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逃げ道



「他の可能性も考えました。たとえばヴァイオレットさまのお母さまは、先々代の国王陛下の悪意に気付かずに渡されたまま子流しのお茶を贈った……けれどこれは、もっと有り得ないことだと思うんです」


 かつて『すみれ姫』と呼ばれ、社交界に君臨していたという、ヴァイオレットさまのお母さま。

 たとえ高貴な身分を持とうとも、社交界のトップに立つということは並大抵の才覚では務まらない。


 そんな方が、長年一番近くで見てきた実の父親の悪意に気付かないということがあるのだろうか。


(すべては、ただの偶然だったのかもしれない。けれど……)


 話している内にどんどん強くなってきた確信をこめてヴァイオレットさまの目を見ると、ヴァイオレットさまは静かに私を見据えたまま、何も言わずに小さく微笑んだ。


 頷かれるよりも雄弁なその肯定に、思わず口をつぐむ。

 するとヴァイオレットさまの指が――薬作りで少し荒れた私の指が、私の頭を弾いた。


「いたっ」

「何て顔をしているの」

「ふ、普通の顔です……」


 宝石がついていない分、いつもより痛みの少ない――けれども普通に痛い額をさする。

 理不尽だと抗議の眼差しを送ると、ヴァイオレットさまが愉しそうに鼻で笑ったあと、表情とは裏腹に、妙に静かな声を出した。


「お前は駒になると言ったけれど。ここから先は大変よ。きっとお前は、ひどく傷つくことになるでしょう」

「え……」


 驚いた。

 ヴァイオレットさまが、こんな表情をするところを見たことがない。

私を見つめる青がかった紫の瞳は静かで、ほんの微かに労わるような色が見てとれた。


「基本的に私は、一度利用すると決めたものは有益である限り、最後まで利用するの。……けれども薬馬鹿のお前が珍しく聡いところを見せたご褒美に、逃げ出す最後のチャンスをあげてもいい」

「逃げ出すチャンス……?」

「お前が『今回だけはやめます』と言うのなら、この私が手を回して逃がしてやってもいいと言っているのよ」


 それはきっとヴァイオレットさまにとって非常に珍しい、優しさなのだと思う。

 ヴァイオレットさまが『ひどく傷つく』と断言している以上、きっと私には何か良くないことが起こるのだろう。


(それが何かはわからないし、怖いけれど……)


「逃げません。……ようやく仲直りできたのに、『逃げてもいい』は、少しひどいです」

「そう」


 私の答えは、きっと予想していたのだろう。ヴァイオレットさまが『やっぱり』と言いたげな、呆れたものを見るような目を私に向けた。


「お前の愚かで面倒でしつこくて鬱陶しい頑固な性格は、わかっていたけれどね。本当に救いようのないほど愚かなお節介ね。お前は」


 二回も愚かと言いながら、ヴァイオレットさまはいつものように万人を傅かせる、不敵な笑みを浮かべた。


「まあいいわ。お前が傷ついたら、ほらご覧なさいと嘲笑ってあげるから」



◇◇◇



「なんだかヴァイオレットさまの姿に慣れてきちゃった。美人って目の保養ができていいわね」


 先ほどから入念に美脚ストレッチに精を出しているナンシーさんが、先日の困り果てた姿はまるで幻だったかのように、ヴァイオレットさまの姿をしている私に声をかける。


「いつものエルフォード公爵令嬢はちょっと直視が難しいけれど、中身が変わるとこんなに迫力がなくなるのね。……ねえねえソフィアちゃん、少し威厳を出してみて」

「こっ……こうですか?」

「あはははははっ! もう、笑わせないで!」

「わ、笑わせるつもりはなかったのですが……」


 ヴァイオレットさまの真似をして厳めしいお顔をした私に、ナンシーさんが「番犬の真似をしてるコーギーみたい」と大笑いをしている。

 不本意な気持ちになりつつも、ナンシーさんが私を励まそうとしてくれるのはわかっていた。


「はー、大笑いして免疫力があがっちゃった。……けれど、ヴァイオレットさまと会えなかったなんて残念ね。ヴァイオレットさまだって、入れ替わったままなら色々と不便でしょうに」

「はい……」


 嘘をついている罪悪感に目を伏せると、ナンシーさんは慌てて「まあいいじゃない、爆美女ライフを楽しみましょ!」と励ましてくれる。


 その優しさに、罪悪感はますます増した。


(ごめんなさい、ナンシーさん……)


 ヴァイオレットさまとは仲直りができなかったというこの設定は、もちろん嘘だ。

 囮役を貫くのなら、このまま仲違いをしていると思わせた方が良いとのヴァイオレットさまのご判断によりこうして入れ替わりを解消しないままでいる。


 敵を欺くには味方からということで、ヴァイオレットさま以外の全ての方に、仲直りのことは秘密にしていた。

問題はないのかと問われれば、問題がないわけがない。

 基本的に王宮薬師寮には、部外者は申請しなければ入れないものだ。


 けれど私――ヴァイオレットさまは王族の血を引く公爵家で、稀代の悪女で魔術師だ。


 私がこの寮の中を我が物顔で歩いていても誰にも咎められることはなく、むしろ皆触らぬヴァイオレットさまに祟りなしと言わんばかりに目を逸らして回れ右をして引き返す。


 そのため問題なく……はないと思うけれど、幸いなことにこうして何事もなく過ごせていた。


「その体で歩くと、まるで海が割れるかのように人混みも割れていくでしょう? 急いでいる時なんか便利よね。羨ましいわ」

「そうですか? 私はこう、申し訳なさで胃が引き絞られるように痛んで……」


 この胃痛はいつもなら自分の体で新薬の治験チャンス! と大喜びできるところなのだけれど、ヴァイオレットさまの体でそんなことができるわけもなかった。


 そのため出来る限り、部屋の中にこもりながら薬を作る。


 ヴァイオレットさまからもいつも通り過ごすように言われていたこともあり、お言葉に甘えていつもと何一つ変わらない生活を送っていた。


 いつもと違うのは、薬師長やスヴェンを始めいつもの面々が来ないとこだけれど……と思っていたとき、自室の扉がノックされた。


「失礼します」


 そう言って入ってきたのはノエルさんだ。

 お出かけをするときによく着ているシックな黒いワンピースを身に着けているノエルさんに、ナンシーさんが「あら」と笑顔を向ける。


「ノエルちゃん、今からお出かけ?」

「はい。贔屓にしている本屋から、探していた本が入荷したと連絡が入りまして」


 ノエルさんは私に目を向けると、「ソフィアさんの探していた、西国の希少本もあるとのことです」と言った。


「それでもしよろしければ、気分転換に一緒に行きませんか? お嫌じゃなければですけど」

「いいじゃない!」


 ノエルさんの言葉に、ナンシーさんが手を叩いて賛成する。


「気分転換に行ってらっしゃいよ。私も一緒に行きたいところだけれど……」

「ナンシーさんは今日デートでしたよね」

「そうなの! ずっと狙っていた人だから、どうしてもドタキャンはできなくって……」


 残念そうに肩を落としたナンシーさんが「この無念を無駄にしないためにも、絶対落としてくるわね」と拳を握る。

 ナンシーさんは本当にいつでも前向きだ。この精神を見習わなければなあと思いながら、ナンシーさんの健闘を心より祈る。


「それでは行きましょうか」

「はい」

「行ってらっしゃい!」


 ノエルさんの言葉に頷いて、手を振るナンシーさんに手を振り返した。

 既に手配されているという馬車に乗り込んで、街中へと出掛けた。



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