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予言



「……そういえば、ノエルさん。いただいた乳香のお薬のことなんですが」


 馬車を降りて、街へと着いた。

 賑わう人々の中を一緒に歩きながら、横を歩くノエルさんに話しかける。


「あの、すばらしい調合技術でした。乳香の他にも加えられた鎮静作用のある薬草がバランスよく配合されていて……大変感動しました」


 先日ハンカチにしみ込ませていただいた、ノエルさんの作った乳香の睡眠薬。


 ぜひ調合についてお話を聞かせてほしいと言った私に、ノエルさんは快くそのお薬を小瓶に入れてくれたのだった。

 勉強のため許可をとり、どう調合しているのかを分析したところ、そのお薬はとても繊細で丁寧な調合技術によって作られているものだということがわかった。


 それに何より素晴らしいのは、調合技術だけではない。


「とても強い効能のある睡眠薬ですが、爽やかな香りがとても優しくて。本当に素敵だなと思いました」


 強い睡眠薬を必要とされる方は、精神的に辛い状況にあることが多い。

 不安を抱えている時、こういった優しい香りを纏うものが眠りを運んでくれたらどんなにいいだろう。


 もちろん人によって香りの好き嫌いはあるだろうし、過敏な方もいる。


 けれどもそういった方にも使いやすいように仕上げたあの優しい香りのついた薬は、いつも人に気を配るノエルさんならではの優しい薬だと、そう思う。


「あれは鎮静効果や鎮痛効果を持つ古今東西の薬草を知り尽くしていなければ、とても作れないお薬ですね」


 麻酔薬を専門にしているノエルさんならではの技術だ。

 私が思いつく限りの賛辞を送ると、ノエルさんは困ったように微笑んだ。


「……そんなに大したものではないですよ」

「そんなことはありません! 救われる方はたくさんいらっしゃるはずで……っ!?」


 力強くそう言った瞬間、鼻に何か当てられる。

 嗅ぎ覚えのある爽やかな香りが一気に肺を満たしていく。


 瞬間、明瞭だった意識はふわふわとしたものに塗り替えられていった。


(これ、ノエルさんの……乳香の薬の香りだ)


 普段の私なら、これくらいの香りの量では体に何の影響もない。

 けれどこの体は、薬に慣れていないヴァイオレットさまの体だった。


 手足から力が抜け、瞼が急激に重くなる。立っていられなくなり倒れた体を、華奢な腕が受け止めた。


「――…な――……」


 ノエルさんが、何かを呟いている。

 その言葉の意味を理解する前に、意識はぷつりと途絶えてしまった。


◇◇◇


(う……なんだろう、この匂い……)


 目が覚めた時、最初に感じたのは嗅ぎなれない腐臭のような匂いだった。

 まだ気だるさの残るまぶたを開け、周りを見渡す。


 見たことのないこの場所には、一切の窓がない。唯一の光源らしいろうそくの明かりが揺らめいて、起き上がったと同時に舞い上がる埃を、淡く照らした。


「目が覚めましたか」


 薄暗く狭い部屋に、聞き覚えのある淡々とした声が聞こえる。

 顔を上げるとそこにいたのは、私のよく知るノエルさんだった。


 いつもと同じ無表情だけれど、しかしその表情にはまったく感情が見られなかった。

 その表情に痛ましさを感じ、つい案じるような声が口から出る。


「ノエルさん……」

「……驚いていないのですね」


 その言葉に、小さく頷く。

 目を見開いたノエルさんを見て目を伏せながら、「気付いたのは、本当につい最近のことなのですが」と言った。


「ヴァイオレットさまに、ご忠告をいただいたのです。……私は、そのうちひどく傷つくことになると」

「…………」

「私が傷つくようなことは、限られています。……そこで、思い出しました。以前、フレデリック・フォスターさまにいただいたご忠告も」


『あなたに女難の星が出ています。女性の隠し事にはご注意を』


 初めてお会いしたとき、フレデリックさまはそう言った。


 あの時は、ヴァイオレットさまが私にかけていた位置追跡の魔術のことだと思っていた。けれどもあれは結果的に私を助けてくれていて、女難と呼ばれるようなものではない。


 その他に、ヴァイオレットさまが何も言わずに私を『駒』に認定したことも考えられるだろうかと思ったけれど。


「ヴァイオレットさまのお話では、私は貧民街に誘拐された時――『有用な薬が作れるかどうか』を見極められていたのだそうです」


 ヴァイオレットさまは私を囮だと言った。

 私の薬師としての評判に、ヴァイオレットさまは関与していない。

 つまりヴァイオレットさまが関わろうと関わらずとも、私はきっと誰かに『有用な薬が作れるかどうか』は見極められていたのではないだろうか。


 とはいえヴァイオレットさまは、入れ替わりの魔術が本当にあるのかどうかも合わせて見極めていたとも言った。


(私が選ばれたのは単に、ヴァイオレットさまと関わりのある薬師だったから、という理由もありそうだけれど……)


 とはいえ、私が狙われていたことに間違いはなさそうだった。


「そこで気付きました。誘拐されたあの日、私が街に行くことを知っていたのはノエルさんとナンシーさんだけ。それも今思えば無暗に歩くことのできない怪我を負っていたリアムさんは、ナンシーさんに教えていただいた武器屋さんの近くにいました。……それで私はお二人のどちらかが、私を監視している役回りなのかと思ったんです。それで……」


 すうっと息を吐く。


「……ナンシーさんは、ヴァイオレットさまと入れ替わった私のことを、中々信じられないご様子でした。けれどノエルさんは表情を強張らせてはいらっしゃいましたが、最初からすんなりと信じてくださっているご様子でした。……もしも私の監視をされている方なら、きっと入れ替わりが本当にあることもご存知のはずだと、そう思ったんです」


 それにノエルさんは、私と同時期に王宮薬師になった新人薬師だ。

 もしかしたらノエルさんが王宮薬師へ就職したのも、私を監視するためだったのかもしれない。


「……いつも通りだったじゃないですか」


 私の言葉に、ノエルさんが掠れた声を出した。


「ソフィアさんが、ポーカーフェイスができる方だと思いませんでした。……裏切られるとわかっていて、私を褒めるような嘘を吐くなんて驚きです」

「嘘ではありません」


 間髪入れずに首を振る。


「私のこの予想が当たっていたら……ノエルさんが何らかの事情でこういったことをされているのなら、今伝えないと、もう二度と伝えられないと思ったんです」

「……っ」


 ノエルさんが唇を戦慄かせる。

 ろうそくの炎に照らされる薄暗い部屋の中、ノエルさんの顔色はひどく悪いものに見える。


(……絶対に、当たってほしくない予想だった)


 短い中でも、一緒に過ごした記憶が蘇る。同じ薬師として、同じ寮に住む同じ年頃の仲間として、短いながらも濃密な時間を過ごしてきたと思う。

 だからこそ私の予想が当たってしまったこの現状に、心が痛くてとても苦しい。


(これが女難の星なんだ……)


 もしもあの時、フレデリックさまのご忠告をきちんと受け止めて、きっとヴァイオレットさまだろうと偏見を持たずに注意深く見ていたら、気付いていたら、今こんなに胸は痛まなかったのだろうか。

 そう思いつつも、私よりよっぽど痛そうな顔をしているノエルさんに目を向ける。


「……どうして、こんなことをなさったのですか?」


 私の言葉に、ノエルさんの顔がますます曇る。


「誰に命じられたのか、とは聞かないのですか?」

「それも大変気になるのですが……ですが私は、ノエルさんのことが知りたいです」


 ノエルさんは、いつもあらゆるルールを守り、食事の前にはお祈りをして、それとなく周りを観察してはそっと気遣いを置いていくような人だ。


 あの乳香のお薬同様に、丁寧で優しい人柄は嘘ではない。


 それを知っているからこそ、懇願に近い気持ちをこめてノエルさんに目を向けると――彼女はくしゃりと顔を歪ませて、長く震えた息を吐いた。



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