反撃
「もしもそうなら、心外ですわ」
「ヴァイオレットさま……!」
振り向くとそこにいたのはヴァイオレットさまだ。
傍らにはクロードさまがいて、ひどく怖い顔でディンズケール公爵を見据えている。
「……堂々と不法侵入とは」
ディンズケール公爵が、忌々し気にヴァイオレットさまを見据えた。
「不法侵入? 心当たりがありませんわね」
顎に長い指をあてたヴァイオレットさまが、懐から一枚の手紙を取り出す。
それは私がいただいたのと同じ招待状だ。
赤みがかった紫色の瞳に捕食者の色を浮かべて、ヴァイオレットさまが横にいるクロードさまに目を向ける。
「この男に、今日ここで開かれるお見合いの招待状が届いたと聞きまして。この男の幸せを願う『元』婚約者候補として、新しい縁談に差し支えてはならないと、私とこの男はもう何の関係もないことを直接お伝えして差し上げようと思いましたの」
「招待客のリストに、クロード卿の名前はないはずだが」
「あら、手違いがあったのかしら? ふふ、それでは今日の欠席者宛の招待状が、クロードに届いてしまったのかもしれませんわね。――けれどここに招待状がある以上、不法侵入とまでは言えません。少なくとも茶会と偽り、一人の令嬢を誘い出して脅迫監禁するよりも、よっぽど道徳的でかわいらしい行為ではございません?」
皮肉気に笑うヴァイオレットさまが、ゆっくりと目を細める。
仕草一つで、その場の緊張感が一気に増した。
「そうそう。誤解は正したいので、もう一度教えて差し上げますわね。――『絶対的な身分に傅け』。この私がそんな教えをその小娘に教えたことなんて、ただの一度もなくてよ。――ねえ、ソフィア?」
ヴァイオレットさまが急に、私に目を向ける。
「えっ……ええと」
そう言われて、これまでの記憶を思い出す。
――……結構、言われている気がするのだけれど……。
少なくとも『伯爵家の娘如きが』『お前如きがこの私に逆らえると思っているのか』というセリフは、何万回も聞いている。
瞬時に浮かびそうになった微妙な表情は抑えたものの、何も言えず無言になる。
そんな私の様子は何でもないかのように小さく笑い、ヴァイオレットさまが口を開いた。
「偶然高位貴族に生まれただけの凡人ではなく、傅くべき相手に傅きなさいと、そう教えているでしょう? そのうえでお前が傅くべきはただ一人、この私だけ」
尊大にそう言い放つと、ヴァイオレットさまはにっこりと笑って私に目を向ける。
何かを企んでいることがありありとわかるその顔に、私はこの後何が起こるのか、もうわかってしまっていた。
「ちょっ、あの、ヴァイオレットさ――」
「だから、ね。いつまでも猫をかぶっていないで、早くこの場を治めなさい。かつて強欲悪女とまで呼ばれたお前には、簡単なことでしょう?」
直後、ぐるりと視界が回る。
何度見舞われても慣れることのない引っ張られるような気持ちの悪さに顔を顰めかけ――視界が、ぱっと切り替わった。
(ああああああああ……)
私の目の前にいるのは、私。
青みがかった紫色の瞳が細められる。目の前にいる私の唇が、信じたくないほど優雅に妖艶に、美しく弧を描いた。
私が誰かを遣り込める姿を、悲しいかな。私は何度もこの目で見てきた。
リリーさまから始まり、貧民街の男性陣。その口撃を見るたびに、切に切に止めていただきたいと、心の中で滂沱の涙を流したものだ。
しかしそれでも、お相手は対等の方ばかりだった。
同じ人間である以上、失礼なことをしたくない気持ち、絶対に止めていただきたい気持ちに変わりはない。
しかし同じ伯爵令嬢であるリリーさまや貧民街の男性陣にたとえ失礼なことをしても、処刑されるという心配だけはなかったのだ。
けれど今日のお相手は、ディンズケール公爵閣下。
この国で王族に次ぐ地位を持つ、偉い方なのだった。
つまり私は今、処刑の危機に瀕している。
(ヴァイオレットさま!!!!!!)
必死に視線を送る。気付いているだろうに、ヴァイオレットさまは華麗に無視だ。
横にいたクロードさま――この場の唯一の良心であり、常識人だ――に目を向けると、彼は私に一瞬だけ労し気な視線を向けたものの、視線はすぐにディンズケール公爵に戻ってしまった。
完全に怒りに満ちた目に、止めてくれる気はないのだと知る。
頼みの綱のクロードさまが落ちてしまった。絶望だ。目の前が真っ暗になる。
まだまだ心残りがある、悔いしかない人生だった。
そんな私の絶望などどこ吹く風で、ヴァイオレットさまが優雅に笑う。
「……」
ディンズケール公爵は、そんなヴァイオレットさまを警戒と驚きに満ちた目を向ける。
その様子を見てヴァイオレットさまは周りを見渡し、「全員不合格」と言い放った。
「――と言いたいところだけれど、この場にお前たちを招いたディンズケール公爵閣下の顔を立てて、簡単な審査をしてあげましょう。この審査を通過できた男には、無条件で嫁いであげる」
「!?!?!?」
危うく出そうだった悲鳴を、寸前で飲み込んだ。
目を剥く私などまったく気に留めず、ヴァイオレットさまは心底愉しそうにその場の全員を見回す。
「方法は簡単。武器は何でもいいわ、どんなに汚い手を使っても構わない。ここにいるクロード・ブラッドリーを、完膚なきまでに叩きのめすこと」
「ヴァッ……!!!???」
「望むところだ」
「クッ……!!!???」
駆け寄って止めようと思った矢先、横にいるクロードさまが腰に差していた剣を抜く。あわや流血沙汰の大惨事に震えていると、ヴァイオレットさまが「それから」と微笑んだ。
「ヴァイオレット・エルフォード公爵令嬢に勝つこと。この国の頂点であるエルフォード公爵家の次期当主であり、稀代の魔術師でもあるヴァイオレット・エルフォード様。剣でも槍でも、どうぞ向けてみられては?――命や家が惜しくないのなら」
そこまで言って、ヴァイオレットさまがにっこりと笑う。
「さあ、勝負に臨む殿方は?」
それはいつでもとどめを刺せる獲物を、嬲って遊ぶ肉食獣の笑みだった。
その場の誰一人、手はおろか声すらあげることはない。
ヴァイオレットさまの目に留まらないよう俯く彼らは――面白いものを見るような表情をしているフレデリックさまを除いては、目に留まることすら恐れているようだった。
「まあ、骨のない殿方ばかり。次の候補となる男性陣は、期待していますわね? ディンズケール公爵閣下」
「……」
ディンズケール公爵が、射殺すような目を向ける。
その視線すら愉しむように、ヴァイオレットさまは挑発めいた表情を浮かべた。
「ふふ、見たいものを見られて、ご満足いただけたかしら?」
(え……?)
突然のヴァイオレットさまの言葉に、困惑する。
今ヴァイオレットさまが見せたものとは、暴言を吐き脅迫する私の姿だ。ディンズケール公爵がそんなものを見たがっているとは思えない。
一体何のことかわからず、頭の中がはてなでいっぱいになる。
しかしディンズケール公爵は特に疑問を抱いていないようだ。何も言わずに、ただ探るような視線をヴァイオレットさまに向けている。
そんな彼に、ヴァイオレットさまが「ふふ」と笑った。
「『絶対的な身分』とやらを持つ公爵閣下が、こんな嘘をついてこそこそと。ふふふ、真正面から戦えないなんて、誇りを捨てる他ない凡人はお気の毒ね?」
「……」
青みがかった紫色の瞳の温度が下がり、呼応するかのようにディンズケール公爵のまなじりが吊り上がる。
互いに害虫を見るような眼差しを浮かべる二人を見て、私はただ息を呑んだ。