かつて
「かつてこの国では、力の強い魔術師がもてはやされていた」
そう語る教皇の声には、熟成された憎しみが宿っていた。
少ない魔力を持って生まれた教皇には、非常に優秀な魔術師である兄がいたそうだ。
しかし優秀ながらも孤高で人付き合いが苦手だった兄と比べ、教皇は優れた社交性と天性のカリスマ性でのしあがり、いつしか神に祝福された人間だと、そう称えられるようになったらしい。
正式に教団を立ち上げ、押しも押されもせぬ不動の地位を手に入れた教皇は奇跡を起こそうと考えた。
永遠の命。古今東西の権力者なら誰もが望むその奇跡を欲した教皇は、魔術師を使い様々な実験を行ったそうだ。
様々な魔術が使える魔術師とはいえ、圧倒的な数には負けてしまう。
有用で敬虔な信者である魔術師は実験から免除させて魔術師狩りを行ったこともあり、計画は滞りなく進んだ。
そうしてたくさんの魔術――今でいう禁術だ――を研究させたという。
その中で多くの魔術師が命を落とし、重篤な後遺症を負った。
その噂を聞きつけて止めるべくやってきた自身の兄を、信徒を使って力ずくで捕らえたらしい。
「多数の犠牲者が出たが、優秀な魔術師が大した魔力もない私に惨めに負けた様は、実に痛快だった」
そう話す瞬間だけは愉快に笑っていた教皇が、次の瞬間また再び憎しみの色を灯す。
「実験は強制的に行えたが、研究に関しては本人の意思がない限り進められない。散々実験を行い利用し尽くしたあの男は、禁獄先で死を待つばかりだった。――その時に余計なことをしたのが、アーバスノット。お前の祖先だ」
「えっ……」
「ただのしがない小間使いにしか過ぎなかったお前の祖先は、衰弱したあの男を密かに治療していた」
「……!」
「動ける程度に回復した兄は反乱を起こし、教団を壊滅寸前にまで追い込んだが――しかし所詮は死にぞこない。最期は惨めに倒れたよ。しかし……」
爛々とした目が見開かれる。
狂気の宿ったその瞳は、まるで記憶の中の兄に向かれているようだった。
「あの男は死ぬ間際、私に魔術をかけた。…けして死ねない、不死の魔術を」
「……っ」
その言葉を聞いた瞬間、ハッとして後ろを振り返る。
全く動揺のないディンズケール公爵の後ろで、ノエルさんが青ざめた表情のまま小刻みに震えていた。
「ノエルさん……」
英雄が受けた神の祝福は、ただの報いに過ぎなかった。
けして救われない罪悪感から、信仰に救いを求めたノエルさん。最後に縋った希望の糸が、偽物だと知ってしまったその絶望は計り知れず、私は唇を震わせるノエルさんにかける言葉を、何も持たなかった。
「すべての元凶となった、アーバスノット。お前はこの世の全ての苦痛を味わわせて死なせてやるはずだったのだが……あの男は、もう一つ魔術をかけた。生きながらにして死んでいくという、激しい苦痛を感じるこの体を、アーバスノットの薬だけが、束の間癒せるのだ」
「……」
「今でも怒りで気が狂いそうだ。末代まで呪い八つ裂きにしたい人間の薬で生き永らえる屈辱、お前には生涯わかるまい」
「…………」
わからないし、わかりたくもなかった。
身の毛もよだつような話を語りながら、一切の良心が見えない教皇に、憤りと共に恐怖とも嫌悪ともつかない感情が沸き上がり、肌が粟立った。
そして、同時に。
(なんて……哀れな方なんだろう)
千年もの間この方は、ただ憎しみだけを抱える人生を送っている。
(そんなの、文字通りの――生き地獄だ)
交じりあう嫌悪と哀れみの感情に息を詰めていると、背後にいたディンズケール公爵が、説明を引き継ぐように話し始めた。
「以来、当時から猊下の右腕を勤めてきたディンズケール公爵家は、魔術を解くためあらゆる手段を探した。錬金術師を確保し、魔術師狩りを行った。捉えた魔術師は有害か有用かで選別をし、生かした有用なもので実験と研究を行った。不老不死、若返り、時戻り、入れ替わり――奇跡を叶えるあらゆる手段のね。同時に、放っておけば薬にかまけて絶滅してしまいそうなアーバスノット家を、存続させることに身命を賭した。君たちの薬でさえ一時的な対処療法にしかならないが、それがなければ、猊下は耐えきれない痛みに苦しみ続ける」
「……なぜですか?」
「なぜとは?」
「教皇猊下が神の祝福を受けた……このことを嘘だと知っているディンズケール公爵家は、なぜ代々猊下のために尽くすのですか?」
「有益だからだ」
私の問いに、ディンズケール公爵は事も無げに答えた。
「信仰は人の心の拠り所となる。心から信じる神の意思ならば、大抵の人間はどんなことでも従う。猊下は今こうして臥していらっしゃるが、このお姿さえも言い方一つで信徒のためにその身を尽くす、高潔な自己犠牲の象徴に成り得る。それを差し引いても、千年生きる不死の生命体はそれだけで価値があるだろう」
そういった物言いには覚えがある。無機物を見るような目を向けられた、あの日のことだ。
ディンズケール公爵は仕える猊下のことさえも、利用できるか否か、それだけでしか判断していない。
教皇もディンズケール公爵も、考えは違うど私にはまったく理解できない価値観を持っている。
今この場でこれ以上ディンズケール公爵と教皇の価値観を聞いても、きっとノエルさんが傷つくだけだ。
浮かんだ様々な言葉を飲み込んで、私はそもそもの疑問を尋ねることにした。
「……なぜ、私を攫ったのですか? ヴァイオレットさまのお体と入れ替わっている、このタイミングで」
私を結婚させたい理由はわかった。単純に今後の猊下のために、アーバスノットの血を引く子孫を作らなければならないからだ。
けれどそれなら、ヴァイオレットさまの体ではなく私の体である時にさらった方が、無理やり結婚させることができるだろう。
「答えは簡単だ。……エルフォード公爵令嬢は我々が千年待ち望んだ傑物だが、簡単に要望を聞いてくれるような人物ではないからだ」
「……」
確かに、それはそうだと思う。
王命でさえも気軽に無視をしてしまうヴァイオレットさまが、ディンズケール公爵の要望を聞くなど、世界がひっくり返っても有り得ないだろう。
けれど理由の答えにはなってない、困惑して眉を寄せる私に、ディンズケール公爵は更に言葉を続けた。
「しかし君は、僥倖にもエルフォード公爵令嬢に気に入られている。あの悪女が他者に興味を抱き、自ら教育を施すだけでもあり得ないのに、あまつさえ救いにくるほどだ。……彼女がどこまで何を知っているかはわからないが、何かを察していることは間違いない。そのためわざと気に入っている素振りをして、囮にしたのかと思ったが――。どうやら君は本当に、彼女に気に入られているらしい」
「…………」
ディンズケール公爵の読みは、おそらく正しかった。
ヴァイオレットさまが頻繁にご自宅に招き、手ずから教育をしてくれたのは私を庇護していると、知らしめるためだ。
自ら囮と仰っていた以上、それは間違いないだろう。
そしてそれと同時にヴァイオレットさまは、多少は私を気に入ってくださっている。
自分で言うのは少々照れくさく憚られてしまうけれど、そう思ってらっしゃることは私にもわかるのだった。
「そしてそこにいる信徒の娘や、貧民街の連中の報告でわかったことがある。君は、歴代のアーバスノットの中でも特に共感力が高い。虐げられても誰も恨まず、哀れな患者を見れば駆け寄り、自分を攫い裏切った相手にも慈愛を見せる。――君なら『患者』を見せれば、自らの意思で治療をし続けてくれるだろう。……事実君は、君の倫理観では到底許容できないだろう教皇猊下にも、憐憫の目を向けている」
「……!」
「君は苦しむ人間を、見て見ぬふりをすることができない。その体で作る薬でも、薬の効能が有効なことは貧民街の娘でわかっている」
「……っ、もしかしてルーナちゃんの病気も、あなた方が仕組んだものなのですか……⁉︎