセーフだった。土下座をするところは見られずに済んだ。
「――まだ時間には早いが、急時だ。神父殿にはすまないが、今日はここで終わりにして頂きたい」
そう淡々と言うクロードさまが、しかし動揺したような眼差しで私と神父さまを見る。視線は躊躇いながら下に降りて、神父さまの手を掴む私の手に注がれているようだった。
◇
カクカクと物も言わずに帰って行った神父さまは、耳まで赤かった。
中身は私だというのに、心底申し訳なくなってくる。聖典の嘘を吐いてはならない戒律にも反しているのではと、罪悪感に頭を抱えた。
「……神父殿とは仲が良いのか」
「え? あ、まあ、そうですね……」
とりあえず曖昧に頷く。
「それよりも、急時とはなんですか?」
「あ、ああ。そうだ、今から王太子殿下がこちらにいらっしゃるそうだ」
「ええっ」
思わず目を見開く。ひきこもりの私の人生で、会うことがないだろう天上人だ。恐れ多すぎる。
「リリー・レッドグライヴ伯爵令嬢も共に来るそうだ。良いか。くれぐれも、くれぐれも嫌味を言ったり平手打ちにしたり土下座させようとしたりしないでくれ。さすがに次は幽閉ではすまない」
次はということは、既にしているのだろうか。嫌味はともかく、平手打ちや土下座を。
予想より遥かにすごい所業に驚愕しつつ、私はこくこくと頷く。平手打ちや土下座をさせた相手に、一体どんな顔で会えば良いのだろうか。
救いと言えば、どうやらクロードさまも一緒にいてくれるようだ。ホッとしてお礼を言うと、彼はなんだか複雑そうな表情をした。