最高の啖呵
「偉大なる教皇猊下は、そういった類の魔術はお使いになれるのでね」
一切の罪悪感のない穏やかな笑顔で、ディンズケール公爵は言った。
「だが君はそんな悪人でも、きっと救う。そしてそんな君を救うためなら、聞き分けのないエルフォード公爵令嬢も取引に応じてくれるだろう。『オルコット伯爵令嬢を開放してほしければ、入れ替わりの術式を教えろ』とね。いくらエルフォード公爵令嬢が有能でも、魔術を使えなければただの小娘だ。……外側が君である以上、尚更取るに足らない」
その言い方から、取引に応じたとしても入れ替わりの解消はないだろう、と予想がついた。
基本的に、国教を司る教会はいくら王家とはいえ不可侵の領域になる。
ヴァイオレットさまが何か言って陛下が信じてくださったとしても、証拠もなく、憶測だけで囚われた私を捜索することは国王命令でもできない。
最悪のパターンが頭に浮かぶ。私はきっと生涯ここでお薬を作り、魔術の使えないヴァイオレットさま――そしてその体は没落した伯爵令嬢である私だ――は強制的に、誰かと結婚させられる。
そうすれば入れ替わりの魔術式も、万が一のためのアーバスノットの血筋も確保できるのだった。
「……最低です」
そう言って思わず睨みつけると、教皇とディンズケール公爵は楽しそうに笑う。
「では、薬は作らないと?」
「…………」
「ははは。沈黙は実に雄弁だな。少しばかり抵抗してくれても構わないよ。まだアーバスノット侯爵も存命だ。彼は人間を診ないが、病状を伝えたら薬は渡してくれる。君が作らなくても、しばらくは大丈夫だ」
「……私は薬師です。相手がどんな方でも、苦しんでいたら助けます。それは絶対に揺るぎません。……ですが」
そこまで言って、すう、と大きく息を吸う。
お腹に力を込めて胸を張り、精一杯高貴に見えるように背筋を伸ばした。
「誰がどんなにひどいことを企んでいたとしても、ヴァイオレットさまなら必ず阻止できる――そう信じているから、私はヴァイオレットさまの囮になりました。あなた方の思い通りになることなんて、今後はもう何一つありません」
「――まあ。薬馬鹿のくせに、よくできたではないの」
言い切った瞬間、淀んだ空気を断つような美しい、凛とした声が響いた。
「褒めてあげてもいいわ。お前にしては、最高の啖呵よ」
◇
「ヴァイオレットさま……!」
「――なんて顔をするの。最後まで凛となさい」
気づかないうちに現れたヴァイオレットさまが、私を見て上機嫌に笑う。
ヴァイオレットさまの登場に驚いて固まっていた様子のディンズケール公爵と教皇が、ハッと我に返った。
「どうしてここが……」
「愚問ね?」
ディンズケール公爵の言葉に、ヴァイオレットさまが小首を傾げて妖艶に笑う。
言外にこんなこともわからないのかという嘲りを含ませながら、理由は伝えない。挑発的なその態度に、ディンズケール公爵があからさまに不快感を滲ませた。
しかしディンズケール公爵の射殺すような視線を、ヴァイオレットさまはまったく気にせず無視して、寝台に伏している教皇に目を向けた。
何の感慨も滲んでいない目をふっと細め、口の端に嘲笑を滲ませる。
「無様だこと」
「……っ、貴様……!」
ヴァイオレットさまの言葉に教皇が激昂する。
「今は無力な小娘が偉そうに……!」
「まあ、ふふ。お前ほど無力なつもりはないけれど――でも、そうね。たとえ私がいくら無力だとしても、お前を無様と呼ぶくらいのことは、してもいいと思わない?」
ヴァイオレットさまが、ゆっくりと目を細める。
口元は笑っていた。弧を描く唇はとても優雅だ。
けれどもその細めた目には、今までにないほどの静かな怒りを湛えていた。
(ヴァイオレットさまがお怒りになった姿を、今までに何回も見てきたけれど……)
今日の怒りは、今までとは格が違う。
背筋は凍え、肌が粟立った。急激に重くなる空気に、私やノエルさんは勿論、教皇やディンズケール公爵までもが息を呑んだようだった。
「――今は罪人として投獄されている稀代の魔術師クロムウェル・グロースヒンメル。彼の最大の罪は、愚かにも感情に飲み込まれて妻子を死に追いやったのは自身の父と弟妹だと、そう思い込んでしまったこと。――そこの薬馬鹿の小娘でもすぐに察した内容だもの、説明は省かせてもらうわね。――どうせお前たちは、よく知ってる内容でしょうから」
歌うような口調で、ヴァイオレットさまが語り始める。
「クロムウェル・グロースヒンメルが投獄されたあと。彼の書斎はまるで誰かが何かを持っていってしまったかのように研究資料は無くなっていた。――けれど、私は彼があらゆる禁忌魔術を研究していたことを知っていたわ。時戻りに死者蘇生――それからなぜか、入れ替わりに若返り」
そこまで言ってヴァイオレットさまが口元だけでにっこり笑い、教皇を見下ろす。
黙ってヴァイオレットさまを睨みつける教皇の視線を受け流しながら、ヴァイオレットさまはディンズケール公爵にも目を向けた。
「隠居同然に北の地に引きこもっている大公、それも妻子を亡くしてただでさえ少ない交友関係をほぼ清算したクロムウェル・グロースヒンメルに近づける人物は、そう多くはない。――たとえば公爵家の人間からの面会要請なら、頻繁ではない限りさすがのクロムウェルも受けるでしょうね。そしてクロムウェルが継続して関わっていたのは、私と大聖堂の神父――モーリス・グラハム・ホルトだけ。……あれが自身をお前たちの犬だと知っていたかはさておき、この時点で怪しい人間は絞られた。――特に疑わしいのが教会と、犬のようにその教会に付き従うディンズケール公爵家」
ディンズケール公爵や教皇は、何も言わない。特に弁解する意義も感じていないようだった。
けれどもヴァイオレットさまは一つ一つ丁寧に、ご自身のお考えを説明していく。
私の目にそれは、話しながらご自分の感情を、一つ一つクリアにしていく作業にも見えた。
「教会の戒律に反する、ディンズケール公爵家の錬金術師の囲い込み。クロムウェルが必要とすることはない入れ替わりや若返りの禁忌魔術の研究に、消えてしまったその資料。――もしも私の予想通りクロムウェルを洗脳した人間が教会ならば、きっとここに何か関連がある。そこでふと思い出したのが外典……不死の祝福を受けた男の話だった」
そう言ってちらりと、ヴァイオレットさまが教皇に目を向ける。穢らわしい生ゴミを見るような視線に教皇は憤怒の表情を浮かべたけれど、ヴァイオレットさまはその表情を鼻で笑って再び口を開いた。
「その外典には、代々アーバスノットに受け継がれる紫色の髪を持つ女まで出てくるでしょう? やたらにアーバスノットの縁談を世話したがるディンズケール公爵家が絡んでいる以上、何か関わりがあるのかと思ったけれど――ふふ、こんなに笑わせられたのは初めてよ。だって百通りほど予想していた筋書きの中で、一番荒唐無稽で惨めで、間が抜けているのだもの」
「このっ……魔力が少しばかり多いだけの、この魔術師如きが!」
嘲笑するヴァイオレットさまに、教皇が憤慨する。耳を塞ぎたくなるようなしゃがれた声が響き渡ったけれど、ヴァイオレットさまは何の動揺も見せずに見下ろし――次に、ディンズケール公爵に目を向けた。
「クロムウェルの妻子を死に追いやったのは、元々孤立していた彼を更に孤独にさせ、隙をついて禁忌魔術の研究をさせるためでしょう? お前達のような凡人が、救国の英雄に正攻法で敵うわけがないものね。――妻子を亡くした彼に禁忌魔術を研究するよう誘導したお前は、クロムウェルが禁忌魔術のテストを行なっている時にあえて失敗するよう何らかの手段を講じたはずよ。結果、クロムウェルは記憶障害をはじめとする後遺症が残った。……おそらくはその時、入れ替わりや若返りの禁忌魔術を研究するように何らかの刷り込みをしたのでしょう」
淡々と語るヴァイオレットさまの口調は、揺らがない。
「子流しの茶を贈るよう、先先代の国王に進言したのもお前でしょうね。そしてその子流しの茶はお前の父が贈ったものだと伝えたのも、お前でしょう?――万が一すべてを知ったクロムウェルがお前に復讐しないよう、あれこれと姑息に知恵を張り巡らせた様子が目に浮かぶわ。そしてクロムウェルは愚かにもお前の言葉を信じ、実の妹を手にかけ、果ては甥までも殺そうとした」
そんな、泣いてもおかしくはないような言葉にさえ激情は宿っていない。
怒りが消えたわけではもちろんないのだろう。
ただただ確実に獲物を屠るため、余計な感情の一切を削ぎ落として冷静に対処することを決めている。
そんな覚悟を感じて、なんだか私の方が泣きたい気持ちになってしまった。