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エルフォード公爵邸



 ヴァイオレットさまに会う。

 そう意気込んできたものの、事前のお伺いもなく格上の公爵邸に押しかけるのは、やっぱり失礼だったかもしれない。


 馬車に乗って移動している内に、不安が募っていく。

 ハッと思いついたその心配をクロードさまに伝えたところ、クロードさまは事も無げに「事前の伺いを立てていたら彼女には一生会えない」と言った。


「あれは王命でさえ気軽に無視をする。これまで拗ねているヴァイオレットを見たことがないため行動パターンは読めないが……急に押しかけることが、最も成功率が高い方法であることに間違いない」

「なるほど……」

「それに今の君は、ヴァイオレット・エルフォードだ。間違いなく屋敷内には入れるだろうし……ヴァイオレットも、君と入れ替わったままの状態は不本意なはずだ」

「あっ、そうでした」


 忘れていたけれど、今の私はヴァイオレットさまだ。


 もしも玄関先で撥ねつけられてしまったら、誠意を見せるために三日くらいは門の前で土下座をして誠意を見せるべきだろうか、いえいえそれはご迷惑にも程があるかしら……と悩んでいたけれど、最悪屋敷内の土下座ですみそうでほっとする。


 そうこうしている内に馬車はエルフォード公爵邸に到着する。

 玄関前まで進んだ馬車から、クロードさまのエスコートで降り立つと、玄関前に立っていた使用人の方々の空気が変わる。


「お帰りなさいませ」

「お帰りなさいませ」


 洗練された軍隊のような動きに、意を決して開かれた扉を見据える。


「一筋縄ではいかないだろうが……健闘を祈る」

「はい!」


 そう微笑むクロードさまに頷きながら、私はエルフォード公爵邸へと入った。




 屋敷内に入ると、見覚えのある侍女の方が即座についてきた。


「昨日からソフィア様がいらっしゃっています。……閣下のご命令で、ヴァイオレット様のお部屋でお過ごしいただいております」

「そ、そう」


 精一杯ヴァイオレットさまらしくツンツンと振舞うと、侍女の方が一瞬だけ拍子抜けしたような顔をしたあと、即座に頭を下げる。

 どうやらヴァイオレットさまらしさがやや足りなかったようだ。しかし、入れ替わりは見抜かれていない――つまり、知らされていないらしい。


(閣下……エルフォード公爵は、入れ替わりに気付いていらっしゃるのかしら……)


 無事に入れ替わりを解除したあと、後で閣下にもお詫びをしようと考えながらヴァイオレットさまの自室に向かって歩いていると、聞き覚えのある柔らかな、しかし威厳のある声が聞こえた。


「やあ、ヴァイオレット」

「……!」


 振り向くとそこには、今丁度思い浮かべていたエルフォード公爵が、柔らかな微笑を浮かべて立っていた。


「自室に行く前に、少しお茶をしよう。……いいね?」

「……はい」


 有無を言わさない声に、頷く。

 微笑を崩さないまま、閣下は私に背を向けて進んだ。



 案内されたお部屋は、どうやら執務室らしい。

 たくさんの書物と洗練された調度品が並ぶその執務室は、ペン一つとっても超一流の高級感が漂っている。

ヴァイオレットさまのご趣味とはまた違うものの、物の一つ一つが私よりもよっぽどオーラのある風格を感じさせた。


 絶対に粗相は許されない。そんな緊張感を、ひしひしと感じる空間だ。


 そんな場所でエルフォード公爵は、柔らかな微笑を浮かべたままでいる。

 侍女が洗練された手つきで紅茶を淹れ終え差し出すと、「君たちはもう下がっていい」と一声かける。

 人払いした部屋の中で二人きりになった瞬間、閣下は静かに口を開いた。


「以前、夜会で君に忠告したことを覚えているかな。ソフィア・オルコット伯爵令嬢」

「……はい」


 やはり閣下は、私とヴァイオレットさまが入れ替わっていることに気付いていた。

 頷くと、閣下は「話が早い」と手元の紅茶に目を落とした。


「私は公爵であると同時に、父でもある。我が子にはどんな小さな不幸も訪れてはほしくないし、傷ついてもほしくはない。しかしヴァイオレットはあの通り苛烈な性格で、逃げることをよしとしない。母譲りの知性と能力、生まれながらに持ち合わせた誇りがそれを更に強固にしている」

「……はい」

「あの子が一番大切なものは矜持だ。そして自分が一度内に入れた者は何が何でも守ろうとする。――そして守れなかった場合、たとえそれがどんなに困難を伴うことだとしても、必ずや仇を取ろうとするだろう。与えられた無礼や痛みを、倍にして返す。……それがあの子の矜持だからだ」


 柔らかな微笑は変わらない。

 けれどもエルフォード公爵のその声は真剣で、そして微かなやるせなさのようなものが含まれているのを感じた。


「君がヴァイオレットに以前と変わらない気持ちで接していくというのなら、はっきり言おう。私は身も守れない小娘に、あの子の内に入ってほしくはない」


 笑みを消したエルフォード公爵が、私をまっすぐに見据えた。

 ともすれば怯みそうな強いその視線を受け止めて、逡巡した末に慎重に口を開いた。


「……私はヴァイオレットさまのように、強くはありません。薬作りしか取り柄のない、自分に自信のない人間です。ですが」


 そこまで言って、息を吸う。

 緊張して指先は震えるけれど、声だけは震えないようにおへその下に力を入れ、胸を張って前を見た。


「あの、これは、薬草の話なのですが」

「………………薬草」


 私の言葉に、エルフォード公爵が些か面食らった顔をする。

 その表情に、何かを間違えたような気がする。エルフォード公爵の気が変わって話が終わってしまわないよう、急いで言葉を続けた。


「あの、これは薬草だけに限らずお野菜や家畜でもそうなのですが、異なる品種同士を掛け合わせて人間にとって有用な品種を作り出す、品種改良という方法があるんです。……これはこれで勿論デメリットもあり、元の薬草に対して些か不躾ではないのかという葛藤もなきにしもあらずなのですが、しかし品種改良が成功すると、それぞれ元の品種よりも良くなる……たとえば薬効が強くなるですとか、実がたくさんなるですとか、人間にとってとてもありがたい新種が出来たりするんです」

「……」

「ヴァイオレットさまは強い方で。何もかもを兼ね備えていらっしゃいます。私には見えないものが見え、守れないものが守れます。ですが……だからこそ私はヴァイオレットさまの見えないものが見えて、守らないものを守れるかもしれません」


 たとえば世の中全員がヴァイオレットさまになってしまったら、この国は――いやこの世界は、血で血を洗う仁義なき世界になってしまう。


 そして同様に世の中の全員が私になってしまったら、それはそれで大変だ。全員が薬作りばかりしておどおどしていては、誰一人狩りができずに全員飢え死にしてしまう。


「もしもヴァイオレットさまに何かが起きた時……ヴァイオレットさまとは違う私がお側にいたら、助けられることがあるかもしれないと、そう思います」

「……」

「もちろん自分の身を守れるように、これから色々なことを学び成長します。実際私はヴァイオレットさまと入れ替わって色々教えていただくようになり、以前よりはるかに成長できました」


 オルコット伯爵邸での私は、ただただ日々無為に薬を作り自分一人の世界に没頭しているだけだった。

 けれどヴァイオレットさまと入れ替わって世界を知り、ヴァイオレットさまの無茶ぶりに度肝を抜かれながらも一緒にいる内に、随分とたくましくなったと自分でも思う。


 以前の私は、人と目を合わせることを避けていた。実のお父さまに不満の一つ、寂しいという言葉一つ言うことはできなかった。


 こうしてエルフォード公爵と目を合わせることさえ、以前の私からは考えられないことなのだった。


「異種交配した薬草が良かれ悪しかれ変わっていくように、私は必ず変わります」

「……」


 エルフォード公爵の目を見て力強く言い切ると、短い沈黙の後、エルフォード公爵はまぶたを閉じ――かぶりを振って、呆れたように嘆息した。


「君は、交渉事が下手すぎる」

「え……」


 エルフォード公爵が閉じていた目を開け、愚かな生き物を見るような目を私に向けた。


「こういう時、『人間にとって有用』や『良かれ悪しかれ変わっていく』という引っかかりのある言葉を使ってはいけない。交渉事において嘘を伝えるのは論外だが、それでも馬鹿正直に不安な印象を与える言葉を使うなど、愚かとしか言いようがない」

「…………仰る通りです」


 ぐうの音も出ない。つい肩を小さくする私に、エルフォード公爵はさらに言葉を続ける。


「それから、『守るかもしれない』『助けられるかもしれない』などと、かもしれないという言葉を多用することもよろしくない。自信のなさが透けて見える人間は、必ず他者から侮られる。侮られる者は搾取され、簡単に食い殺されるのが世界というものだ」



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