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身の程知らずと喧嘩



「ヴァイオレットさま……!」


 地獄のような庭園に背を向け、玄関先に待機しているだろう馬車へと向かう途中。

 私は堪えきれず、ごくごく小さな声でヴァイオレットさまに抗議の声をあげた。

 ヴァイオレットさまがこちらをちらりと一瞥し、冷ややかな声を出す。


「何」

「まずは助けていただいてありがとうございます、しかしあの助け船には少々物申したく……!」

「どうせお前は結婚したくないのでしょう?」


 ヴァイオレットさまが嘲るように鼻で笑う。


「ならばこれから先一生嫁の貰い手がなくていいではないの。一生嫁がず好きに薬作りができるわよ、よかったわね?」

「そ、それはそれで、齢十六にして一生未婚が決定づけられたことに少々思うところはあるのですが、それはともかく……! 没落寸前のしがない伯爵令嬢である私が、ディンズケール公爵にあのような物言いをしたら、待っているのはしょ、しょしょ処刑……!」

「いいではないの。馬鹿は死ななければ治らないでしょう?」

「⁉︎  そ、それでは馬鹿以前にすべてが終わってしまいます……!」

「それは大丈夫だろう」


 眉間にしわを寄せたままのクロードさまが、そう言った。


「未婚の令嬢を、男性しかいない場に招き、あまつさえ脅迫までして結婚相手を決めろと言い放つのは言語道断だ。それが明るみに出て困るのはディンズケール公爵の方だろう。……あの場にいたのが君だけなら、あそこにいた他の男達は公爵家の権力に沈黙するより他ないかもしれないが。あの場には騎士である俺と、ディンズケール公爵と並ぶ権力を持ち、ディンズケール公爵より後が怖いヴァイオレットがいる。寝返る者はいるだろう」


 ピリピリとした低い口調のクロードさまが「絶対に寝返らせてみせる」と低い声で呟いた。


「そ、そうでしたか……」


 力強いクロードさまのお言葉に、ほっと安堵の息を吐く。


「安心しました……ありがとうございます」


 頼もしくて優しく、責任感の強いクロードさまには感謝してもしきれない。

 どうなることかと思ったけれど、お二人のおかげで助かった――と思った時、小さな違和感を覚えた。


(あれ……?)


 いつもなら、ヴァイオレットさまから手酷い罰が待っているはずだ。

 少なくとも醜態を晒してしまった以上、額を指で弾かれることは覚悟していた。


(なのに何もない……?)


 ヴァイオレットさまは人をいたぶることが非常にお好きだ。叱るときは歌うような口調に嗜虐を滲ませて、相手を延々いじめ倒す。

 だというのに、ヴァイオレットさまは私に辛辣な言葉を投げかけはするものの、その言葉にはいつものような愉しさは滲んでいない。

 一体どうしたのだろう……とヴァイオレットさまの顔を見てしばし沈黙したあと、名前を呼ぶ。


「ヴァイオレットさま」

「……なに?」

「……もしかして今、とてもお怒りでいらっしゃいますか?」


 ふと口からついて出た言葉に、ヴァイオレットさまは沈黙したあと私を冷たく見据える。

 今まで何度も叱られたことはある。罵られたことも嘲られたこともあるけれど、しかしこんなに冷たく見据えられたのは初めてだった。


「当然でしょう。――お前、人の言いつけを破って、何を好き勝手しているの?」

「そ、それは……本当に申し訳ありません」


 謝ろうと頭を下げかけた私に、さらに冷たい声が降る。


「いいこと? 私とお前は、友人でも何でもない。利用する者と、ただ利用されるだけの関係なの」


 そしてその声も怒りに溢れた、今まで聞いたことのないような声だった。


「お前に淑女教育を施したのは、今後もしも入れ替わったときに不様な真似をさせないため。薬作り以外に何もできないお前が、どうあがいても太刀打ちできない腹黒の元に行くだなんて一体何を考えているの?」

「ヴァイオレット、」

「黙りなさい、クロード。私は今この身の程知らずに言い聞かせているの」


 クロードさまの言葉を、ヴァイオレットさまが怒りに燃えた目で制止する。

 そしてその目をまた私に向け、忌々しそうに吐き捨てた。


「お前は私にとって、ただの駒。利用することはあっても助けられることなんて生涯なくてよ。わかったら出番がくるまで、お前は引きこもって薬でも作っていなさい」

「……」


 唇を噛む。なんだかお腹の底がぐるぐるとして、手が震える。

 ヴァイオレットさまに叱られることは日常だ。今まで怖いという気持ちや申し訳ないという気持ちはあっても、それに傷ついたことや抑えられない何かを感じたことはなかった。


 けれど今、得体の知れない大きな感情が渦を巻いて私の体を震わせる。そんな自分への戸惑いや危機感を頭の片隅で感じているのに、止められない。


 初めて味わう激情が胸を突き上げて、抑えきれない激情が喉から勝手に溢れだした。 


「ヴァ、ヴァイオレットさまの……馬鹿!」

「…………馬鹿?」

「もういいです! しばらくは顔も見たくないです!」

「ソフィア!?」

「っ、すみません!」


 クロードさまに掴まれかけた手を、勢いよく振り払う。

 勢いよく振り向いて、一目散に駆け出す。クロードさまが私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、今は誰とも喋りたくなかった。


 鼻の奥がツンとし、目が熱くなる。引き攣れた喉がかすかに痛んで、視界がぼやけた。

 必死に走っているうちにどんどん溢れてくる涙が情けなくて、気持ちはどんどんぐちゃぐちゃになっていく。


 ヴァイオレットさまが今の私を見たら、きっと更に怒るだろう。本当に見捨てられてしまうかもしれない。

 いや、そもそもヴァイオレットさまの言いつけを破って窮地に立たされただけでなく、馬鹿と叫んで怒鳴ってしまった。私の人生おしまいまであるかもしれない。


 でも今は、それどころではなかった。


「っ、出してください、王宮薬師の寮まで……!」

「!? えっ、エルフォード公爵令嬢!?」


 乗ってきた馬車に乗り込み、扉を閉める。申し訳ないほどに狼狽えていた御者は、数秒の間を置いて馬車を走らせた。



◇◇◇

 

「あ、あのう……申し訳ないのですが、いつまでこちらに……?」


 いつも余裕を崩さないナンシーさんの困り果てた声が、ベッドの中の私の耳に響く。

 入れ替わったままだったことも忘れて王宮薬師寮の自室に戻った私は、まだまだ収まらない激情を抱えあぐねて、ベッドの上、布団の中に潜り込んでいた。


(ごめんなさい……)


 そう思いつつも、うまく話すことも顔を見ることさえもできない。申し訳なくベッドの中でうなだれる私に、ナンシーさんの困り果てた声が届く。


「ええと……王宮薬師のソフィアちゃんは一体どちらにいらっしゃるのかしら。教えていただけませんか?」

「……」

「ううん……どうしましょ。これは人生最大の大ピンチだわ」


(本当にごめんなさい……)


 そう思いつつも、うまく言葉にならない。布団を被ったまま手を伸ばし、すぐ近くにある机からなんとか紙とペンを取る。

 そのままベッドの中でさらさらと書いた紙を、布団の中からナンシーさんへとサッと差し出した。


『ソフィアは戻りません。大変申し訳ありませんが、しばらくこのまま放置していただけると助かります』


 その手紙を読んだナンシーさんが、絶句する気配がする。


(ごめんなさい……)


 心の中でひたすらに手を合わせながら、私はその日一晩ベッドの中で丸くなり、眠れない夜を過ごしたのだった。





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