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ヴァイオレットという人



「げ、元気を出してちょうだい」


 慌てたナンシーさんの声がして、柔らかな手が私の肩にそっと触れる。


「わかったわ、あなたはソフィアちゃんなのね。ええと……そうね! こういう時はあれしかない!ほらほら、ノエルちゃんも呆然としてないでやけ酒の用意をしましょ。辛いときは酒! 百薬の長って言うくらいだからね、万能薬よ」

「そ、それは絶対にいけません……こんな時にお酒なんて」

「ええ、どうして? こんな時のためのお酒でしょう?」

「だめです、精神的に追い込まれている時の飲酒は麻酔薬同様、依存行為に結び付く大変危険な行いで……」


 二人があたふたと会話をしている。これ以上二人に心配させてはいけないと唇を噛み、顔を上げようとしたその瞬間、扉がノックされる音がした。

 それと同時にのんびりとしたスヴェンの声がする。


「ソフィアにお客が来た。開けるぞ」

「えっ、お客さま? ちょっと待っ……」

「失礼する」


 ナンシーさんの慌てた声と同時に、聞き覚えのある低い声が聞こえた。

 驚いて顔を上げると、そこにいたのは昨日手を振り払ってしまったクロードさまだ。


 目が合うなり、まるで痛ましいものを見るような表情をする。


 咄嗟に顔を背けようとすると、スヴェンの「エルフォード公爵令嬢ぉ!!!???」という裏返った声が耳をびりびりと震わせた。

 クロードさまはそんなスヴェンの声量を気に留める様子もなく、私に向かって口を開いた。


「外に出ないか」

「……行きま、」

「どうぞ!」


 断ろうとした私の言葉に被せるように、ナンシーさんが大声を出す。


「いい天気ですもの、どうぞお出かけしてきてくださいな! あ、明日の朝まで帰ってこなくていいですよ!」

「……⁉︎」


 ナンシーさんの言葉にクロードさまはぎょっと目を見開くも、咳払いをする。


「では行こう」


 そう私を促しながら、クロードさまが私の手を引いた。


「⁉︎ ク、クロードさま」

「すまない。また逃げられては困るからな」


 少し申し訳なさそうに眉を寄せるクロードさまに、何も言い返せず。

 私は少し迷いながらも、クロードさまの導くようなその手に促されるまま、薬師寮を出た。



 ◇◇



 手を引かれて連れられてきた先は、王城から少し離れた場所にあるひと気のない公園だった。


 その公園の中にあるベンチに、クロードさまがハンカチを敷く。そこに座るよう促されるも、申し訳なさもあって少し戸惑った。

 しかしきっと、私が座らない限りクロードさまも座れない。逃げ出すことも憚られ、私は子猫一匹分くらいの距離を開け、クロードさまの隣に座った。


「……」

「……」


 沈黙が広がる。


(きっと私にお話があるのだろうけれど……)


 クロードさまは何も言わない。きっとヴァイオレットさまのことだろうと思うと私も聞く勇気が持てず、口を開けないまま沈黙が流れる。

 重い空気の中、先に口を開いたのはクロードさまだった。


「俺がヴァイオレットと出会ったのは、彼女が六歳の頃だ。……当時のヴァイオレットは既に、現在のような邪悪さを身につけていた」


 真剣な顔で語られる、邪悪な六歳児というパワーのある言葉に少々戸惑う。

 しかしいくら幼児とはいえ、確かに清らかであどけないヴァイオレットさまというのは想像ができない。納得して神妙な顔で頷くと、クロードさまも頷いて言葉を続ける。


「当時から今に至るまで、ヴァイオレットに友人がいた試しはない。ヴァイオレットにとって人は殆どの場合、都合の良いように利用するだけの存在だ。……少なくとも、本当の意味で心を通わせる人間がいたことも、求めたこともないだろう」


 とても静かな口調で語るクロードさまに、何も言えずに沈黙する。

 知り合って間もない私でも、そのことはよくわかっていた。

 ヴァイオレットさまはいつも一人だ。誰よりも強く美しく、たくさんの人を傅かせながら一人であることを選び続けている。


(そう。ヴァイオレットさまが自分で選んでいるのに……)


 物置部屋に一人でいることしかできなかった私とは違う。

それにも関わらず、いずれ力になれるようにと考えていた自分に、あらためてこみあげた苦い気持ちを感じていると、クロードさまが口を開いた。


「そんなヴァイオレットに無礼を働く人間はそう多くはなかったが――まだ幼い頃は、それなりにいた。そして全員がその報いを受けた。その場で土下座をさせられた者もいれば、見上げる程の大木まで放り投げられた者もいたな」

「ぞ、存じております……覚悟しています……」


 クロードさまのお言葉に、冷や汗をかきながら頷く。

 助けてもらった挙句にヴァイオレットさまを馬鹿呼ばわりし、あまつさえ入れ替わったまま逃げ出した私だ。


 ヴァイオレットさまのお怒りとその報復は凄まじいはず。

 なけなしの胆力をかき集め覚悟を決めた私に、クロードさまがとても優しい顔を向けた。


「何の覚悟だ?」

「ヴァイオレットさまは、きっと大変お怒りでしょうから……」


 そこまで言って、膝の上に乗せた手をぎゅっと握る。昨日のことが脳裏に浮かんで、深く吐いた息と共に言葉がぽろりと口を突いて出た。


「……助けに来てくださったヴァイオレットさまに、ひどいことを言ってしまいました」


 クロードさまは何も言わない。

 沈黙したまま見守ってくださる優しさに、甘えだとわかっていても言葉はさらにぽろぽろとこぼれていった。

 先日の王城での夜会の前、エルフォード公爵に言われたことや、ディンズケール公爵を前に何もできなかったこと。

 成長していつかヴァイオレットさまの助けになれるよう頑張ろうと思ったものの、クロードさまもご覧になったように、何もできないまま追い詰められてしまったこと。


「ヴァイオレットさまには、行く必要がないと言われていました。それにも関わらず勝手に行動して窮地に陥った私を助けてくださったのに、私は……」


 きっとヴァイオレットさまは、呆れ果てている。私自身が、自分に呆れ果てているのだから。

 それ以上言葉にならずに再び俯くと、横のクロードさまが少しの沈黙のあと口を開いた。


「――先ほども言った通り、俺は幼い頃から婚約者候補として比較的近くから、彼女を見てきた。その上で断言するが、彼女が誰かを心配している姿を俺はこれまで一度も見たことがない。……今回が、初めてだ」


 その言葉を理解するには、数秒かかった。


「……心配?」

「ああ」


 怪訝に思い見上げると、クロードさまは確信に満ちた目で頷いた。


「たとえどんなに失い難い『駒』だとしても、『駒』である以上、ヴァイオレットなら自分の命令に一度でも背いた者は手酷く切り捨てる人間のはずだ。……だというのに彼女は、君を助けに行った。招待状を用意するという手間をかけ、大嫌いな俺に協力を命じてまで」

「……」


 言われてみれば、確かにそれは不思議だった。

 駒を駒と割り切るヴァイオレットさまは、自分の思う通りに動かない不確定要素はすぐに切り捨てるだろう。

 とはいえ、ヴァイオレットさまがわざわざ私を助けた理由が心配だとは、思えない。


(だって私はただの駒だと、ヴァイオレットさまが……)


 あの時投げかけられた言葉を思い出し、喉に小骨が刺さったような小さな痛みを感じていると、クロードさまが小さく笑った。


「ヴァイオレットの名誉のために詳しく語るつもりはないが、君に『もうしばらくは顔も見たくない』と言われた時のヴァイオレットの表情を、君に見せたら納得するだろうな」

「表情……?」


 あの時は自分の感情に必死で、ヴァイオレットさまの表情を見ていなかった。

 一体どんな表情をなさっていたのだろうと困惑する私に、クロードさまが優しく笑う。


「それに――もしもヴァイオレットが君をただの駒だと思っていたとしたら、断言しよう。君は今頃彼女に怒りを抱いてはいなかったろうし、そう思うこともなかったはずだ」

「それは……」


 クロードさまの言葉を否定しかけて、その言葉を飲み込む。

 私を見つめるクロードさまの目は確信に満ちていて、簡単に否定してはいけない気がしたのだ。

――それに。


(ヴァイオレットさまにとって私が駒であることは、きっと事実)


 けれども大公に攫われた私が氷に覆われたときに魔術で助けてくれたこと。

 それから貧民街で一緒に過ごした夜、泣く私をお節介な愚か者扱いしつつも認めてくれ、無理やりに寝かしつけてくれたこと。


 呑み込みが悪い私に心底呆れ時には罵倒しながらも、貴族令嬢として完璧に振舞えるように指導して、そしてできたときは「まあまあね」と微笑んでくれたこと。

 たった一度撥ねつけられて傷ついていた心が、ヴァイオレットさまと過ごしたそんな日々を思い出す。


 そんな私に、クロードさまがまた穏やかな声で言葉を続けた。



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