お茶会へ
「うん、かわいいわ! 男友達が百人できそう。やったわね!」
身支度を整えた私を見て、ナンシーさんがにこにことガッツポーズをした。
「だ、男性だけで百人集まるような盛大なお茶会ではないと思いますが……ありがとうございます。身支度を整えていただいて」
ドレスや髪型を整えてくれたナンシーさんやノエルさんに、あらためてお礼を言う。
ノエルさんにセットしてもらった髪には、以前クロードさまからいただいた髪飾りをつけている。それに似合うドレスを選んで着付けをしてくれたのはナンシーさんだ。
二人がいなかったらとても茶会に出られる姿にはなれなかっただろう。感謝してもしきれない。
あとは私が、整えてもらった身だしなみに見合う振る舞いをするだけだ。
何せ今日は少しの恥を晒すことも許されない。緊張に口から飛び出そうな心臓を押さえ、私は自分を鼓舞するため口を開いた。
「お、お茶会のマナー本は頭に叩き込んでますし、令嬢同士の会話のシミュレーションも脳が擦り切れるほど頑張りました。型通りに会話が進めば、問題はないと思います」
「あらまあ……」
私の言葉に、ナンシーさんが痛ましいものを見るような目を向ける。
「型通りに進まないときは、どうするの?」
「! そ、そんな……考えだけで恐ろしいことを」
だけど、そうなったら本当にどうしよう。
最悪の展開が、存在しないはずの記憶となって次々と脳裏に浮かぶ。
私の頭の中のヴァイオレットさまが、灼熱の砂漠に聳え立つ十字架を前に、にこりと笑う。
その十字架に磔にされた自分の姿に目の前が真っ暗になった時、ふっと意識を現実に戻す爽やかな香りが、私の鼻をくすぐった。
目を開けるとそこにあったのは、レースで編まれた真っ白なハンカチだ。
「乳香を軸に調合した薬ですが、香水代わりにどうぞ」
そう言って差し出されたハンカチを受け取ると、ふわりと爽やかな香りが香った。
「いい匂いです……!」
爽やかで清涼感のある乳香。別名フランキンセンスと呼ばれるこの木の樹脂は昔から神聖な薫香料として重宝されていて、いい香りがするだけでなく気持ちを落ち着かせる鎮静効果がある。
はるか昔には鎮痛剤や止血剤としても使われていた、れっきとした薬木だ。
優しい気遣いに、荒ぶる不安も落ち着いていくようだ。
手元のハンカチから優しく香りを、胸いっぱいに吸い込む。
「はー……落ち着いてきました」
「良かったです」
「さすが麻酔専門のノエルちゃん。気分を落ち着つかせる天才ね」
「恐縮です」
「本当にありがとうございます。これで冷静に頑張れそうです……!」
拳を握って、闘志を燃やす。
「頼もしい令嬢に一歩近づくべく、頑張らないとですね……!」
そんな私を見てナンシーさんが、「あらら」と言った。
「だめね、余計な闘志が燃えてる。ねえ、直接肌につけたらどう? 近くにきた人にも香るくらい……そうね、こう、胸元あたりに大胆に」
「貴族の世界はよくわかりませんが、お茶会の場で香水をつけるのはマナー違反ではないでしょうか」
いつもに増して淡々と冷静なノエルさんが、「それに」とそのハンカチに目を落とす。
「薬効や毒性への耐性が常人のものではないソフィアさんなら大丈夫かと思いますが、これは普通の香水のようにつけてしまうと多量となります。眠りに落ちてしまう可能性が」
「そんなに強い睡眠効果があるのですか……!?」
それは、とてもすごい。
興味津々になりハンカチを鼻に押し当ててさらにすんすん嗅ぐと、ナンシーさんとノエルさんに止められた。
「眠くなったら困るでしょう?」
「目はしっかり開けておかないと、何かあった時に対処できません」
「た、確かに……」
好奇心を押しとどめつつ、ハンカチをポケットに入れる。
そうこうしているうちに馬車の用意が整った。
帰ってきたらノエルさんにハンカチのこの薬について色々教えていただく約束を交わし、私は失敗が許されない茶会へと向かうべく、馬車へと向かったのだった。
お茶会の会場は、フォスター家だった。
「ようこそお待ちしていました、オルコット伯爵令嬢」
先日見たばかりのお屋敷。
その門を馬車でくぐり、扉が開いたと同時に馬車から降りると、出迎えてくれたのは、フレデリックさまの養父だというフォスター子爵だった。
「本日はお招きいただきありがとうございます。また、先日は馬車を貸してくださりありがとうございました」
「とんでもございません、先日は愚息がお世話になりました。あれは昔から星を読む才があるというのに、なぜか目的地にはたどり着けない男でして……おかげさまで野垂れ死にせずすみました」
フォスター子爵が疲れの滲む微笑を見せる。
どこか本気を感じさせる声音と表情に、まさかこれは冗談ではないのだろうかと思っていると、気を取り直したようにぱっと明るい笑みを浮かべた。
「それではまず、ディンズケール公爵の元へご案内致します。茶会が始まるまでの時間、少しお話をされたいと」
「! ……わかりました」
まさかいきなりディンズケール公爵とお話をするとは思わなかった。少し困惑しつつも頷いて、堅牢さを感じさせる佇まいの屋敷の中を、案内されるまま歩いていく。
「こちらです」
そう案内されたのは、応接室だった。
フォスター子爵が自ら開けてくださった重い扉の向こうで、ディンズケール公爵が椅子に座り紅茶を飲んでいる。
「よく来てくれた」
そう微笑むディンズケール公爵は、どことなく満足気だ。フォスター子爵に目を向けると、フォスター子爵は慇懃に礼をして去っていく。
「本日はお誘いいただきありがとうございました」
礼を執ると、ディンズケール公爵は鷹揚に頷き、「座るといい」と彼の目の前の椅子を指し示す。
お言葉に甘えて椅子に座ると、隅で控えていた
ディンズケール公爵は上機嫌に口を開いた。
「出席してくれたこと、礼を言う。君が来るのを、楽しみにしていた者がいっぱいいてね」
「こちらこそありがとうございます。……他の皆様はもういらっしゃっているのですか?」
私がそう言うと、ディンズケール公爵が頷いた。
「ああ。誰か一人でも気に入る者がいればいいのだが」
(気にいる……?)