報いは
「っ、猊下!?」
しゃがれた声で命乞いをする教皇に、ディンズケール公爵が酷い形相を見せた。
本来は、もう少し知能のある男だろうに。死ぬことさえできない男は、これから味わう苦痛を想像して本能で命乞いをしているようだった。
「私はただ、この体を健康な体に戻せと命じただけだ! 千年、千年だぞ! お前が私だったら、同じようなことを計画していただろう!?」
そう叫んだあと、教皇は激しくせき込む。
哀れなほどに惨めなその姿に、ヴァイオレットは少し考えて「そうね」と口元に手を当てた。
「この現状は、すべてお前の不出来が招いた結果。――とはいえ、死ぬことさえできない体で千年生きたのは、とても辛かったことでしょうね?」
ヴァイオレットの言葉に、教皇とディンズケール公爵は驚いたようだった。
心無い悪女、悪魔とまで呼んだ女が共感を見せたことが心底意外だったのだろう。その驚きを内心で愉しみながら、ことさらゆっくりと微笑んでやった。
「その報いは、千年もの月日で充分受けたと言ってもいいわ。――そうね、今日私に無礼を働いたのはディンズケール公爵だから――」
そう言ってディンズケール公爵に目を向ける。彼は「ヒッ」と喉から引き攣るような悲鳴を上げて、おぼつかない足取りで逃げようとした。
小さく呪文を唱えていく。ヴァイオレットの声に合わせて、緻密で精巧な美しい術式が織り上げられる。
完成したその瞬間、ディンズケール公爵と教皇は同時に動きを止めて――叫んだのは、教皇【・・】だった。
「がああああああっ……あっ……何だ、これは」
「あら、よくご存じのはずではないの。入れ替わりの魔術よ」
しゃがれた声で叫ぶ教皇――ディンズケール公爵に、丁寧に教えてやる。
しかし彼の耳には入っていないようで、老いた体を震わせて悲鳴を上げ続けていた。
「はっ、ははは……ははは!」
反対に歓喜の声をあげるのは、ディンズケール公爵――教皇だ。自由に動く体を何度も何度も確かめては、震えんばかりの喜びを全身にみなぎらせている。
「ははっ、ははは……! 礼を言ってやってもいい、ヴァイオレット・エルフォード!」
そう言って何度も喜ぶ男は、ヴァイオレットに感謝を伝える。
その姿を眺めながら、ヴァイオレットは唇に笑みを浮かべた。
◆
「はは、ははっ……!」
まともに動けぬ体で、およそ千年の時を生きてきた。
その間体の内で煮凝っていた憎しみが、全身を走る歓喜にようやく少し溜飲を下げる。
(負け犬が! 地獄の底で、悔しがるといい)
脳裏に浮かぶのは、もう顔も思い出せない兄の姿だ。
自分を千年もの間苦しめ続けた、あの男。
(しかし、最終的にあいつは死んだ。勝ったのは私だ)
今でも、あの苦しみが始まった瞬間を思い出す。幼い頃から憎くてたまらなかった兄が倒れ、地に伏した時。
高揚に顔を綻ばせ、負け犬の顔を拝んでやろうと髪を掴んだ瞬間――空から降ってきたのは紫色の花の雨だった。
それは哀れにも遺していく、アーバスノットのための花だったらしい。彼女のための感謝の花だとの兄の呟きに、教皇は負け犬にしては随分と風雅な感傷だと嘲笑った。
その瞬間、教皇の体には激しい衝撃が走り――死ねない体となったのだった。
(それからの千年は、筆舌に尽くしがたい苦しみの千年だった。だが、だがしかし勝ったのは――……)
そこまで思った瞬間に、体中に覚えのある衝撃が走った。
「あぁ、ああっ……がっ……!」
体の中の水分が、強制的に消えていく。全身に痛みが走り、先ほどまで喜色を浮かべて眺めていた手のひらが、どんどん急激に老いていく。
先ほどまで味わっていた痛みに苛まれ――教皇は、気が狂わんばかりの恐怖と絶望に突き落とされた。
◆
「この私がお前たちを、楽に死なせてあげるわけがないではないの」
絶望と痛みに呻く彼らに、そう言い放つ。
想像もしていなかった苦痛にあえぐ公爵はもちろんのこと。希望を見せ、束の間の幸福を味わわせたあと、突き落とされた絶望は想像通りはるかに辛かったのか、教皇は恐慌状態に陥っていた。
「苦しみ抜いて、苦しみ抜いて、死ぬことさえ許されない。そんな一切の希望のない生を、これからも存分に楽しむといいわ」
そう言って、自らの足で歩くことすらできない彼らに背を向ける。
ソフィアを抱えたままがくがくと震える監視役の娘を一瞥する。
「立ちなさい。――出るわよ」
冷ややかに命じると、監視役の娘はもたつきながらも、何とか立ち上がる。
眠るソフィアを肩で支えながら、扉まで歩く娘の後ろを歩く。
永遠に続く断末魔の悲鳴を愉しみながら、ヴァイオレットは扉の外に出て――閉めたあと、何人たりとも入れないよう、封印の術式をかけた。